昨夕のことだ。義父がNHKの相撲を見ていた。
私は台所で夕飯の支度をしていた。
おきのさと とか ことおうしゅう とか はるまふじ とかのコトバが聞こえた。
ことおうしゅう というコトバがどういう字だったか、
まるで浮かばなかった。
ことおうしゅう という音がその人を表わすということはわかっていた。
稀世の里その人が画面に出て来ても、名前がわからなく、
きせのさと というコトバを聞いてもどういう字なのかまるで浮かばなかった。
ただ音だけある、そんな感じになった。
ことおうしゅうのコトってどんな字だっけ?と夫に聞いて、
楽器の琴だと聞いても、「あ~あ~そうそう、そうだっけ」が出て来なかった。
画面の中のことが遠い世界、というか、
全体がもや~っとしてる感じだった。
いや、私の頭がぼや~っとしてたんだろう。
画面のこっちで夫が「どこそこにむかでがいた」と言った。
私が「むかでって?」と言ったら、
あんたが前に刺された奴だよ、と夫が言った。
むかで というコトバを聞いてもその姿が浮かばなかった。
でも、虫だということは夫の返事でわかった。
自分でむかでむかでむかで と言ってみたけど、
現実感がなかった。
大丈夫かなと思った。
どういう現象なんだろう???と思った。
固有名詞とか虫の名前とそのものとが乖離してる感じで、
相撲をやってる、とかいうことはわかった。
頭がおかしくなったのかと思った。
そのとき、頭が痛いというのもあった。
頭のどこかの血管が切れたんだろうか・・?とも思った。
暫くしたらいつもように戻ったんだけど。
何年か前にも同じようなことがあった。
知ってるその人がナンタラさんだと聞いても、
(そうそう、そうだった)にならなかった。
認知症もこういう感じから始まるのかな。
もしそうなら、よ~く観察して「ムカデさんの認知症日記」にしよう。
・・と書けるくらいの元気はいまある。
私は台所で夕飯の支度をしていた。
おきのさと とか ことおうしゅう とか はるまふじ とかのコトバが聞こえた。
ことおうしゅう というコトバがどういう字だったか、
まるで浮かばなかった。
ことおうしゅう という音がその人を表わすということはわかっていた。
稀世の里その人が画面に出て来ても、名前がわからなく、
きせのさと というコトバを聞いてもどういう字なのかまるで浮かばなかった。
ただ音だけある、そんな感じになった。
ことおうしゅうのコトってどんな字だっけ?と夫に聞いて、
楽器の琴だと聞いても、「あ~あ~そうそう、そうだっけ」が出て来なかった。
画面の中のことが遠い世界、というか、
全体がもや~っとしてる感じだった。
いや、私の頭がぼや~っとしてたんだろう。
画面のこっちで夫が「どこそこにむかでがいた」と言った。
私が「むかでって?」と言ったら、
あんたが前に刺された奴だよ、と夫が言った。
むかで というコトバを聞いてもその姿が浮かばなかった。
でも、虫だということは夫の返事でわかった。
自分でむかでむかでむかで と言ってみたけど、
現実感がなかった。
大丈夫かなと思った。
どういう現象なんだろう???と思った。
固有名詞とか虫の名前とそのものとが乖離してる感じで、
相撲をやってる、とかいうことはわかった。
頭がおかしくなったのかと思った。
そのとき、頭が痛いというのもあった。
頭のどこかの血管が切れたんだろうか・・?とも思った。
暫くしたらいつもように戻ったんだけど。
何年か前にも同じようなことがあった。
知ってるその人がナンタラさんだと聞いても、
(そうそう、そうだった)にならなかった。
認知症もこういう感じから始まるのかな。
もしそうなら、よ~く観察して「ムカデさんの認知症日記」にしよう。
・・と書けるくらいの元気はいまある。