昨日、なんとなくいろんなことを家事をしながら考えていたみたいな、その時、
タイトルに書いた文章が浮かんだ。
青い本の 『四 要約』にあるもの。
「・・・理想社会を造ることを喜びとして活動する人で・・・・
・・生命をそれにもっとも効果的に打ち込んで、
代償は理想社会実現以外何物もない自覚に立つものです。
但し、これは個人の自由意志によるもので、
家族や周囲の人でも共鳴しない者迄も、
巻き添的犠牲者にしては不可です。・・・」
この中の最後(・・・不可です)という奇妙な表現。
何年も前にこれを読んだときは、(不可です)を自分勝手に、
「してはいけない」みたいに読み取っていたな、と
昨日、この表現を思い出しているときに気が付いた。
不可です・・とは、可能ではない ということ、不可能ということなのか・・
私が以前に解釈してた、(してはいけない)は、
そのこと自体が可能であるという前提があるけど、
不可です は そういうことは出来ない、と言い切っている・・のではないか。
事実として在り得ない、ということなんじゃないか・・
巻き添え的犠牲者になることは在り得ない、と云っているんじゃないか。
この文章全体、彼の伝えたいことを察すると、
「家族や周囲の人でも共鳴しない者までも、
理想社会実現を共にする人になってしまう」・・ということを云っているんじゃないか。
青い本全体から観てもそんなふうにしか解釈できない。
タイトルに書いた文章が浮かんだ。
青い本の 『四 要約』にあるもの。
「・・・理想社会を造ることを喜びとして活動する人で・・・・
・・生命をそれにもっとも効果的に打ち込んで、
代償は理想社会実現以外何物もない自覚に立つものです。
但し、これは個人の自由意志によるもので、
家族や周囲の人でも共鳴しない者迄も、
巻き添的犠牲者にしては不可です。・・・」
この中の最後(・・・不可です)という奇妙な表現。
何年も前にこれを読んだときは、(不可です)を自分勝手に、
「してはいけない」みたいに読み取っていたな、と
昨日、この表現を思い出しているときに気が付いた。
不可です・・とは、可能ではない ということ、不可能ということなのか・・
私が以前に解釈してた、(してはいけない)は、
そのこと自体が可能であるという前提があるけど、
不可です は そういうことは出来ない、と言い切っている・・のではないか。
事実として在り得ない、ということなんじゃないか・・
巻き添え的犠牲者になることは在り得ない、と云っているんじゃないか。
この文章全体、彼の伝えたいことを察すると、
「家族や周囲の人でも共鳴しない者までも、
理想社会実現を共にする人になってしまう」・・ということを云っているんじゃないか。
青い本全体から観てもそんなふうにしか解釈できない。