小学生の油絵静物レポートです。 (南澤)
古来、日本では「7歳までは神のうち」と申しますように児童信仰のようなものがありました。
悪く言えば、まだ人間にあらず、けれども決して大人には真似出来ない仕事をする様をそう表現したのです。
それでは、神々の仕事のご紹介です。

左から、更斜(6年) 洸生(6年) 智子(3年)
更斜さんの作品:
6年生頃の女子というものは、あの宮崎駿監督が最も敬愛する時期の女性であります。世の中の仕組みに対して理解をしながらも神々の記憶を併せ持つ貴重な年頃というわけです。今回の彼女の作品にも、そんな女性の持つ凛とした潔白感が空間に広がっています。油断しているとドキリとする正論を大人に突きつけてくるあの感じです。バックに情熱のオレンジを従えてキリリとこちらを見据える花と同様、彼女は今、ナウシカそのものなのです。
洸生くんの作品:
同じ6年生でも、男の場合は完全にコドモです。しかもココから成長せずに大人になる事が多々あり大変危険です。私もそんな一人でありますが、弁護させていただくと、これは幼稚なのではなく、いささか神性が抜けないと表現したい所であります。さて今回の彼の作品ですが、このモチーフを組んだ幸介先生の神性の高さに由来する圧倒的なボーイッシュ感をみごとに引き継ぐ、真っすぐな感性の心地よい作品であります。有り余る神性がホラーなモチーフである事を綺麗に浄化してしまう魔法は、アルプスの少年ペーターのみに許される特権なのです。
智子さんの作品:
元祖神々の年齢である彼女は、もはや出口ナオばりのお筆先で、卓上のモチーフを大胆に予言していくかのようです。画面の中のひとつひとつのモチーフに新しい人生を与えていく力づよい意志は、色彩となり形態となっていきます。植物はガンビーとして生まれ変わります!フォークとナイフは恋人達です!缶詰は唄うのです!見渡せば、そこには大人達が観ようとしても観ることの出来ない、静物たちの歌の広場が広がっていたのです。ポニョ?

左から、日和(2年) 空(3年) 剛士(5年)
日和さんの作品:
またまた降臨です。時代が時代なら1000人ぐらいの従者に担がれて儀式を司っていてもおかしくないでしょうが、ここは21世紀の元住吉のお絵描き教室なので、僕のような講師がうなっている程度で済みました。綺麗な色です。素敵なかたちです。どうかこのままでいてほしい。上手くならないでほしい、と思ってしまうのですが、彼女はそんな僕の(猟奇的な)小さな夢を遥かに越える大胆なお絵描きを続けることでしょう。そんな気持ちで僕はこの小さな絵の前でそっと手を合わせてみるのでした。 あっ、猫バスが来ました。
空くんの作品:
本人は絵を描くことにあまり熱心とは思っていないでしょうし、実際熱心ではありませんw。ところが、コンスタントに美しい作品になるのですから、昔の人はこういう様をみて冒頭のようなセリフをはいたのでしょうね。でも考えものです。もし彼がこのまま美しい作品を作り続けるのなら、きっと破天荒な幼児性を保たなければなりません。反対に理性的な人格を手に入れたならば、きっと平凡な作品になってしまうかもしれません。いや、待てよ、アトリエミオスならその2元論を越えられるんじゃないだろうか、そのために我々はいるんじゃなかろうか。この絵を前にするとそんな妄想と希望が湧いてくるのですから、大したものです。
剛士くんの作品:
まれびと信仰という古来から日本にある考え方があります。素晴らしい事(神)は、たまに(遠くから)やってくるという考えであります。神出鬼没な彼がたまに熱心に絵を描いていたり、それが素晴らしい作品であったりするとこちらとしては、ふとそんな神様を思い出さずにはいられません。でもいつも僕の背中に山盛りの絵の具をくっつけるのもタマににしてもらえるとありがたいんですがね。このヤロー!

