ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

波しぶき

2013-09-16 16:35:08 | 日々の暮らし・思い出
台風が去った後、隣の集落の浜までスロージョギングして行った。

浜はまだまだ大波で海の色も薄い緑色という普段とは違う色をしていた。

ザザザブ~ン~と波が押し寄せる。何度も何度も。

浜に座り込んでそれを見る。

目の前まで波しぶきがやって来る。綺麗だ。

ずっと見ているともっと近くで見たいという衝動にかられる。

衝動に駆られる・・なんて凄い表現だけど、

引き寄せられる、といったらいいか、身体の中で何かが起こる感じ。

物理的に身体の中がざざざざ・・・と動くのだ。

頭じゃない。意識でじゃない。

波に身体が反応する。

それを感じて、もう帰ろうと思った。

このまま居るのはやばい。

いや、絶対吸い込まれないという自信はあるけれど、

身体の中で起こっているざざざざざ・・・を鎮めなくっちゃ、と思った。


花は咲く

2013-09-16 16:02:39 | 日々の暮らし・思い出
「花は咲く」という復興支援歌がある。

6月に石垣島で会った岩手に住む小学2年生の孫が

この歌を一生懸命歌ってくれた。

それも会ってすぐに。一所懸命練習してる最中みたいだ。

NHKテレビからそれが流れて来るのを何度も耳にしたことはあるけれど、

こんなふうに身近で聴こうとして聴いたことがなかったので、

その時、あぁ、こういう歌なのかと新鮮だった。

「死にゆく者からの言葉」を読んでから、

ユーチューブで音楽を聴いていたとき、

その歌が右端に出ていたので聴こうとして聴いてみた。

歌の中にこういうのがあった・・・


叶えたい夢もあった

変わりたい自分もいた

今はただなつかしい

あの人を思い出す (1番の中)


傷ついて 傷つけて

報われず 泣いたりして

今はただいとおしい

あの人を思い出す (2番の中)


震災で亡くなった人のことを思う心境を歌ったものだろうけど、

この詩を自分のものとして感じられた。

画面を見て歌いながらとうとうと涙がこぼれた。

老化して亡くなったのと違って、

多くの人がいきなりぷっつんと亡くなってしまったから

こういう歌が生まれたのだろうけど、

誰にとっても親しい人を亡くすという経験はある。

今はまだ死んでいない私だし、多くの友人知人家族は元気に生きている。

けれど、その日は必ずやって来る。

いつもどのときも(今ここ)を生きることが、

泣かない日を創るのかもしれないけど、

ひとはそれでも泣くのかもしれない。

きっと私は何度も何度も泣いて生きていくんだろう。

あ、そうだ、今日は亡くなった母の誕生日だ。

あの亡くなった母も赤ちゃんとして生まれて来たのだなぁ・・・



台風 ②

2013-09-16 15:34:57 | 日々の暮らし・思い出
さっき「台風」を書いてみて、

私は鉢を避難させないということに自信を持たなかったか・・?

という(?)が脳裏にやって来た。

鉢を避難させずに居ても、被害に遭わなかったという2回の経験で、

大風でも小さな鉢は倒れない・・・なんていう自信を持たなかったか???

心しないといけないな、と思った。




台風

2013-09-16 14:07:49 | 日々の暮らし・思い出
台風18号がこの地を過ぎて行った。

それほど大きなものとは思われなかったけど、

だんだん大きくなったみたいだ。

庭に面した窓に沿って小さな鉢が並んでいる台が置いてある。

暴風雨圏内だったから、それらを物置に避難させないとダメかなと思ったけど、

前回の大風のときにそのままにしておいても

一つも倒れたりしなかったので、

今回もそのままにしようと思った。

夫が避難させないの?・・というようなことを言った。

いつもの暴風雨予報のときと違って穏やかなニュアンスだった。

うん、もし倒れて犠牲鉢が出ることがあるかもしれないけど、

それは覚悟して、このままというのを実験してみるね、

と私は言った。

夫は、そうか、ととても静かに応対してくれた。

今までと違った。

今までも、建物のすぐ近くだし、背の高い鉢は倒れるけど、

小さい低いのは倒れないんじゃないかと思っていて、

避難させないと言うと、夫は少し非難風を私に当てていた。

実際倒れる可能性は考えられるし、

夫のそういう言葉や非難風を感じて、

殆どの鉢を物置にしまっていた。

それが前回、物置にしまわずに出しておくと決めてやってみたら、

一つも倒れなかったので、

今回もやってみて、どんなふうになるか試してみたかったので、そうした。

やってみないとわからない。

被害は覚悟の上でそうした。

それまでの夫は私が大事にしてる鉢たちが大風の被害に遭わないように、

めんどくさがりの私に非難風を送っていたのだろうと思う。

それが出したままでも被害がなかったことを見て、

非難風の元にある自信がなくなったのだろうと思った。

このことで自信を持っていた自分に気が付いたのかもしれないと思った。

私もそれまでにやってみなかったことをやってみてよかったと思った。

傲慢さ

2013-09-16 11:51:06 | ひとの幸福
自分の傲慢さに気付くと謙虚になれる。

傲慢で在っても、それに気付かないと傲慢のままで居ることになる。

不思議なことに気付くだけで瞬時に変わる。

傲慢さと謙虚さはコインの裏表なんだろうか・・・

だから気付くという心理作用でころっと転換する。

傲慢で居るとだいたい多少なりとも愉快な気分では居られない。

そういうときは、ひとを裁いたり、検査したりしている。

そういう経験が豊富だからよくわかる。

そういう自分にしょっちゅう気付く、ということは

傲慢で在るということがよくある、ということでもある。

常に謙虚で在り続けている人は、

どういうふうな仕掛け・境地でそうなっているんだろう。

無いで当たり前ということがとことんその人に入っている、

ということだろうか???

う~ん・・・執着を(持ってない)ってことじゃないか・・・

このことはこういうもの観、こう在るべき観、

当たり前観、こうするべき観、・・・

そいうのを固く持っていると、どうしても偉そうになる。

常にそういう執着から解き放たれている・・そういう人が

謙虚で在り続けられているんだろうか・・・。

本当にそうなりたいよ。

それは凄く楽で美しい世界だ。

来訪

2013-09-16 11:00:40 | 日々の暮らし・思い出
私たち夫婦にとっての長女が親しい友人と共にこの休日に我が家に来てくれた。

1泊だけだったけど、とても楽しく過ごした。

彼女からのリクエストのアサヒスーパードライと、

この地の魚の刺身やうちの畑の野菜の料理を用意して、

5人での楽しい宴。

その友人とは初めて会ったのだけど、初めてのような気がせず、

ちょっと岩手訛りの言葉がとても心地よかった。

なんとも言えないいい感じ。

なんだか最初からその人とも打ち解けてお喋り。

こういう集いは本当にいいなぁと思う。

また是非来て欲しいと思った。

この言葉がたくさん聞こえる岩手にも行きたいと思った。