ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

大さじ30杯

2012-02-29 21:41:33 | 日々の暮らし・思い出
料理のレシピで、4人分で醤油大さじ3杯入れる、というようなのがある。

大人数の料理を作ったことがなかったからだろうけど、

40人分の料理を作るからといって、

醤油を大さじで何度も何度も何度も何度も入れていた人を見たことがある。

(30杯入れていたよう)

親しい人だったので、びっくりして笑っちゃったけど、

やってる最中に声かけると何回入れたかわからなくなってしまうから、

終えてから、大さじ1杯は15㏄だから大さじ3杯は45㏄で、

40人分なら450㏄を軽量カップで計って入れた方が早かったかもよと言った。

それを聞いた人は「あっ、そうかぁ!」と自分でも笑ってた。

大さじで30回入れてた人はその時、

まとめて450cc入れればいいという知恵がなかったといえる。

聞けば「そうかぁ、なるほど」となる。

(15×3)×10=450 なんてことはとうに知ってる。

その人は所謂知恵遅れでもない、何か難しそうな国家資格を持っている人だった。

知識と知恵は違う。

知恵ってどんなふうに生まれるんだろうと考えると・・・

醤油を入れようとなった時に、瞬間的に、

(こうしたら早くできる)・・とかいうようなものが浮かぶ、

・・というようなことだろうか。

それが浮かばないと、大さじ3杯→大さじ30杯 ということになってしまう。

(そのやり方が間違っているわけじゃないけど)

この場合だったら、(早くやりたい)だけみたいだけど、

だいたい食事を作るということは、一品だけ作ってお終いというわけじゃない。

ご飯や味噌汁や二つ位のおかずも作る。

(美味しく作りたい)(手早く作りたい)(温かい物を出したい)

(ご飯と味噌汁は同時に出来るようにしたい)

(塩分はなるべく控えたい)(この材料だけでナントカ仕上げたい)

(洗い物はなるべく少なくしたい)(ガスコンロが二つしかないから、出しを早くにとっておきたい)

(明日の弁当用に途中で、この分は取り出しておきたい)

・・・とかとか、限られた時間の中で・・いろいろな(~したい)がある。

台所ではたくさんの(~したい)が全部叶うように頭を働かせることになる。

たくさんの(~したい)という願いを全部叶えようとすると、

自然といろいろな知恵が働くのかなと思う。

それも自分ひとりの為の食事作りだと、それほどの熱意は生まれてこない。

自分だけじゃなくて、

他の人にも用意したいと思う時の方が熱意や知恵が出てくる。

誰でもそうなんじゃないかと思う。


こうしたい、こうなりたい、こうなるようにという願いが、

自分にとってだけじゃなく、自分を含めたたくさんの人にとって、

豊かに幸福に、というようなより大きなものになると、

そこから生まれる知恵も自ずと豊かになるのは道理かもしれない。

文字の解釈

2012-02-29 16:34:05 | ひとの幸福
カントに「純粋理性批判」というのがあって、

ちょっと読んだんだけど、

それを読む時に「批判」という言葉についての自分の解釈・意味を持ったままでいたら、

なかなか読み進めなかった。当然だと思う。

例えば、それは

「リンゴ」という文字を林檎だと解釈して読み進めていたら、

言っていることがわからなくて、

実はその「リンゴ」という文字は(みかん)という意味なんだった・・

ということがわかった・・・というようなこと。

「リンゴ」の文字を見たら、そうか、これは(みかん)の事なんだな、

と自分の頭で置き換えて読まなければ、読み進められない・・

そんな感じだった。

「批判」という文字のことだけじゃなくて、

いろいろと難しい普段は使わないような言葉があって、

それを私がわかる言葉に置き換えて解釈するということをずっとして読んだ。

謂わば変換ばかりしながら読んだ。

だいたいのことはわかった気がした。


この「批判」という文字は、

日本語にその原文を訳する時にこれにしようと、

数ある言葉の中から翻訳者が選んで決めたものなんだと思う。

今の日本では「批判」という言葉は

何か否定的なニュアンスがあるように感じる。

俺が正しいんだぞみたいなものも感じることが多い。

否定的なニュアンスで使われることがこの世の中で多いので、

知らぬ間にその字を見るとそう反応してしまうんだろうと思う。

実際広辞苑にもそういう否定的な意味合いもある、とも出ていた。


けど、「批判」 を英悟では「critic」というそうで、

この原義は「境界線にあるものがどちらか見分けられる」であるらしい。

「critic 」はギリシャ語の「krino」から来たもので、

その意味は良いものを選別する=吟味する ということらしい。


・・これは違いを明らかにするという意味だと思うけど、

例えば、赤ちゃんと大人は違うし、

赤ちゃんより大人のほうが選別能力はあるし、

いろいろな知恵もある。

けど、赤ちゃんが間違っているわけじゃない。

未熟なだけだ。未熟は間違いじゃない。

非難することじゃない。


通常使われてる「批判」はその違いである未熟さを、

非難するニュアンスが含まれているものが結構ある。


文字もそれをどう読むかで違うものを受け取る場合がある。

何をどう受け取ろうとそれぞれの勝手なのでそういうことが出来るんだけど、

その言葉を読む時に自分の経験による解釈をひょいと退けておかないと、

読みとれないことがある。