ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

調和して・・

2012-02-05 21:15:45 | ひとの幸福
自分サイドで考えるとおかしいなと思うことを相手がしていても、

それならそれでと、それに合わせてコトを進めることもある。

認知症の人と付き合う介護者は、

こういうことを自然にしてる人も多いんじゃないかな。

相手に対して一切の否定が無い状態。

食後に「ご飯食べてない」と聞いても、

それならそれでと、受け入れて、応対する。

身体に良くないだろうから食事は再び出さないだろうけど。


雨なら雨で という言葉もよく聞いたことがあるけど、

雨という“状態”を否定なく受け入れているこちらの心の“状態”

・・を言ったものと思う。

それならそれで、というのも、

相手の“状態”をそのまま受け入れるこちらの心の“状態”をいうものと思う。

何を言ったとか、したとかいう現象面ではなくて、

そういうことを言った・そういうことをした・という現象の奥にある

心の“状態”をそのまま受け入れるこちらの心の“状態”を

云っているんじゃないかな。


日本神道の「あらゆる存在がその個性を生かし、

調和し、永久に発展していく・・のが原点です」という言葉の、

「調和し」が、「それならそれで」という言葉で言っている内容にも、

あてはまるかなという気もする。


ソビエト連邦

2012-02-05 15:49:24 | ひとの幸福
さっき書いたけど、現象面が整えられたら、

なんでもうまく行くとは限らない。

そこで暮らすひとの意識もそれに伴って行かないとオジャンになる。

ソ連という国組織がうまいこと行かなかったのも、

そういうことだったんじゃないかな。

偉大なる思想家のマルクスさんが無所有という考えを

実践の場で表わそうとしたんだろうけど、

実践とは心を持つ人間がすることであって、

形が現象面で作られても、

それに心が伴ってないと弊害という現象が起こる。

ソ連の人たちの多くはどうせいくら真面目に働いても、

生活が変わるわけでなし、食べられないわけでなし、といった按配で、

生き生きとしてなかった・・みたい。

・・ということは 現象を求めて、現象の為に生きていた のかもしれない。

食べる為に生きていると、食べることが満たされると、

生きる目的がなくなってしまう・・ということになる。


生きるために食べるのであればそういう具合にはならない・・

のかもしれない。


ソ連のお店の店員さんは頗る無愛想で、投げやりで、やる気がなかった、

・・とよく聞いたものだ。

マルクスさんは思想は実践がなければ意味が無いと思っていた人のようだ。

心の無所有を実践する一人一人がいなかったら、

体制を整えても空しい結果になるんだろ。

ソ連政府のお偉方の多くは私腹を肥やしていたということも結構聞いたことがある。

一人の立派な思想家がいても、

立派な人徳者がいても、

その他大勢のひとりひとりの心が解決されないと、

皆が幸福になることは出来ない。

古いことかもしれないけど、ヒットラー騒動も、ソ連崩壊という出来事も、

なるべくしてなった現象と思う。

ヒットラーひとりを「悪」と決めて、

それでお終いにするのは勿体無い。

ソ連崩壊を言わんこっちゃない、とせせら笑っていては勿体無い。

そういう意味でオーム真理教が起こした事件も、

「キチガイ連中がやったこと」「あいつらは『悪』」

・・で終わりにしてしまわないで、

一人一人が、自分の胸に聞くこともいいのかなと思う。






「やりたくない」

2012-02-05 14:00:23 | ひとの幸福
社会で決められたルールを「やりたくない」と思うことは誰しもある。

当たり前だ。

会社は九時始業だけど、二日酔いで行きたくない、

体調が優れないから行きたくない、

そういうことなんかたくさんある。


実際体調不良で仕事が出来ないと思えば休むこともある。

他の人に迷惑がかかると思っても、

取引先と大事な用件で会わなくちゃならないことがあっても休む。

すると会社はそれをなんとかする。

ひとはいつなんどき何が起こるかわからない。

急死することもある。

周りは居なければ居ないでなんとかする。

居るという前提で考えていたことを、

居ないという前提で考えだす。

それならそれでと。

ひとは自然にそういうことをする。


年中二日酔いで遅刻してばかりの人は首になるかもしれない。

そうしたら、その人はそれならそれでと又別の道を探すことになるだろ。

現象はなんとかなっていく。

現象はいつも それならそれで になってる。

その現象に心が伴っていればなんの問題も起こらない。

首になった人がそれならそれでと自殺しても、

自分がやりたいのでやったわけなので満足といえる。

そんなぁ!という声も聞こえてきそうだけど。脱線。


遅刻しても、連絡せずに休んでも、仕事場で仕事しなくても、

会社のルールではなんの罰則もなく、待遇も変わらない。

そうなった時に、こころ が解決してる人は、

本当にその仕事をしたくて快適に生き生きと仕事するんじゃないかな。

周りに仕事しない人がいても、

連絡無しで休む人がいても、

それならそれでと不満もおぼえず、やれることをやる。

休みたいときには休む。

連絡しないでも罰せられなくても、連絡したくてするかもしれない。

・・・混乱しない。


ひとがストレスから解放され、快適に幸福に生きる方法として、

現象に心が伴っている、という 心の解決 という方法と、

現象面という社会のルールの改善  という方法がある、といえる。


現象面という会社のルールがそうなっていても、

心が解決してない人ばっかりだったら・・・

仕事しない人に冷たい眼差しを向けたり、

その分やらなくちゃと頑張って、身体を壊したり、

仕事しなくても給料は変わらないんだからと、

いい加減な品物を作ったり、・・・するひともいるかもしれない。

・・・混乱する。


現象面の解決が出来てても心が伴わないと、幸福になれない。

でも、ひとは幸福になるように仕組まれてあるものだし

その仕組みを利用して、心・意識は変化し続けるものだから、

そのままでいるわけがない。












在るものは在る

2012-02-05 11:20:38 | ひとの幸福
どこかの山奥に金塊が在って、

それを知っている人が全員死んでしまったとしても、

やはりどこかの山奥には金塊が眠っている。


存在、そのものと「それが在ると思う」という認識は全く異なる。

人間がどう思っても宇宙や地球はある。

人間がどう思っても季節は廻る。

植物の種は条件が揃えば発芽し、成長する。

子宮に受精卵が着床したら女の身体は妊娠し、胎児は育つ。

それを願っても願わなくても成長する。成長しか道がない。

地球や月や宇宙や人間やゴキブリは在る。

在るものは在る。存在は存在でなくなることは出来ない。

存在は止まっていない。形を変え、成長し続け、在り続ける。

山や川を人間の利だけのために崩し、

手を加えても、それを受け入れ自然は在り続ける。

そういうことをする人間も自然の一部。

人間がどう頑張っても精子や卵子は作れない。

人間という存在も種(たね)という存在の宿命として、

成長するしか道がないんだと思う。

ひとの意識 というものも 成長するしか道がない。