知ってるようで知らない日本語・・・という本

2005-10-02 23:00:57 | 折りに触れ思うこと
言葉の語源、意味を定説に基づき多様な引用で説明しているのですが、その形容と最後の決め言葉が実に主観的で、思わずうそっ?ホント?と笑えてしまう面白い読み物です。

「そつがない」~何がないのか?
高校野球で、四球のランナーが出ると、すかさず盗塁しバントで三塁まで進め、犠牲フライで一点を取る。解説者がもっともらしい顔をして“そつのない攻撃ですね”と誉めあげるが、見ている方はあまり面白くない。野球に限らず、人間でも、失敗や無駄があってこそ興味もわくし、面白みも出てくると云うものだ。この失敗や無駄のことを「そつ」と言う。それがないのだから、「失敗がない」「無駄がない」と言うことになって、決して悪い評価ではない。
ところが、「失敗は成功の母」と言うように、「そつがない男」は、どうも小粒に見える。

「如才ない」~「如才」とはどんな才能か
人間、あるがままに生きよというが、これほど難しい生き方はあるまい。他人に気を遣わずに“ケ・セラ・セラで生きられたら、さぞ楽しいことだろう。
このケ・セラ・セラを中国語で云うと「如在」となる。あるがままだから“手抜かり”もある。
この“在”“才”の字になって「如才ない」と言う言葉が使われるようになった。
手抜かりがないのだから、“気が利く”と言うことだが、とかく「如才ない」
男は信用できないなどといわれる。
もう一度「如在」の初心にかえりたいものだ。

こんな風に、一つの言葉の説明にこんなに長いコラムのような説明が付いています。