ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

曽野綾子さんの解釈

2013-09-03 12:55:06 | 本を読んで
曽野綾子さんの「自分の始末」という本の中に、

(確か、その名前だったと・・ちょっと自信ない・・本は図書館に返却しちゃったし・・)

聖書には、イエスの言葉だというこういうのがたくさん出て来るという。

「ほっておきなさい」という言葉。

又それと同じような意味合いで、その人がしたいようにさせておきなさい

去らせる・放任する・構わないでさせておく

問題を後回しにする・大目に見る・妨げないでさせておく・赦す

手離す・残して去る・残して死ぬ・・・があり、

初めての愛から離れるという意味もあるという。


そしてこの言葉の真意だといって、こういう解釈を曽野さんはしているようだ・・・

何かの病気でその食べ物を食べられない状態にあるとき、

相手はそれを知らずその食べ物を出してくれたとき、

自分のその状態を伝えたら、相手はそれを知らないことに恐縮して、

他のものを出そうとしたり、気を遣うことになる・・・

なので、自分の状態など知らせず、その状況をじっと耐え忍び、

耐え忍ぶそのことに快感を覚える。

磔に遭ったキリストの死と比べれば、こんな苦痛なんかなんでもない・・・

ざっとこんな感じのようなことが書かれてあった。


聖書のキリストの言葉に「ほっておきなさい」がたくさんあるのかと知った。

その言葉がたくさん出て来るということには、なるほどと思ったけど、

曽野さんのその解釈に対しては、

ちょっと、ううん・・???が浮かぶ。

曽野綾子さんの小説やエッセイは何冊か読んだことがある。

同感することもあるけれど、どうもなんかしっくり来ないものが私にはある。

一言で言うとキツイ。

この感じるキツさはどこから来るのかと、最近又読んでみながら自分を観ていた。


「放っておく」主体は自分が管理する自分の意識である。

何を放っておくのかというと相手や自分の言動を、だろうと思う。

曽野さんの引用した件で考えると、

相手の行為を放っておくということなんだけど、

その放っておくおき方がここでは(耐え忍ぶ)になっている。

耐え忍ぶというふうになるのは、

その行為を(自分にとって良くないもの)と捉えているからで、

そういう自我中心の解釈であるように思う。

もし、相手というそのときの存在が自分の中に在ったら、

(耐え忍ぶ)には絶対ならない。

キリストのように、(相手とひとつになる)という境地に居たら、

耐え忍ぶことにはならない。

ただ、在るがままに居るだけで、我慢も犠牲もない。

上に書いたような例のときに、

キリストなら耐え忍ぶという表現で心を現すことはないように思う。

耐えるとは相手と自分が全く別の世界に居ることを示す。

作家だから言葉は選んで使っているだろうと思うので、ついつい書きたくなる。

いや、私の解釈がひねくれているんだろうか・・・

耐え忍ぶことに快感を覚える、という言葉からすれば

耐えること=苦しみとはなってない、ということか???

いや、耐え忍んでいる自分を良しと観ていることで快感を覚えるんじゃないだろうか。

やはり(耐え忍ぶ)は我慢する、犠牲になる、というようなニュアンスを感じる。

痛さを耐え忍ぶ、辛さを耐え忍ぶ、悲しみを耐え忍ぶ、

みな、自分にとってそのものがよくないものという評価がそこにある。


キリストが「ほっておきなさい」という言葉を発したのは、

相手のことは相手に任せなさい、

相手の意思を曲げるようなことはするな、と言っているのかと思う。

「その人がしたいようにさせておきなさい」というのも、

ひとは思いのまま行為行動してみて、

その人が自分の在りように気付くことだけが、

その人の成長に繋がるという確信があるからこそ、言える言葉だろう。

教えるな ということでもあると思う。

「問題を後回しにする」という言葉もとても意味深だ。

その時のその事だけピックアップして批判してもしようがない、

ということをわかっていることから来る言葉だ。

「大目に見る・妨げないでさせておく」のも、

人間の本質を信じているというか、わかっているからこそで、

人間というものを信頼してなければ出てこない言葉と思う。

そのような人間観をキリストはもっていたのではないか・・と思う。


「赦す」は「許す」とは違う。

「許す」は許可するで、その心の出所は高い目線に在るような感じがする。

広辞苑で「ゆるす」を見てみると・・・

許す・赦す・聴す とある。(へえ、びっくり!知らなかった~

「聴す」で、ゆるす、なんだ!)えーっと、その意味は、

①引き締めた力をゆるめる。ゆるやかにする。

②気持ちの張りをゆるめる。警戒心をゆるめる。

③差し支えないとみとめる。禁を解く。自由にさせる。

ずーっと⑨まであるから、ここらへんでやめるけど。

「ユルユル」も同じとこから来たんだろうな。


「手離す・残して去る・残して死ぬ」というのも面白い。

仏教でいう無執着を表わしているのかと思う。

無執着・思いを持ち続けない、とは

思いを持ち続けていたら、去れないし、「死ねない」と思うからね。

死ねないと思っても死ぬときは死ぬと思うけど・・


最後のこれ、「初めての愛から離れる」という意味。

へ~、そうか・・・初めての愛から離れる とはこれまた意味深。

初めての愛・・これをどう解釈するかだ。

絶対愛のことか・・放っておきなさい がそれか?

二つの世界ではなく、一つの世界が基での愛。

条件無しの愛。エロスではなく、アガペー。

そこから離れるとは絶対から相対の世界に行くこと???・・・

そうなら、それはイコール私たちのこの世界のことだ。

放っておく、ことは何か(自他の在りよう)に対し、

完全に任せきっている状態。

相手(自他)をその在りのままでいいと受け入れている状態。

・・ということは、それに対しなんの干渉もお節介も有り得ない状態。

ということは相手(自他)と一体になっている状態。

放っておく=初めての愛から離れる、んじゃなくて、

(初めての愛に戻る)そのことが放っておく、なんじゃないのか・・・

だが、待てよ・・

離れる、ということは戻れる、も意味している。

一旦、離れなければ、戻ることは出来ないのだから。

そうか、相対の世界を利用して絶対の世界に行くことを、

この言葉は言っているとも言える?

・・・なんだか、かんだか、長くなってしまった。

そんなつもり全くなかったんだけど。