ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「道理でそうなのか・・」

2012-02-24 16:13:53 | 言葉
「道理でそうなのか」という言葉がある。

日本語は面白い。凄い。

「道理で」という言葉を結構日常で使ってたみたいだ。

最近は聞かないけど。

「道理」とは「物事のそうあるべき筋道。

人の行うべき正しい道。道義。」

・・あーあーそーですか。はい。

(上のような『行なうべき正しい道』なんてことを聞くと、

ついついこういう口調になってしまうのは私の劣等生根性から来るんだろうな・・)


「道理で」を調べると、

「その原因・理由ゆえに、の意。

事情が分かって不審がなくなった意を表わす語。

なるほど」


「道理で」と「道理」はかなりニュアンスが違う。

道理 は 物事のあるべき筋道だけど、

道理で は 理由ゆえに、の意なので、正しいとかは関係ない。

事情が分かるということは正しくない?事情も入るということだ。

なるほど、ともあるし、プロセスを納得することかと思う。

それが「道理で」かぁ。

うーmumumumu.深い。


脳と心②

2012-02-24 15:16:16 | ひとの幸福
日本は八百万の神の国だそう。無宗教の国。

「鰯の頭も信心から」という言葉もある。

どんな物にも魂が宿るというような考え方もあるようだ。

これを古臭いと一蹴する事も出来るけど、

日本は何故かそういう考え方をする国なんだなぁと思う。

トマトにモーツァルトを聞かせると生育がいい、

なんていう話も聞いたことがある。

そういう話は科学的ではない、鵜呑みにしない方がいい、

なんていう話も聞いたことがある。

亡くなった姑は畑仕事を真面目にやった人らしく、

野菜に自然と声をかけたもんだと言っていた。

心を掛けた分だけ応えてくれるとも言ってた。

私も園芸が好きなので自然と声をかけてしまうというのは実感する。

自然とそうしてしまう、というのは何かそうする基が潜在意識にあるのかと思う。

あそこへ行こうと思えば、自然と歩けるのと同じように。

子供や知人から、うちのグリーンたちは元気だ、

私が可愛がっているからだ、とか聞くことがある。

反対にあまり関心を持てない鉢物は枯れたり、腐ったり、

・・する羽目になってしまってるような感触はもったことある。

そうそう思い出した。

10年くらい前に読んだ本で、

植物、サボテンだったか、それに電極を繋いで、

自分の意志との相互関連を調べた実験のことが書かれたものがあった。

最初は偶然に面白がって繋げたら、そんな現象が起こり、

やった人もびっくり仰天だったらしい。

植物にはっきりとした意志の力があることがわかった。

物凄くびっくりした。

以前のノートを見てみたら、

「あなたの細胞の神秘な力」という本だったかもしれないと思う。

また読んでみようかな。







脳と心

2012-02-24 11:31:33 | ひとの幸福
脳は物。心は物じゃない。

脳と心の関係はどういったものなんだろう。

心はどこにあるか・・脳か心臓か・・・?

脳から心が生まれるのか?

心から脳が生まれるのか?

今の科学では心は脳に在るということは証明されてないそう。

意識や意志も物じゃない。

ごく当たり前に考えて、

物事が起こるのはまず思考の働きが起こるから、と思う。

目に見える現象の元は目に見えない現象から。

そういう意味で意識という目に見えないものが、

物質である脳の働きというものに変換されるんじゃないかと思う。

この宇宙という物質にも目に見えない意志が働いているからこそ、

宇宙がてんでに勝手な動きをする不規則な事態にはならずに済んでいるんだと思う。

脳という物質から心が生まれるなら、

宇宙にある太陽や月や星の動きの“元”も何かの物質でなくてはならない。

太陽や地球という生命体に多分脳といえる部分はないだろうし。

野菜や種や木にも脳はないけど、

他と調和して成長している。

成長する意志を持っているといわざるを得ない。

それは本能だといわれるかもしれないけど、

生命体の一つである人間も本能がある。

本能が物質である脳にあるなら、

脳の無い植物の本能はどこにあるのか、ということにならないかな。