天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

心と生活と言葉

2020-01-28 09:14:00 | 運命と生活

2020・01・26、天地の教導
[三脚の生活]

『天地の道と共にある』とは、卑近なことばで『二人三脚という表現』があります。

『夫婦二人三脚』『親子二人三脚』そして、合掌の心で二人三脚の道をいくことです。

如何なることに直面しようとも、『三脚の道をまもる』ことが、そのまま『天地の道をあるく』ことになります。

具体的には、『心の三脚、行為の三脚、言葉の三脚』『この三つの三脚の生活』を守りさえすれば、幸せが開けると言われています。天地の道と交わることほど大切な道はありません。幸せの道もないでしょう。

『天地の道と三脚の絶対性』のその鍵は、『心の使い方、生活の仕方、言葉の使い方、』に隠れる一貫した真理は、『今という時間と空間が、存在している』ことです。だからこそ、永遠の幸せが保証されるものです。やります!


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精神と行為

2020-01-28 09:10:00 | 新陳代謝

2020・01・25、天地の真理
[早業の道とは]

文学少年の私は本の虫でした。何かから逃げるように、貪ぼり読んだものです。

歳月はながれ、昨年末、2回目の尾道をおとずれました。
特に尾道の文学の小道では、懐かしい作家の林芙美子、極貧に育ち転々と転校したそうです。その心情を詠んだのが、次の短歌です。

『花のいのちは短くて 苦しきことのみおおかりき』生きていくことの苦しさが、滲んでいます。

それでも、生きている人間はその苦の中にあっても、常に動き続けて、感念の動き(精神) 身体の動き(行為)をやめるわけにはいきません。

『自然な動き、不自然な動き』これらと、『早業と関係』があります。不幸せや病気は『早業の下手な人』の身の上に生まれます。

『早業』とは、一切の行為を素早く巧みに処理することです。

『早業に自信を持つ人』は、多少の邪気、邪念、が生まれようとも、一瞬の時をおかず、早業をもってすればよいのです。不幸せや病いの種を残さず、幸せの門はひらかれます。

つまり、『早業とは、気の切り替へをはやくする』『行為の切り替へを敏速にする』林芙美子の家族も、早業の道をお伝えしたかったものです。やります!

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神の御供物

2020-01-28 09:06:00 | 新陳代謝

2020・01・24、天地の公道
[懺悔は神の食なり]

人生には浮き沈みがつきものです。ことがうまく運ぶときと、何をやってもうまくいかないときがあります。

そういうときは、『合掌の心で自分を見つめ、自分を見失っていないか』日ごろの生活ぶりを振り返り、『自分の生活を心の鏡に写してみる』のです。

きっと『我が出ている』はずです。きっと、[人は見ゆれど我は見えず]で、自分のことは意外とわからないものです。

『反省もそれに対しての懺悔』も手ごころを加えがちです。
しまったと思い感じるならば、素直に自分から頭を下げ、申し訳けなかったと、懺悔すべきです。

その懺悔(ざんげ)の行為行動こそ『神の食である』とあります。神守られる最高の御供物であります。

一般的に人は自分の過ちは認めたくはありません。だからこそ、潔ぎよく言い訳けをせず、懺悔の念から生まれるのが感恩感謝です。やります!

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かなぐり捨てる

2020-01-28 09:02:00 | 新陳代謝

2020・01・23、生活と運命
[憎み咎めを 事情をかなぐりすてる]

『かなぐり捨てる』この言葉は、方言かな。と思いましたが、辞書をひもとくと、(衣類を乱暴にとってすてる)(大事なものを思い切ってすてる)(恥も外聞も捨てる)とあります。

憎み咎めは、悪感情の代表ですが、実は天地のもっとも嫌うところです。人間の心の奥には命の秤りがあり、憎み咎めするたびに、その秤が反応するようにできています。

憎み咎め、そのものに不快な反応をしめします。しかも、原因を相手のせいにしている限り、気分はかわりません。

『命が不快に感じること』『命が喜ばないこと』は、天地から離れているからです。事情の大小にかかわらず、たとえ自分に非がなくとも、合掌の心で落ち着いて、よくよく己が心中を覗かなければなりません。

そして、しあわせの門を開くために、『憎み咎めの事情をかなぐり捨てる』のです。これを『素早い切り替え』といいます。そこから、和解が見えてきます。『焦らず、怒らず、諦めず』に己が心に挑戦を。やります!

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拝む気持ち

2020-01-28 08:58:00 | 信仰

2020・1・22、天地と神
[人を無視しては 自分は成り立たない]

人は何か願いがあれば神仏にもすがり、目を向けるものです。
特に難病や、仕事上の行き詰まりなどでは、命がけにもなるものです。

しかし、神に直接助けてもらおうと、思ってもおかげはありません。それは非常に迷信的です。しかし、門をくぐるだけでも、殊勝(しゅしょう)な行為かもしれません。

御神尊様は、『神のことを思うより』『人を家族を神と思い、神を拝む気持ちで人を拝み』『常に人の懐に飛び込んでいく』ことが、『神を拝むことになる』といわれます。

この理(ことわり)のために、20年の歳月をかけて修行されたのです。神と尊称していますが、天地におきかえてみれば、『人を粗末にして』は、この広い天地に身の置き所がなくなるのも当たり前です。

『天地はすべてに溶け込むはたらきがある』からです。『夫を、妻を粗末』にして、幸せがあろうはずがありません。やります!

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2020/01/28

2020-01-28 08:54:00 | 運命と心

2020・01・21、こころと運命
[良心が咎めたら 素直にあやまる]

お金や物は幸せの一部ではあっても、基礎とはなりません。
幸せの本体は、人と円満に日暮らしする、こころの世界にあります。

ところが、人間関係は妙に些細なことほど、対立したり、喧嘩になったり、嫌ってみたりします。

御神尊様は、人間はそんなに簡単に変われるものではない、とも言われています。ついつい甘えて見たくなることばです。

『言いたかったら言え、腹が立ったら立てろ』ただし、そのあとで言い過ぎた、少し腹を立て過ぎたと、良心が咎めたら素直にあやまること。

人の心は善悪両方があり、心の使い方次第で引出され、その日その日の運命が決まっていきます。

運命のほとんどは、家庭の雰囲気で左右されます。職場で対立関係が生じても、家で家族が優しく慰めてくれれば、気持ちの整理がつくものです。うちでの慰め合いでそとの事情は、必ず解消するものです。やります

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2020-01-28 08:51:00 | 生命力

2020・01・20、天地の公道
[いつも変わらぬ、陽の光かな]

最近は、飛行機に乗る機会がなくなりました。年令と共に活動の場所が限られてくるわけです。

雲間を抜けて上昇すると、風雨の烈しさも、どこへやら見わたすかぎりの快晴です。

生活に当てはめれば、取り巻く環境がいかに苦難に満ちていても、変わらざる陽の光ではありませんか。

そのような変わらざる陽の光のように、明るい安らぎの人生を生き抜きたいものです。

生命は、陽光を必要としています。
私たちの霊もまた光が不可欠です。
神殿の燈明をともし、合掌で光を受け、ここに生命の躍動がつむぎだされていくのです。

[晴れ曇り 光は雲のしわざにて いつも変わらぬ陽の光かな]

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