ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

綾小路きみまろ

2012-02-17 15:58:08 | ひとの幸福
彼のトークは面白い。

若い人はまだ経験の無い思いもあるだろうから、

あの面白さがわかるのは中高年の特権なのかなと思う。

彼はひとをよく観察してる。

それに非難や皮肉っぽいトーンが全然ない。

観察はするが判断は無い、という感じ。

温かい眼差しを感じる。

話しの仕方、どこを強調するかしないか、よく計算されてる。

そんなふうに思ってた。

週刊朝日の去年12/16号「人生に乾杯」欄を見る機会があった。

それに彼が出てた。

やっぱり彼は子供の頃から人をじーっと見る癖があったそう。

ついつい見ちゃうんだな、ともあった。

若いときに中高年の事を題材にするとどうしても、

あの若造が何を言う!みたいになってしまうけど、

今なら自分自身痛風やらなにやら持ってるからお客さんも笑ってくれる

・・とあった。

話しのネタはひとのことを言ってるけど、

それは自分のことでもあるというのが

聞く人に安心感を与えるんだろうか。

みんな一緒、あなた一人が苦しんでいるんじゃない・・

そんな共感があるんだろうな。

「苦節30年」なんて言ってるけど、私はずっと好きなことをやってきた。

それを支えてくれて今がある。

だから最期は「今晩死ぬよ。ありがとう」って言って終わりたいね。

ってあった。


地球

2012-02-17 14:28:43 | ひとの幸福
自然や宇宙ではいろんなことが起こっている。

何故そういう物理現象が起こるのか・・・

起こるというのは昨日書いたけど、

潜在的な力が自ずと活動し始めているわけだから、

その潜在力とはどういうことなのか。


人間界に起こっているいろんな社会の現象も、

起こるというかたちで起こる。

何故そういう現象が起こるのか、

潜在的な力が自ずと活動し始めているわけだから、

その潜在力とはどういうことなのかという根本的なわけは

そのうち明らかになると思う。

人間関連の出来事は人間がやっていることだから。

人間の意識をよく観察したらわかるはず。


宇宙自然界の植物や動物、人間という生命体には

成長するというプログラムが組まれてる。

地球という生命体にも成長するという意志、プログラムが

組まれてあるはず。

そういうのも潜在力っていえるのかな。


自然界はフラクタル現象になっているらしい。

ミクロからマクロまでみんな相似関係にあると思う。

今、地球は宇宙的に凄い成長期なんだという話も

どんな本だか忘れたけど、読んだこともある。

それが嘘か本当かわからないけど、

もし、そうだったらラッキーな時に私たちは生きてるんだな~。


蜜柑の味と心 ★

2012-02-17 10:59:01 | 本を読んで
「この味ちょっと酸っぱいね」と言う。

そう言えるということは以前にそのような味を味わったことがあって、

それを酸っぱいと捉えた経験がある、ということだろう。

遡れば、まだ言葉を話せないような頃、

ミカンを口にし、味を感じ、顔をしかめると、

周りの大人が「酸っぱいね~」という言葉を発した。

その言葉を聞いた赤ちゃんは「こういう味を酸っぱいと言うのだな」

と認識したことから始まっている。

認識したという自覚はないだろうけど。


成長してミカンを味わうとき、自分にある無数の経験の中から、

この味は「ちょっと酸っぱい」と表現する類のものだと

無意識のうちに判断し、そう発するようになる。


けど、「この味」を味わって、それをどう表現するかは、

人や時と場合により様々だろうと思う。

ミカンその物についての感想だけが言葉になるわけじゃない。

その味を味わっても、

その言葉を発するとき、相手が上役か、仲の良い友人か、

家族か、この前言い争いした人か、

過去に嫌な思いをさせられたと思ってるところの人か、

・・等々で、

又それらの人のたった今の状態によってや、自分の虫の居所なんかや、

場とか全体の雰囲気によって、出す言葉は変わってくる。

ひとは瞬時にそういった場を全体的に捉え、言葉を発する。

例えば、昇進したいと思ってる部下である人が

昇進を左右する人事権を持ってる上役からミカンを出された場合、

味わう前からどんな言葉を出すか、

無意識のうちに決まっているようなことも世の中にはあると思う。

こういう意識の状態がベンジャミン・リベットの実験で

証明されたことなのかしらん・・・。

そうしようとなる前から脳では運動が始まっている、という奴。

見ざる言わざる聞かざる

2012-02-17 10:23:27 | 量子力学と心
日光東照宮に“見ざる言わざる聞かざる”の三猿の彫刻がある。

子供の頃それを見て、(どうして見ちゃいけないんだろ?

言っちゃいけないんだろ?聞いちゃいけないんだろ?)

って思ったことがある。

その後、(何を見るな、言うな、聞くな、 って云ってるんだろ?)に変わった。

その?は私の(わからないもの入れ)にずーっと入っていて、

最近やっと、あれはこういうことを云ってるんじゃないのか・・が生まれた。

積極的に調べることもなく、ひとに聞く事もなく、

何十年も私の(わからないもの入れ)に入っていて、

入ったことも忘れてて。

それは時が来るのを待っていたみたい。

こういうことなんじゃないのか・・・

・・んで、ネットで調べてみた。

以下。

3匹の猿というモチーフ自体は古代エジプトにも見られるもので、

シルクロードを経由して中国から伝わったものだという見解がある。

また『論語』の一節に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」

(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、

礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)

があり、中国では今日でも妊娠中の女性は胎教の観点から、

「目は悪色を視ず、耳は淫声を聴かず、口は敖言を出さず」

という戒めを受ける。

朝鮮半島においても、結婚前の女性は

「見ても見ぬふり、聞いても聞こえないふりをして、言いたくても言うな」と教育される。

インドのマハトマ・ガンディーは常に3匹の猿の像を身につけ

「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたとされており、

教科書などに「ガンディーの3猿」が掲載されている。

またアメリカ合衆国では教会の日曜学校などで

三猿を用い猥褻なものを見たり、性的な噂を聴いたり、

嘘や卑猥なことを言わないよう諭すことがある。

「見ざる、聞かざる、言わざる」によく似た表現は古来世界各地にあり、

同様の像も古くから存在する。

そしてまた、それぞれの文化によって意味するところは微妙に異なる。

三猿の起源は未だ十分に解明されておらず、

今後の研究と調査に委ねるところが大きい。以上。


こういうことかな、って思ったのとほぼ同じ内容だった。

井の頭公園の性器出し男に対してとった若い日の私の行動も(11/2)

こういうことだったのかなと思う。

関心を寄せることが物事を引き寄せる。

“悪”と云われるものに関心を寄せるな、っていうのが古代からのメッセージなんだなぁ。

ホントに量子メカニズム!!!