形ある物は壊れる。変化する。
じゃあ、形の無いものは壊れないのか?という?が浮かんで来る。
「形あるものは壊れる」という言葉がわざわざ存在するということで考えると・・・
(形の無いもの)は私たちからはそのものが見えないものと言っていいと思う。
空気とか風とか酸素とか匂いとか雰囲気とか気風とか・・・
ひとの意識も。
或る意識が在ることによってそれが形となって現れる、ということはあるけど、
意識自体は形が無い。
かといって、壊れない・変化しないわけじゃない。
壊れるし、変化する意識はたくさんある。
心ころころで、空腹だと美味しく感じ、
満腹だと美味しく感じないなど、
そういった感想のような意識は壊れるし?変化する。
可愛い我が子でも可愛いと思うこともあれば、
憎たらしいと思うこともある。
そういうのは形の無いものでも変化するといえる。
(形あるものは壊れる・変化する)という“思い・認識・意識”は壊れない。
(形あるものは壊れる・変化する)このことが例外なくそうである、
のが事実だから、
事実に則した認識は壊れない、といえるんじゃないか。
書いてて今、ここで思った。
変化するということ自体が変化しない、
ということが不安定の安定ということなのか??
この前書いたのと同じことか???そうかもしれない。
・・脱線です。
それ以外にどんな意識が、壊れないか・・・?
「ひとは元来、幸福という存在である」という認識が、
これがそうなのではないか・・・???
だからこそ、相対性の世界の中で、そうなっていないと感じると
それを求めるものなのだろうと思う。
人間はそう云う者で在る。そういうものとして存在している。
そのことは、その事実は、変化しないものではないか。
ひとや場合によっては、そんなふうに思えないことがあるかもしれないけど、
例えば実際は男なのに女にしか見えないということがあるように。
ひとというものがそういう元々幸福な“存在である”
・・・コレは変化しないんじゃないか。
さっきのと同じで、事実に則しているところの認識は壊れない。
・・・そうではないか。
そういう軸さえ持っていれば、そういう動かぬ認識があれば、
そこから考えられるし、
人間のいろいろな不幸を呼ぶ言動が起こることも納得できる。
青い本の彼が、
「人生は快適で当たり前」という私共の人生観から言っているもので・・
・・とかなんとか云ってる文章も、そのことを云っているのだろう。
その人生観は変化しない本物。事実に則してるから。
じゃあ、形の無いものは壊れないのか?という?が浮かんで来る。
「形あるものは壊れる」という言葉がわざわざ存在するということで考えると・・・
(形の無いもの)は私たちからはそのものが見えないものと言っていいと思う。
空気とか風とか酸素とか匂いとか雰囲気とか気風とか・・・
ひとの意識も。
或る意識が在ることによってそれが形となって現れる、ということはあるけど、
意識自体は形が無い。
かといって、壊れない・変化しないわけじゃない。
壊れるし、変化する意識はたくさんある。
心ころころで、空腹だと美味しく感じ、
満腹だと美味しく感じないなど、
そういった感想のような意識は壊れるし?変化する。
可愛い我が子でも可愛いと思うこともあれば、
憎たらしいと思うこともある。
そういうのは形の無いものでも変化するといえる。
(形あるものは壊れる・変化する)という“思い・認識・意識”は壊れない。
(形あるものは壊れる・変化する)このことが例外なくそうである、
のが事実だから、
事実に則した認識は壊れない、といえるんじゃないか。
書いてて今、ここで思った。
変化するということ自体が変化しない、
ということが不安定の安定ということなのか??
この前書いたのと同じことか???そうかもしれない。
・・脱線です。
それ以外にどんな意識が、壊れないか・・・?
「ひとは元来、幸福という存在である」という認識が、
これがそうなのではないか・・・???
だからこそ、相対性の世界の中で、そうなっていないと感じると
それを求めるものなのだろうと思う。
人間はそう云う者で在る。そういうものとして存在している。
そのことは、その事実は、変化しないものではないか。
ひとや場合によっては、そんなふうに思えないことがあるかもしれないけど、
例えば実際は男なのに女にしか見えないということがあるように。
ひとというものがそういう元々幸福な“存在である”
・・・コレは変化しないんじゃないか。
さっきのと同じで、事実に則しているところの認識は壊れない。
・・・そうではないか。
そういう軸さえ持っていれば、そういう動かぬ認識があれば、
そこから考えられるし、
人間のいろいろな不幸を呼ぶ言動が起こることも納得できる。
青い本の彼が、
「人生は快適で当たり前」という私共の人生観から言っているもので・・
・・とかなんとか云ってる文章も、そのことを云っているのだろう。
その人生観は変化しない本物。事実に則してるから。