ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

乖離・・このコトバは相応しくなかった

2013-09-19 17:53:03 | 日々の暮らし・思い出
昨夕のことだ。義父がNHKの相撲を見ていた。

私は台所で夕飯の支度をしていた。

おきのさと とか ことおうしゅう とか はるまふじ とかのコトバが聞こえた。

ことおうしゅう というコトバがどういう字だったか、

まるで浮かばなかった。

ことおうしゅう という音がその人を表わすということはわかっていた。

稀世の里その人が画面に出て来ても、名前がわからなく、

きせのさと というコトバを聞いてもどういう字なのかまるで浮かばなかった。

ただ音だけある、そんな感じになった。

ことおうしゅうのコトってどんな字だっけ?と夫に聞いて、

楽器の琴だと聞いても、「あ~あ~そうそう、そうだっけ」が出て来なかった。

画面の中のことが遠い世界、というか、

全体がもや~っとしてる感じだった。

いや、私の頭がぼや~っとしてたんだろう。

画面のこっちで夫が「どこそこにむかでがいた」と言った。

私が「むかでって?」と言ったら、

あんたが前に刺された奴だよ、と夫が言った。

むかで というコトバを聞いてもその姿が浮かばなかった。

でも、虫だということは夫の返事でわかった。

自分でむかでむかでむかで と言ってみたけど、

現実感がなかった。

大丈夫かなと思った。

どういう現象なんだろう???と思った。

固有名詞とか虫の名前とそのものとが乖離してる感じで、

相撲をやってる、とかいうことはわかった。

頭がおかしくなったのかと思った。

そのとき、頭が痛いというのもあった。

頭のどこかの血管が切れたんだろうか・・?とも思った。

暫くしたらいつもように戻ったんだけど。

何年か前にも同じようなことがあった。

知ってるその人がナンタラさんだと聞いても、

(そうそう、そうだった)にならなかった。

認知症もこういう感じから始まるのかな。

もしそうなら、よ~く観察して「ムカデさんの認知症日記」にしよう。

・・と書けるくらいの元気はいまある。



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ひと 花 わたし

2013-09-19 12:49:47 | ひとの幸福
花を見て美しいと思っているその心は美しい。

人を見て美しいと思えるとき、その心は美しい。

ひとのことがいや~な感じ、悪く見えるとき、その心は美しくない。

ひとのことがいや~に見える、悪く見えるときは、

自分の在るがままの心を無意識のうちに我慢してる。

自分の在るがままの気持ちを無視してる。見てやってない。

花は私で、ひとは私だ。

花にもなるし、汚いごみにもなる。
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