【折節の移りかはるこそ】 ~第十九段
(一)
折節(をりふし)の移りかはるこそ、ものごとに哀(あはれ)なれ。
「もののあはれは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮きたつものは、春の気色(けしき)にこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、垣根の草もえいづるころより、やや春ふかく霞(かすみ)わたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも雨風うちつづきて、心あわただしく散り過ぎぬ。青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそおへれ、なほ、梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり恋しう思ひいでらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひすてがたきこと多し。
(現代語訳)
季節の移り変わりというのは、何かにつけて趣のあるものだ。
「しみじみとした情緒は、何と言っても秋がまさっている」と、誰もが言うが、たしかにもっともだと思うものの、今一段と心が浮き立つのは、春のようすであるようだ。鳥の声などもことのほか春めいて、のどかな日の光に、垣根の草が萌え出すころから始まり、次第に春が深まっていき霞が一面にわたって、桜の花もだんだんと咲き出そうとする、ちょうどその折に雨や風が続いて、あわただしく散っていく。その後、青葉になっていくまで、いろいろと気ばかりもんでしまう。橘の花は昔から親しくした人を思い出させる花として有名だが、やはり私にとっては梅の香りによって、過去のこともその当時に立ち返って懐かしく思い出される。山吹が美しく、藤の花房がぼんやりとしたようす、それらすべてに私なりの思いがあり、感慨を断ち切ることができない。
朝の冷気が心地よい季節になりました。
そして、うら悲しい季節になりました。
まさに心浮き立つのは春の景色・・・遠いなぁ~
(一)
折節(をりふし)の移りかはるこそ、ものごとに哀(あはれ)なれ。
「もののあはれは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮きたつものは、春の気色(けしき)にこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、垣根の草もえいづるころより、やや春ふかく霞(かすみ)わたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも雨風うちつづきて、心あわただしく散り過ぎぬ。青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそおへれ、なほ、梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり恋しう思ひいでらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひすてがたきこと多し。
(現代語訳)
季節の移り変わりというのは、何かにつけて趣のあるものだ。
「しみじみとした情緒は、何と言っても秋がまさっている」と、誰もが言うが、たしかにもっともだと思うものの、今一段と心が浮き立つのは、春のようすであるようだ。鳥の声などもことのほか春めいて、のどかな日の光に、垣根の草が萌え出すころから始まり、次第に春が深まっていき霞が一面にわたって、桜の花もだんだんと咲き出そうとする、ちょうどその折に雨や風が続いて、あわただしく散っていく。その後、青葉になっていくまで、いろいろと気ばかりもんでしまう。橘の花は昔から親しくした人を思い出させる花として有名だが、やはり私にとっては梅の香りによって、過去のこともその当時に立ち返って懐かしく思い出される。山吹が美しく、藤の花房がぼんやりとしたようす、それらすべてに私なりの思いがあり、感慨を断ち切ることができない。
朝の冷気が心地よい季節になりました。
そして、うら悲しい季節になりました。
まさに心浮き立つのは春の景色・・・遠いなぁ~