2020・5・27、天地の慈悲
[よろこぼうとすれば 私たちの前には
山ほどよろこびのタネがある] (よろこびシリーズ❹)
幸せな生活を送っていても、[自らよろこび、人をよろこばせ、共によろこび共に楽しむ]
これが肝心と、念をおされるみ教えです。
私たちは、苦しいときに他のものと比較する傾向があります。
そして今を喜ぶと思えば、ほとんどが落ち込んで嘆く傾向にあります。
何故なのか?
それは今よりももっと素晴らしい喜びがありそうな気がするからです。
考えてみれば目の前に大きなよろこびが、落ちているはずもありません。
だから得られない現実を悟ったときの、落胆のほうが大きなものになります。
そして、目の前にある喜びも、失うことになるのです。
目の前をしっかり見てください。見る角度で大きな喜びの種があるではありませんか。
足元の恵まれたひとつひとつの事柄を見つめ直してみましょう。
身近な喜びが発見できずに、大きな喜びが見えるはずもありません。
身近なよろこびがみえないということは、自分の幸せが足元から崩れていくことになります。
それだけはごめん被りたいものです。やります!