ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「早くして!」

2012-02-28 19:37:48 | 日々の暮らし・思い出
子供が保育園児だった頃の話。

自分が何処かへ行くのに電車に乗り遅れたくなくて、

それまでに早く事を進めたいんだけど、

小さな子供は何をするのも時間がかかり、

早くして早くして!と願望した。

そこに行くのが遅れてしまうんじゃないかという恐れがあった。

こんなふうに、

遅れてしまうんじゃないかという恐れがなければ、

早くして早くして、という願望も無い。

何故早くして、と願望したのかと言えば、

遅れる恐れがあったからだ。


待てない、という心の状態は恐れがあるから。

何故待てないのかといえば、

早くしないと、とんでもないことが起こるというような強迫観念があるせい。


遅れたっていいや、という“願望の放棄”状態になると、

子供も自分も(早くして)という思いに邪魔される事なく、

その時のそれぞれの能力を100%発揮できる。

チーターに追われたシマウマみたいに、動物は身をすくませる事なく、

的確な行動が冷静にとれるのと同じ現象が起こる。

結果として、結構うまいこと行くようだ。

当たり前といえば、当たり前だね。


願いなんて聞くと大袈裟な感じがするけど、

私たちは毎日何度もいろんなことを願っている。

願いが叶わないでイライラしたりしてる。

「恐れることがなければ、願望することもないし、

願望することがなければ恐れることもない」、

というスピノザの言葉は本当だなぁと思う。

でも、願望しないというのは無理だね。

願望は持つんじゃなくて実現すればいいだけの話し。


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「わかる」★

2012-02-28 17:21:03 | ひとの幸福
「わかる」というこの言葉のもつ内容に私は興味があるみたいだ。

今までも、どんなことなのかと何度も考えている。

どんなこともわからないと現象は進まない。

これが食べ物だとわかるから、人はそれを食べる。

こういうやり方が便利だとわかって、それをしたら便利だった。

失敗のわけがわかって、失敗しなくなる。

あの人はあれを嫌がるとわかったので、あの人の前であれはしない。

ガンになるわけがわからないから、ガンは減らない。

人間関係のトラブルが起こる本当のわけがわからないから、トラブルは続く。

本当の幸福がどんなものなのかわからないから、

何をどう目指していいか、わからなくて幸福にならない。

・・こんなふうに“わかる”ことが進むことは、人が幸福になる道と言えそう。

なんだか、こう書いてみると当たり前な気がして来るね~。


「わかろうとする」という思いがどういう時に発せられるのか、考えてみると、

「どんな問題があるのか」「どんなことを考えているのか」

「それはどんな用事か」「それはどんな計画なのか」

「その漢字はどう読むのか」「地震で何が起こったのか」・・・

・・というような場合であることがわかる。

・・そういうような(何?)(どんな?)がある元々疑問形の?が湧いて来たときに、

(わかろうとして)聞いたり、辞書やネットで調べたり、する。

(辞書、ネット、ひとの言葉)の意味がわかれば、

「そうなのか」という納得が得られる。


「わかろうとする」という意識の働きが起こるのは、

何がわからないのか、本人にわかっているので起こる。

そして、「わかりたい」という願いの実現方法も知っている。


人間関係のトラブルが起こる本当のわけがわからないから、

トラブルは続く・・と上に書いたけど、

この場合の“わからなさ”は(何?)とか(どんな?)がわからないということじゃない。

人間関係のトラブルが起こる本当のわけ がわかってない自分で在ること、

が、わからない、 ということ。


トラブルになる本当のわけをわかってなかった自分だと気づいた時に、

そのわけがわかる。


何故なら、本当のわけをわかってなかった自分だった とわかるのは、

既に本当のわけをわかった自分でしかないから。


そう、「わかる」とは“わからないことがわかる”それしかない。

無知の知。な~るほど だね。
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弁当

2012-02-28 14:17:26 | 日々の暮らし・思い出
東京にいた時、通勤していた夫に毎日弁当を作っていた。

自分の心象風景ががらっと変わってしまったことがあった後、

朝作る弁当が変わった。

ご飯と海苔を重ねて、間に鰹節を挟み、

その上に鮭の切り身をチンして乗せた・・それだけの奴。

一年近くこの同じ弁当を毎朝作った。

他のメニューを作りたい、いろいろ作りたい、という気持ちが発生しなかった。

それ以前はいくらかは考えて作っていた。

栄養のバランスを考えて作らなくちゃいけないとか。

そういう(~しなくてはならない)という思考がその時一切消えてしまった。

毎朝このスタイルの弁当を作る、

それがその時の私のやりたい気持ちの(やらなくちゃならないじゃなくて)

分量だったんだと思う。

それ以上の(いろいろ野菜や色のある)弁当を作るとすれば、

当時の私にとって、「やらなくちゃならない」モードになってしまう・・・

・・そういうことが、意識してじゃないけどわかってたんだろと思う。

「やりたい」気持ちだけでやっていた。

「良い弁当を作らなければいけない」が無いので、そういうことになった。

夫は毎日その弁当箱を空っぽにして帰って来た。

後になって聞いた時も、「別になんとも思わなかった」と言ってた。

彼が嘘を言ったという可能性が無いわけじゃないけど、

彼を見ると嘘じゃないのかな~と思う。

彼は栄養がナンタラにそれほど関心がない。

その時もし、彼が「こんな弁当じゃイヤだ」と言ったら、

その時の私はどんなふうだったんだろう?と想像すると、

それを聴いて、そうかぁ!と思って、

弁当を用意したい気持ちの分量が変化してたんじゃないかと思う。

そして、もう少し色のある弁当を作っていたんじゃないかと思う。

その時の弁当の姿は二人の気持ちが一致していた結果といえるかなぁ。
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「馬鹿になる」

2012-02-28 11:13:49 | ひとの幸福
よく世間で「バカになれる」という表現を聞く。

普段大真面目な堅い人が宴会の席で、

志村けんの真似なんかしてバカになりきったりすることがある。

大いに受ける。普段と違うほど面白い。

これはその場の雰囲気に(周波数に)同調できるという現象なんじゃないかと思う。

その時その時のその場にある周波数に同調できるというのは、

変幻自在、自由自在な感じ。

例えばその場が苦しみに満ちた場である場合、

そこでの自分は共感するけれど、(そこの周波数と同調できるということ)

苦しまない。

そういうのって、共感する自分とそれを観察する自己が分かれている感じがする。

苦しみを苦しまない。

その場が喜びの場だったら、

喜びを喜ぶ。

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