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元年、5・10、合掌と信仰※2
[人の前の拝みは、不浄を忌まず]
御神尊様の凄さは、20歳から運命の問題に取り組み、修行の結果《不幸病気は人間を離れたところには、、運命を開く道はない》と、悟られたことです。そして《今、ここの時間と場所で、なにを考えて、なにをしているかで、運命は決まる》
つまり《あなたが運命を製造している》ことを、長い臨床実験の末に、発見されました。
今朝は、神の前での精進潔斎(しょうじん、けっさい)。つまり、心身を綺麗にして拝むというのが、古来から求められてきた祈りです。しかし、そのような合掌礼拝からのみ、幸せが生まれるわけではないことを、御神尊様は教えられました。
25歳の青年を、肺結核から助けたとき、『お前の身体は、病から、助かったとはいえ、衰えてしまっている』『今後、3年間、いかなることがあろうとも』『絶対に、怒ってならん』『咎めてはならんぞ』『引っかかってはならんぞ』『約束できるなら、必ず健康体になれる』と、言葉をいただきました。
農家の働き手の青年は、さまざまなかげ口を耳にしながら、御神尊様との約束を、命がけでまもりました。時に、『腹が立つ、咎めそうになる』と、そのまま、畑の中にすわりこんで、『気持ちが、切り替わる』まで、祈り続けました。
その努力のおかげで、立派に健康体をとりもどしました。
つまり、『ご神殿の前だけに、神がいる』わけではありません。『どんな、時間、場所にいても』『どんな格好でいても、人の前の祈りこそ、神に通じる祈り』です。そして、『幸福、健康の生まれどころ』でもあります。
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