もう随分昔のことなんだけど・・・
粉石けんと合成洗剤の区別も知らず、
適当に手近な物を買って使っていた。なんでもよかった。
合成洗剤は海を汚すという情報を聞き、
そうなのかと思い、海を汚したくないと思い、
粉石けんを使うようになった。
それから「粉石けんを使うのが良い」となり、
合成洗剤を使うことは良くない、になり、
合成洗剤を平気で使う人に批判の目を向けた。
(つい少し前まで自分もそうだったのに。)
批判の目を向けること自体は不愉快だった。
けど、その不愉快さを特に何とも思わなかった。
粉石けんを使うのは良い、それは正しいこと、
合成洗剤を使うのは間違ってると思い込んでたから、
不愉快な気分になっていることに留意しなかった。
子供の頃から、人の悪口を聞くのはイヤだった。
それを聞くのはいい気分じゃなかった。
自分がひとを責めるのはイヤだった。
必ず自分がイヤな気分になるから、それがイヤだった。
いつも自分がいい機嫌でいたかった。
その後、哲学的な広場に参加して、
不愉快になるのは何か自分の中に間違いがある、
それは、“やること”の間違いじゃなく、
自分の思い(そう“在る”状態)に間違いがある、
と気が付いたことがあって・・・それから、
不愉快状態になった時の自分を検査し始めた。
粉石けんを使うのが“良い”
そして、“そういう考えは正しい”
と、頑張ってる、プラカード振りかざして、
我を張ってる自分に気が付いた。
自分の中がそういう状態に在ったことに気が付いた。
“悪”がある“良”はホントの“良”じゃないことに気づいた。
気が付いたら、粉石けんでも合成洗剤でもなんでもよくなった。
今も、この古い家に在庫として在った頂き物をまだ使っている。
買うときは粉石けんを買おうかなぁとは思っているけど、
最近の合成洗剤がどんなものか知らないし、
その時の状態次第でどうなるか、わからない。
粉石鹸と合成洗剤のことだけじゃない。
日常のこと、世界的なこと、いろいろなこと・・・
一回りして、
なんでもよかった昔に戻ったみたいだけど、違う。
違う自分だということがわかる。
粉石けんと合成洗剤の区別も知らず、
適当に手近な物を買って使っていた。なんでもよかった。
合成洗剤は海を汚すという情報を聞き、
そうなのかと思い、海を汚したくないと思い、
粉石けんを使うようになった。
それから「粉石けんを使うのが良い」となり、
合成洗剤を使うことは良くない、になり、
合成洗剤を平気で使う人に批判の目を向けた。
(つい少し前まで自分もそうだったのに。)
批判の目を向けること自体は不愉快だった。
けど、その不愉快さを特に何とも思わなかった。
粉石けんを使うのは良い、それは正しいこと、
合成洗剤を使うのは間違ってると思い込んでたから、
不愉快な気分になっていることに留意しなかった。
子供の頃から、人の悪口を聞くのはイヤだった。
それを聞くのはいい気分じゃなかった。
自分がひとを責めるのはイヤだった。
必ず自分がイヤな気分になるから、それがイヤだった。
いつも自分がいい機嫌でいたかった。
その後、哲学的な広場に参加して、
不愉快になるのは何か自分の中に間違いがある、
それは、“やること”の間違いじゃなく、
自分の思い(そう“在る”状態)に間違いがある、
と気が付いたことがあって・・・それから、
不愉快状態になった時の自分を検査し始めた。
粉石けんを使うのが“良い”
そして、“そういう考えは正しい”
と、頑張ってる、プラカード振りかざして、
我を張ってる自分に気が付いた。
自分の中がそういう状態に在ったことに気が付いた。
“悪”がある“良”はホントの“良”じゃないことに気づいた。
気が付いたら、粉石けんでも合成洗剤でもなんでもよくなった。
今も、この古い家に在庫として在った頂き物をまだ使っている。
買うときは粉石けんを買おうかなぁとは思っているけど、
最近の合成洗剤がどんなものか知らないし、
その時の状態次第でどうなるか、わからない。
粉石鹸と合成洗剤のことだけじゃない。
日常のこと、世界的なこと、いろいろなこと・・・
一回りして、
なんでもよかった昔に戻ったみたいだけど、違う。
違う自分だということがわかる。