北海道新幹線開業から1年、韓国セウォル号沈没から3年、ニュースを見てもうそんなに経ったのかないう感じ。 事件、事故を含め社会で起きている出来事の経過の年月を早いと感じたり遅いと感じたりするのは、日常の時の経過の感じ方と同じなのだろうか。 もうそんなに経った?と感じるのと、もう随分経ったように感じるのと、不思議な思いがある。 報道される殆どの出来事は、自分には直接関係しない他人事、実際に自分の身に起きたらどう感じるのか分らないけれど、どんな出来事でも時の流れの中で置き去りにされ、人々の記憶の中では過去へと遠のいていく。 風化・・・・・・だから人は生きられる、どれもこれも鮮明に覚えていたら辛すぎる。 当事者になった事がないから言えるのかもしれない。
来年は母の7回忌、そんなに経ったという気がしない。 私しか知らない2日間の生死を鮮明に覚えているし忘れない。