31・3・3、神と運命
[神は、汝の内にあり、汝は神の内にあり]
世の中には、『神を信じて生きている人』『神を信じきれずに生きている人』がいます。
どちらにしても、大自然の恵みに生かされている事は、たしかです。人間は、1人だけで、生きていく事はできません。
先日、大阪の西成、ガード下で生活する、日雇い労働者に、同じ立場の労働者が、ジュースと牛乳を差し入れ、『人間、1人では生きていかれんからな。』というのです。観念的には、だれでもが認識しているのですね。
今朝の言葉を考えてみれば、自分の幸福や利益を得るためにだけ生きている人は、人を傷つけ対立し、人を苦しめることになります。
それは、神は『あなたの内』にいて、しかも『あなた自身も神のうてなに抱かれている』のです。『私たちの人間界は、心の奥、たましいの世界では、『神も、すべての人間も、ひとつの世界にいる』のです。
ちょうど、大海原の島々のように、海底では、ひとつに繋がっているようなものです。
例えば、あなたにとても嫌いな人が居たとしても、相手のタマシイも、神と繋がっていることになります。その人を嫌えば嫌うほど、『その人の内にある、神を苦しめ、結局は自分を苦しめる』ことになってしまいます。
逆に相手を、好きになればなるほど、相手を喜ばせるだけで『相手の内なる神を喜ばせ』ために、『自分のタマシイも、喜ばず』に居れないのです。
つまり、神に差別はありません。私が差別見によって、かたよりがあっただけ。私のもう1人の命、タマシイの存在は『偉大な神の慈悲と慈愛のその中で、生かされている存在』だということです。やります!