ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

イヤだ! ④

2013-09-08 13:40:57 | 実例体験観察
ちょうど、さっき、Vさんがうちで貸していたものを返しに来てくれた。

「イヤだ!」シリーズを書いた私にちょうどいい機会だった。

なんの不快感も無くVさんを迎えて夫との3人でお喋り。

いつも通り、Vさんはずっと喋っていた。

その話を聴いていて、このところのVさんの前の自分と違っている自分があった。

あぁ、これだと思った。

Vさんの前に居る自分の意識を注意深く観察している自分だった。

Vさんの在るがままを受け入れていながらも、尚且つ、

アレ?と思うようなことがあった場合に、

それを言わずに居ることで耐え忍ぶようになるようなことがないか?

そういう自分の意識に注視している感じの自分だった。

そして、耐え忍ばずに自分の思うところを落ち着いて出すことが出来た。


このシリーズを書くようになる前の、ここんとこのVさんの前の私は、

Vさんの嵐のような喋くりに翻弄されていたのだった。

いわば、振り回されていた。

そのときそのときの自分の意識を、

注意深く観察しようとしてる自分ではなかったことが、

よくわかった。


自分が話をする時に聴いてくれる人というのはとても心地いいものだけど、

そういう感じではない人の存在は、

今の私にとって一番必要なのかと思う。

必要 と 欲望 は違う。

必要なうちはしぶとく私の傍にそういう人は来てくれるのだろうと思う。


このシリーズを書いてよかった。

多分⑤は無いと思うんだ・・・

イヤだ! ③

2013-09-08 12:48:41 | 実例体験観察
しつこく「イヤだ!」シリーズなんだけど、

私がVさんにそのことを言うのか、言わないのかわからないと①で書いた。

そして昨日の②を書いて、たった今、自分がまた何か書こうとしてる。

何を書き出すのか今のところわからない。

でも、何か内側から表現を求めているものがある。

やってみる。

この文章のタイトルが「イヤだ!」なんだけど、

①を書いた(観察し、考え、照らし合わせ・・)ら、

Vさんに対しての「イヤだ!」は、

自分に対しての「イヤだ!」だったことがわかったのだ。

それに気付かなかったので、Vさんに対して出て来たのだった。

耐え忍んでいる自分を「イヤだ!」と叫んでいる心の奥深くのもう一人の自分を

発見出来た。

Vさんの言動を「イヤだ!」としてる不快感を持った自分は消えた。

なので、Vさんに対面したときの自分から何が出て来るか、

対面したその時でないとわからない・・というのがあった。

けれど、なんだかそれだけでは済まないものを感じて、

書いて(観察し、考え、照らし合わせ・・)みたら、②になった。


①を書く前、ようするに、耐え忍んでいた時は、Vさんが癪に障ってた。

それが解消された。

(一時のことだろう、又むくむくとそれが頭をもたげてくる可能性は大だ)

ま、一時であっても私の不快感が解消されたら、それで終わりか・・・???

が、②を書いて浮かんで来たのだった。

私一人がハッピーになったらそれで終わりか・・・

自分さえよければいいのか・・・

VさんのことはVさんがやるんだけど、

私にも出来ることはある・・・私はキッカケになることが出来る。

(不快感がなくなった私・在るがままを受け取れる私)、そこから、

スタートして、することがあるのに、

それでゴールにしようとしてたんじゃないのか・・・

それが「一人で完結しようとしてた」というコトバに表れたのかと思った。


(Vさんの言動を非難している=それが在ることを否定してる)、

そういう自分は消えたけれど、

Vさんの自分さえよければいいというような言動は、

相手である私にとってもよくないはずで、

当然、それはVさんにとってもよくないことになる。


まだ、途中かも・・・