ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

置かれた場所で咲きなさい ②

2013-09-13 13:31:51 | ひとの幸福
この本はまだ読んでいない。

(いや、これは間違いでした。渡辺和子さんという人のだそうです。)

この本の名を新聞紙上で見たときに、的確な名だと勝手に思った。

だから、私が思っていることとその本の内容は全く違うものかもしれない。

私は現在夫と夫の父親との3人で過疎の村に暮らしている。

そこがいわば、今の私の置かれた場所なんだと思う。

「置かれた」という表現だけ聞くと、

花瓶が誰かの手によってそのテーブルに置かれた・・みたいに、

全くの受身でしかないように思われるけれども、

ここでいっている「置かれた場所」はそういうことじゃないのかと思ってる。

ここで暮らすことは自分の意志で決めた、というのはあるけれど、

そういう“自分の意志”という成り立ちを観ると、

それまでの人生で巡り会ったすべてと、

その時そのときの私の意志との相互作用で共に創ったもの。

なるべくしてそうなった、こういう言葉が一番ぴったり来ると思う。

そういう場所に私は居る。

これから先のことはわからない。違うところかもしれない。

でもそれはその時の私が置かれた場所になるのだろうと思う。

そういう置かれた場所で“咲きなさい”とはどういうことか・・・

私は本の名を見て、どうして的確だと思ったのか・・

こんなところに居るはずじゃなかったとか、

ここよりあそこに居る方がベターなんじゃないかとか、

ここよりもっと活躍できる場所があるんじゃないかとか、

今ここに居ることを否定した上でのそういう思いを持ちながら、

その場所に居ることはそこで咲くことにならない、

ということをいっているのか・・と思ったのだった。

(今ここ)に生きてない、思いを引きずったまま生きているのは、

置かれた場所で咲いてない、ということになるのかと思った。


でも、置かれた場所を、こんなところに置かれたくなかった・・

という思いになることだって、ひとはある。

そういう時は萎んでいればいい。好きなだけ萎んでいればいいと思う。

でも、ひとは萎んだままでは居られない。

自分も周りもそれを何とかしようとせずに、待っていればいい。

そういうことの上で、

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があるのかと思う。
コメント
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