天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

3/18 祈りと奉仕

2019-03-21 08:58:41 | 運命と生活


31・3・18、病と生活 [心悩めば、肉が病む]


ある方が、坐骨神経痛と診断されました。働きすぎで、過労が原因と思っていました。
ところが、御神尊様は、『心が運命を支配するのであるから、心悩めば、肉病む』そして『健全な精神を持つことによって、肉体も健全になる』と教えられ、『心と生活の仕方に改善』を求められました。

その方は、自己中心で、よく物を考えなかったので、人間関係の対立は抜き差しならない状態に、立たされることがありました。しかも、不眠不休の生活で、家族を養うために憑かれたように働き、遊びも趣味もなく、堅いことが、真の人間らしさと思っていました。
しかし、この道に出逢い、とにかく家族の為にも、健康を取り戻さなければならない。
どう生活にいかすのか? 自分自身を見つめました。
相手の立場におきかえ、相手の身になって考えてみる事から始め、相手は自分のすがたの鏡と思えるようになりました。
そして
❶仕事に捉われず、家族と対話のゆとりを持つ。
❷仕事は何でも、1人でやろうと力まず、人の能力も素直に認め、人を活かす。
❸今やれる事から、ひとつずつかたずけ、残りは明日でもと、のんきにかまえる。

要するに、仕事と休息のバランスを上手にとる。と、おしえられたのです。そこから、人生観はかわりました。
薄紙を剥ぐように、健康を取り戻しました。言うまでもなく、
祈りと奉仕で、家族や人様への心使いを重ねていきました。
病いと性格の問題も、朝の言葉に潜在しています。


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3/17 自分の評価は?

2019-03-21 08:49:27 | 神と人


31・3・17、神と運命[常に、神を見ながら、我を見よ]

昨日の言葉を、より信仰面から、具体的にいうと『己を省みず、神を拝まず』
おかげのみ頂くのは、なかなかないことですね。

いのちの親様、神を見つめということは、教えを手本に生き方を考え、時により軌道修正、生き甲斐ある人生にシフトする努力にあります。

ところが、なかなか自分を見つめる習慣は身につかないものですね。
これが、身につくと楽しいものです。

買い物をした友人が〈とても待たされた〉と言います。
〈予約をしていたのに、あの店員はさばけない〉と評価をしていました。
自分が日頃仕事ができなくても、自分の立場がお客様だと、店員さんの仕事振りを、批判するのです。
自分の評価は忘れて、「あの店員は仕事がさばけない」には、考えさせられました。
自分を見つめ、自分の足らない部分を補う努力さえ、怠らなければ、幸せはあきらかですね。

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3/16 心の重さ

2019-03-21 08:42:58 | 運命の認識


31・3・16、神と運命 [下を見るより、天を見よ]

江戸時代の、身分制度の言葉と誤解されないように。上みて暮らすより、下みて暮らせと、差別の言葉がありましたね。

天は『人間世界を突き抜けて、幽なる世界から、神は常に見守ってくれている』ことを、
下は、『迷いの淵をさまよう、悩ましい日々の姿』だと、表現されています。

冗談で、そんなに下を見てあるいても、金は落ちてないなどと、チャカされたものです。
悩み、苦しみは、体に現れます。本人は気ずかず、顔はどうしても、頭の重さで下がりますね。気力が萎えているからですね。というのは、『体の問題ではなく、心の重さのこと』を言っています。神は、救いの手を差し伸べているのに、本人たちが下を見ていたら、助けようがありません。

こうも、言われてます。[神は、必ず、天のごとくあれと諭し給わん]
見上げてみると、『青いすき透る大空のように』『おおらか』で、『天の大地を慈しむ恵みのように』『囚われず、悩まず、こだわらず、明朗、快活』なのです。

『ここを、見よ。ここを、真似よ』
『とにかく天に頭をもたげて見よ』必ず神の救いありです。

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3/15 今の列車に乗る

2019-03-21 08:35:13 | 運命の認識


31・3・15、天地自然と運命
[自然の大きな力で、しっかり締めくくられている]

おはようございます。
人間は、自分に有利なように、日々心を働かせて、生活しています。
『自分をよく見せたい、』『悪く思われたくない、』『嫌われたくない。』などの、自意識が強くて、行く道の前途を躊躇(ちゅうちょ)して、決断に臆することもあります。

