ここは、知らない(自分自身も)という場
だから戸惑いや苦しみや悲しみ
そして楽しさや嬉しさ、
ちょっと自慢したいこと
そんなことをはきだす場
とある人の講演をききに言った。
それは興味がるからで、ただであったとしても興味のないことには時間を割いてまで足を運ぶことはない。
『子宮頸がん』
それがテーマ
女性であれば、だれでもそのテーマに食らいつくか?若しくは関係のないことだと目にも止めないのか。
なぜ私が足をはこんだのか?
それは私自身もステージの違いこそあれ、同じ病気を経験したからである。
二年前、私は子宮頸癌の円錐切除術をうけた。
その年、私にとっては波乱万丈な年であった。
人生において、こんなにも様々なことが起きるのだろうか?
いったい私は何をしてこんな罰をうけているのだろうか?そう思わずにはいられない、そんな年だった。
もちろん、今でも戸惑いと苦しみと焦りと葛藤の中で生きている。
病気はその後、定期健診において異常は見つかってはいない。
それですべてを安心してはいないが、そういうものであろうと納得はしている。
思い出すのも嫌なほどのその年のことを、少しここに吐き出そうと思ったのは、
聴いた講演の影響である。
結婚1週間で癌がみつかり、離婚を決意するが、ご主人と家族の理解のもとにそのまま今も結婚生活を続けているという。
今でも欲しい子供も授かることはできない(子宮全テキ)、手術後の後遺症。
夫婦生活、経済的なものすべておいて正直に明るく話されるその女性。
決して強いのではない、自分の経験を踏まえ、同じ思いを同じ女性として一人でもしてほしくないという思いからだろう。
幸いにして、前癌状態でみつかった私は、手術じたいの大した後遺症に悩まされることはなく生活している。
それは、私がある程度の年齢になってからの手術だったこと、
ある程度の知識をもちあわせていたということ、
今更、夫婦せいかつもあったもんではないという状況であるということも、手術やその後遺症に関してはたいしたkとにならない要因である。
その事実は隠すことはしない。
その年、些細なことから私は離婚届を作成した。
たしかにきっかけは些細なことだった。
はずである。
だったらなぜ?離婚届を作成するにいたっったのかということになる。
のだが、よくある夫婦喧嘩と言ってしまえばそれだけの話ということにもなる。
結論からいえば、離婚届は第三者のもとに保管されている。
もちろん、今すぐにでも出そうと思えば出すことは可能である。
保証人?の蘭には、私の両親のサインがはいっている。
でも今こうして、まだ私は亭主と同じ屋根の下で生活をしている。
手術の話しにもどろう。
生死を分けた手術ではない。
そもそも、その15年前(たぶんそのくらい)には、それこそ生死にかかわることになるであろう手術を受けている。
そのことを思えば、言い方は悪いが包丁でほんおちょっと指を切ったのとなんら変わらないのである。
私の中ではそんな程度の話なのだが、
亭主は仕事を休みにしてまで、付き添った。
朝もいらないくらい早く病室に現れ、いったいどっちが手術を受けるのだろうか?
そんな顔をしながらベットのそばにいる。
私は、亭主から逃れることができたその入院でほんの少し精神の安定をはかっていたというのに、
根源である亭主が、目の前にいるのである。
しかも手術の当日に、沈痛な面持ちで。
無事に予定通りに手術も終わり、麻酔の加減もあるがゆっくり休みたいのに、
痛みをこらえているのは自分といわんばかりの顔で
「よく頑張った、がんばった」
と繰り返す亭主が疎ましくてたまらなかった。
帰ろうとしない亭主に
「ゆっくり休みたいからかえって」
と嘆願までしてしまった。
それほどまでに、私の中で夫婦関係は壊れていた。
あくまでも私の中でてある。
とりあえず、ここまでとしておきます。
だから戸惑いや苦しみや悲しみ
そして楽しさや嬉しさ、
ちょっと自慢したいこと
そんなことをはきだす場
とある人の講演をききに言った。
それは興味がるからで、ただであったとしても興味のないことには時間を割いてまで足を運ぶことはない。
『子宮頸がん』
それがテーマ
女性であれば、だれでもそのテーマに食らいつくか?若しくは関係のないことだと目にも止めないのか。
なぜ私が足をはこんだのか?
それは私自身もステージの違いこそあれ、同じ病気を経験したからである。
二年前、私は子宮頸癌の円錐切除術をうけた。
その年、私にとっては波乱万丈な年であった。
人生において、こんなにも様々なことが起きるのだろうか?
いったい私は何をしてこんな罰をうけているのだろうか?そう思わずにはいられない、そんな年だった。
もちろん、今でも戸惑いと苦しみと焦りと葛藤の中で生きている。
病気はその後、定期健診において異常は見つかってはいない。
それですべてを安心してはいないが、そういうものであろうと納得はしている。
思い出すのも嫌なほどのその年のことを、少しここに吐き出そうと思ったのは、
聴いた講演の影響である。
結婚1週間で癌がみつかり、離婚を決意するが、ご主人と家族の理解のもとにそのまま今も結婚生活を続けているという。
今でも欲しい子供も授かることはできない(子宮全テキ)、手術後の後遺症。
夫婦生活、経済的なものすべておいて正直に明るく話されるその女性。
決して強いのではない、自分の経験を踏まえ、同じ思いを同じ女性として一人でもしてほしくないという思いからだろう。
幸いにして、前癌状態でみつかった私は、手術じたいの大した後遺症に悩まされることはなく生活している。
それは、私がある程度の年齢になってからの手術だったこと、
ある程度の知識をもちあわせていたということ、
今更、夫婦せいかつもあったもんではないという状況であるということも、手術やその後遺症に関してはたいしたkとにならない要因である。
その事実は隠すことはしない。
その年、些細なことから私は離婚届を作成した。
たしかにきっかけは些細なことだった。
はずである。
だったらなぜ?離婚届を作成するにいたっったのかということになる。
のだが、よくある夫婦喧嘩と言ってしまえばそれだけの話ということにもなる。
結論からいえば、離婚届は第三者のもとに保管されている。
もちろん、今すぐにでも出そうと思えば出すことは可能である。
保証人?の蘭には、私の両親のサインがはいっている。
でも今こうして、まだ私は亭主と同じ屋根の下で生活をしている。
手術の話しにもどろう。
生死を分けた手術ではない。
そもそも、その15年前(たぶんそのくらい)には、それこそ生死にかかわることになるであろう手術を受けている。
そのことを思えば、言い方は悪いが包丁でほんおちょっと指を切ったのとなんら変わらないのである。
私の中ではそんな程度の話なのだが、
亭主は仕事を休みにしてまで、付き添った。
朝もいらないくらい早く病室に現れ、いったいどっちが手術を受けるのだろうか?
そんな顔をしながらベットのそばにいる。
私は、亭主から逃れることができたその入院でほんの少し精神の安定をはかっていたというのに、
根源である亭主が、目の前にいるのである。
しかも手術の当日に、沈痛な面持ちで。
無事に予定通りに手術も終わり、麻酔の加減もあるがゆっくり休みたいのに、
痛みをこらえているのは自分といわんばかりの顔で
「よく頑張った、がんばった」
と繰り返す亭主が疎ましくてたまらなかった。
帰ろうとしない亭主に
「ゆっくり休みたいからかえって」
と嘆願までしてしまった。
それほどまでに、私の中で夫婦関係は壊れていた。
あくまでも私の中でてある。
とりあえず、ここまでとしておきます。
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