鈴木秀子さんという人の「死にゆく者からの言葉」
という本を読みかけている。
まだ三分の一ほども読んでいないのだけど、ここを読んだとき、
いきなり、嗚咽みたいに込み上げて来てしまった。
「母がなくなるとき、弟が『苦しいか』といい続けておりましたけど、
私は『苦しいねえ』といいかえさせました。
『苦しいか』といっている限り、
苦しむ人とそれを聞く人の二人がいます。
向こうとこちらというのではなく、
一緒の立場で共に感じることが大事だと思うのです」
・・という文章。
私の母も亡くなるその前苦しそうにしていた。
息をするのが大変そうだった。
そして会って15分くらいで亡くなってしまった。
前日も苦しそうにしていたという。
私に会うためにそんなに苦しみながら待っていてくれていたのに、
(それはわからないことではあるけれど、そう思っている)
そういう母の立場に立てなかった自分だった。
私は彼女みたいに母の側に立てなかった。
亡くなるその前というそのときの(今ここ)を生きてなかった。
そういう自分の傲慢さがどどーっと押し寄せてきて、
なんて奴なんだ!!と泣けた。
いま、こうして書いていても酷かった自分を味わっている。
という本を読みかけている。
まだ三分の一ほども読んでいないのだけど、ここを読んだとき、
いきなり、嗚咽みたいに込み上げて来てしまった。
「母がなくなるとき、弟が『苦しいか』といい続けておりましたけど、
私は『苦しいねえ』といいかえさせました。
『苦しいか』といっている限り、
苦しむ人とそれを聞く人の二人がいます。
向こうとこちらというのではなく、
一緒の立場で共に感じることが大事だと思うのです」
・・という文章。
私の母も亡くなるその前苦しそうにしていた。
息をするのが大変そうだった。
そして会って15分くらいで亡くなってしまった。
前日も苦しそうにしていたという。
私に会うためにそんなに苦しみながら待っていてくれていたのに、
(それはわからないことではあるけれど、そう思っている)
そういう母の立場に立てなかった自分だった。
私は彼女みたいに母の側に立てなかった。
亡くなるその前というそのときの(今ここ)を生きてなかった。
そういう自分の傲慢さがどどーっと押し寄せてきて、
なんて奴なんだ!!と泣けた。
いま、こうして書いていても酷かった自分を味わっている。