良い結果を期待しながら、心を砕くことが、裏目、裏目に出るのが、悔しくてなりませんね。
御神尊様によれば〈この世の中は、人間の力では、どうすることもできないことがある〉といわれます。

それは〈天地の運行〉の中で、『生きて、生かされている』からです。おおかたの人は、天地運行の存在に気付かず、平気で自分の心を、気の向くままに使います。

ある時は過去に停滞し、またあるときは、先の先まで心配し、『あなたのいのちは、一体どこにある?』常に、悩ましいことに今の時間を過ごすのです。
『今のいのちが見えていない』のです。
将来の心配は一切捨てましょう。
『今のやることに、喜んで全力を注ぐこと』が、天地の運行に乗っかる道です。

天地の運行に、乗り遅れれば、必ず苦悩に包まれることになります。
無賃乗車でもいい、今の列車にとにかく飛び乗ることです。

その車内は自由に満たされています。
『円満で、仲良く、心が弾む、』車内です。
それが、自然にしっかり拘束されている姿です。


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3/14 人生大安心

2019-03-14 15:28:30 | 信仰と生活


31・3・14、信仰と運命
[自ら助かれ]

あなたの『身体も、あなたの心も』あなたのもの
あなたの『喜びも、悲しみも、幸、不幸も、健康、病気も、一切』が、あなたが作りだした、あなたのもの。

不幸病気に悩む、あなたが、もしもいたならば、まずは振り返り、
『反省によって、悩みの原因を発見』し、
『懺悔と改善』によって、『自らたすかる』ことに、努力しなければならりません。

『反省と、懺悔、と改善』は、御神尊様が、いついかなる時でも、この道さえ踏み行えば、必ず運命を開くことができると、お示しになられた道です。
素直に自らの心中を点検してください。
『憎み、咎め、囚われ』の前に進めません。
心の重しを自らの実行力で、訣別することが、『自ら助かれ』の始まりです。

それが『自ら助かるとともに、神に助けられる道』です。
人生大安心、神の大きな慈愛につつまれるでしょう。
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3/13 家づくり

2019-03-14 15:22:16 | 運命と生活


31・3・13、生活と運命
[心、ゆたかな家作り](大人が変わらねば)

なぜ、いま、こころ、豊かな家作りなのか。
社会を見渡す時、周囲の環境は、隣国との対立。国内は、親子の乱れ、家庭の不和などと、キリがありませんね。乱世の感があります。

だからこそ、この道による、家作りをさけびたいのです。
❶夫婦愛が基本に、父性と母性の役割分担を適切に。
❷片親の場合は、父性と母性の使い分けと、おぎないを。
❸兄弟姉妹は、分家しても、キズナを切ることなく。
❹嫁姑の関係に、労りと、やさしさで、義理を越える。
❺結論は、徹底的に対話と合掌の信念を。

上記を、柔らかく、通訳すれば、
1、きよらかー感謝
2、しっかりーやります
3、さわやかー挨拶
4、やさしくーどうぞ
5、すてみでー祈る

実行にはいつも、問題を生じますが、とりあえず、ひとつにこだわるのです。
(一念万映、一点突破、全面展開)など、フルイ表現ですが、真理ではありますね。
家は(生まれる所、生きる所、死ぬ所)
家庭は(いのちと霊のよりどころ)この環境こそ、(末代の運命をひらく)ものです。
こだわって、こだわって環境作りです。

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3/12 生月島

2019-03-14 15:17:17 | 沿革


(31・3・12、沿革、捨て身、生月 [腕力捨て身の祈り]

ずいぶん、沿革から離れていました。御神尊様には、『20年の行中』『7回の捨て身の祈り』がありました。次のようなことです。
❶桑鶴、捨て身の祈り(天山)
❷水行、捨て身の祈り(熊野)
❸腕力、捨て身の祈り(生月島)
❹捨て身の行、捨て身の祈り(平戸)
❺千里大行、捨て身の祈り
❻レンガの行、捨て身の祈り
❼百度詣り、捨て身の祈り(原田)

