(31・3・12、沿革、捨て身、生月 [腕力捨て身の祈り]
ずいぶん、沿革から離れていました。御神尊様には、『20年の行中』『7回の捨て身の祈り』がありました。次のようなことです。
❶桑鶴、捨て身の祈り(天山)
❷水行、捨て身の祈り(熊野)
❸腕力、捨て身の祈り(生月島)
❹捨て身の行、捨て身の祈り(平戸)
❺千里大行、捨て身の祈り
❻レンガの行、捨て身の祈り
❼百度詣り、捨て身の祈り(原田)
長崎県生月島では、月に1回渡られて、布教に当たられていました。ある日のこと、島1番の大男で、暴れん坊の男があらわれました。御神尊様が、ウワサ通りの方か、真偽を確かめにきたのです。
一目でそれと見抜いた御神尊様は、横柄な態度の大男の前に、仁王立ちになりました。そして、有無をいわさず、いきなりコブシで殴りつけられました。これには、一瞬、男の目の色がかわりましたが、御神尊様のケイケイたる眼光に、射すくめられてその場に、へたりこんでしまいました。
実は、彼は子供の病気を抱えて苦しんでいたのです。その男の正体を見抜き、人に迷惑をかけ、家族に心配を重ねてきた人生を、コンコンと諭されました。涙ながらに改心した、結果、子供も助かることになりました。
御神尊様の、厳しさの中の、慈悲に触れて、父親の情にめざめたのです。しかし、御神尊様は、彼に、頭を下げて、『あなたを、いきなり叩いたのは、見たところ、素直に話しはきいてはくれまい』と、『命がけで叩いた、もし叩き返されたら、いのちはなかったろう。本当に済まなかった』と謝りました。
のちに、生月の方々に、『宗教家がいかなることのあろうと、叩いたり、殴るのは、まちがいである。』『わたしの、行の汚点である、どうぞ、忘れていただきたい』といわれました。
あくまで、謙虚な生き神様でした。御歳、35歳頃。