切り取ったような景色も好き
も、というのは、その逆もあるということ。
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絵にかいたようなという表現もある。
ただ、私は絵がどうも上手くはない。
そして元来のせっかちである。
雑に生きているといってもいい。
一瞬を目に焼き付けておきたいと願いながら、
記憶と言うものを持続できない。
それは、記憶を削除しなければ、次のものが取りこめないからなのかもしれない。
だから、私は写真を撮る。
丁寧に生きたいを願いながら、
好きに生きたいとねがいながら、
思い通りにはならない。
願い方が足らないのか、
我儘でありながら、我儘に徹しきれないのか。
すべてのものの見方を型にはめたまま、
違う角度からみることを拒みつづけているからだろう。
なんと愚かな生き方をしているのだ。
嘆かわしい。
そして、私は写真を撮り続ける。
さらに、私は言葉を書き続ける。
も、というのは、その逆もあるということ。
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絵にかいたようなという表現もある。
ただ、私は絵がどうも上手くはない。
そして元来のせっかちである。
雑に生きているといってもいい。
一瞬を目に焼き付けておきたいと願いながら、
記憶と言うものを持続できない。
それは、記憶を削除しなければ、次のものが取りこめないからなのかもしれない。
だから、私は写真を撮る。
丁寧に生きたいを願いながら、
好きに生きたいとねがいながら、
思い通りにはならない。
願い方が足らないのか、
我儘でありながら、我儘に徹しきれないのか。
すべてのものの見方を型にはめたまま、
違う角度からみることを拒みつづけているからだろう。
なんと愚かな生き方をしているのだ。
嘆かわしい。
そして、私は写真を撮り続ける。
さらに、私は言葉を書き続ける。
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