長崎県生月島では、月に1回渡られて、布教に当たられていました。ある日のこと、島1番の大男で、暴れん坊の男があらわれました。御神尊様が、ウワサ通りの方か、真偽を確かめにきたのです。
一目でそれと見抜いた御神尊様は、横柄な態度の大男の前に、仁王立ちになりました。そして、有無をいわさず、いきなりコブシで殴りつけられました。これには、一瞬、男の目の色がかわりましたが、御神尊様のケイケイたる眼光に、射すくめられてその場に、へたりこんでしまいました。

実は、彼は子供の病気を抱えて苦しんでいたのです。その男の正体を見抜き、人に迷惑をかけ、家族に心配を重ねてきた人生を、コンコンと諭されました。涙ながらに改心した、結果、子供も助かることになりました。

御神尊様の、厳しさの中の、慈悲に触れて、父親の情にめざめたのです。しかし、御神尊様は、彼に、頭を下げて、『あなたを、いきなり叩いたのは、見たところ、素直に話しはきいてはくれまい』と、『命がけで叩いた、もし叩き返されたら、いのちはなかったろう。本当に済まなかった』と謝りました。

のちに、生月の方々に、『宗教家がいかなることのあろうと、叩いたり、殴るのは、まちがいである。』『わたしの、行の汚点である、どうぞ、忘れていただきたい』といわれました。
あくまで、謙虚な生き神様でした。御歳、35歳頃。

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3/11 神の化身

2019-03-11 18:45:03 | 神と人


31・3・11、愛と神 [神は愛そのものにして]

『神は愛そのもの』です。

『神は、けして、憎み、とがめをされません』
だから、『あなたが神を忘れ、信仰を忘れ、切れて離れよう』と、神の方には、絶対にそれがないのです。神はいつも、いつまでも、あなたから離れることはありません。
あなたも、神の化身そのもの、愛念は無尽蔵です。


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3/10 人の為にこそ

2019-03-11 18:40:06 | 運命と病


31・3・10、愛と信仰生活
[我を愛するがゆえに、人を愛する]

下語が、[人を愛することが、我を愛することになる]と、続きます。
私の家庭環境は、叔父に叔母、のちの両親、祖母を加えて、
食べていくために、家族中が働きずくめでした。経済的には、苦労が報われて、豊かな生活を実現しました。

しかし、いつのまか、目の前から、『相手を労わる言葉、ねぎらう態度』そして、なによりも、『笑顔が疲れと引き換え』に、すがたを消し、二度と戻ることは、ありませんでした。

そして、『暗く笑顔と喜びのない家庭』に、病魔が忍び寄り、突如、すがたをあらわした時は、もう、心のシロアリに、家は食い荒らされ、つぎ次に倒れて行きました。御神尊様に縁を繋いだ時は、完全に、家の中はバラバラでした。

この家は、『自分が』『自分が』と、『自分のことばかり』でした。
この家を立て直すには、もっとも、可愛い自分を生かす道は、『相手を十分に認める努力を』そして、夫に妻に、親に子に、『して欲しいを発見、してあげること』それが、『可愛い自分を大切にする』に繋がりますね。

『人を愛するとは』余分なことではなく、家族、他人を含めて『すべての人を愛する』のが、『自分を愛すること』に、1番の近道となります。
骨を繋ぐ人は医者、『愛の線が切れれば』繋ぐ人は、『あなたの優しさ』以外にありません。
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3/9 神様

2019-03-11 09:53:58 | 沿革


31・3・9、この道の特性 [汝、病むが故に、神もまた病む]

人間が倒れる時、その心中は、苦悩で絶望のふちに立っています。
その中身は『不平不満、憎悪、懊悩、悲哀』などと、キリがありません。
まさに心身ともに、病んだすがたです。

『心中に神ありの発見』が『平戸の50日の行』
だからこそ『神もまた、病む』といわれるのです。

『神は、無差別平等』に、愛して下さいますが、人間はそうはいきません。
昨日の夫、妻は、好きだったが、今日は嫌いというように、時により相手によって『愛に差別があるのが人間』です。

『自分の都合に合わせて、愛の生活』というのが、人間生活の現実です。
その時その場『自分に都合の良い、一方的な愛!』しか、持ち得ない人間。
そこを知っているからこそ『偕に病み、苦には苦』
試練をもって、あなたのために、道を開こうとされるのが、神の慈悲です。




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