聖奈(3年)さんの作品:
今回の作品のなかで一番美しい作品です。なにが美しいって、作品の完成度や色合いもありますが、丁寧に個々のモチーフに向き合い、色やカタチを探り、なによりも愛おしそうに絵を描いていく姿勢がすべて絵に現れているからです。いいんですか、一人の生徒をそんなに褒めたりして、、。こころの中の公安警察がにらみを利かせますが、僕は幼稚なコドモなので言わせてください。最高っす!
古来、日本では「7歳までは神のうち」と申しますように児童信仰のようなものがありました。
悪く言えば、まだ人間にあらず、けれども決して大人には真似出来ない仕事をする様をそう表現したのです。
それでは、神々の仕事のご紹介です。

左から、更斜(6年) 洸生(6年) 智子(3年)
更斜さんの作品:
6年生頃の女子というものは、あの宮崎駿監督が最も敬愛する時期の女性であります。世の中の仕組みに対して理解をしながらも神々の記憶を併せ持つ貴重な年頃というわけです。今回の彼女の作品にも、そんな女性の持つ凛とした潔白感が空間に広がっています。油断しているとドキリとする正論を大人に突きつけてくるあの感じです。バックに情熱のオレンジを従えてキリリとこちらを見据える花と同様、彼女は今、ナウシカそのものなのです。
洸生くんの作品:
同じ6年生でも、男の場合は完全にコドモです。しかもココから成長せずに大人になる事が多々あり大変危険です。私もそんな一人でありますが、弁護させていただくと、これは幼稚なのではなく、いささか神性が抜けないと表現したい所であります。さて今回の彼の作品ですが、このモチーフを組んだ幸介先生の神性の高さに由来する圧倒的なボーイッシュ感をみごとに引き継ぐ、真っすぐな感性の心地よい作品であります。有り余る神性がホラーなモチーフである事を綺麗に浄化してしまう魔法は、アルプスの少年ペーターのみに許される特権なのです。
智子さんの作品:
元祖神々の年齢である彼女は、もはや出口ナオばりのお筆先で、卓上のモチーフを大胆に予言していくかのようです。画面の中のひとつひとつのモチーフに新しい人生を与えていく力づよい意志は、色彩となり形態となっていきます。植物はガンビーとして生まれ変わります!フォークとナイフは恋人達です!缶詰は唄うのです!見渡せば、そこには大人達が観ようとしても観ることの出来ない、静物たちの歌の広場が広がっていたのです。ポニョ?

左から、日和(2年) 空(3年) 剛士(5年)
日和さんの作品:
またまた降臨です。時代が時代なら1000人ぐらいの従者に担がれて儀式を司っていてもおかしくないでしょうが、ここは21世紀の元住吉のお絵描き教室なので、僕のような講師がうなっている程度で済みました。綺麗な色です。素敵なかたちです。どうかこのままでいてほしい。上手くならないでほしい、と思ってしまうのですが、彼女はそんな僕の(猟奇的な)小さな夢を遥かに越える大胆なお絵描きを続けることでしょう。そんな気持ちで僕はこの小さな絵の前でそっと手を合わせてみるのでした。 あっ、猫バスが来ました。
空くんの作品:
本人は絵を描くことにあまり熱心とは思っていないでしょうし、実際熱心ではありませんw。ところが、コンスタントに美しい作品になるのですから、昔の人はこういう様をみて冒頭のようなセリフをはいたのでしょうね。でも考えものです。もし彼がこのまま美しい作品を作り続けるのなら、きっと破天荒な幼児性を保たなければなりません。反対に理性的な人格を手に入れたならば、きっと平凡な作品になってしまうかもしれません。いや、待てよ、アトリエミオスならその2元論を越えられるんじゃないだろうか、そのために我々はいるんじゃなかろうか。この絵を前にするとそんな妄想と希望が湧いてくるのですから、大したものです。
剛士くんの作品:
まれびと信仰という古来から日本にある考え方があります。素晴らしい事(神)は、たまに(遠くから)やってくるという考えであります。神出鬼没な彼がたまに熱心に絵を描いていたり、それが素晴らしい作品であったりするとこちらとしては、ふとそんな神様を思い出さずにはいられません。でもいつも僕の背中に山盛りの絵の具をくっつけるのもタマににしてもらえるとありがたいんですがね。このヤロー!

聖奈(3年)さんの作品:
今回の作品のなかで一番美しい作品です。なにが美しいって、作品の完成度や色合いもありますが、丁寧に個々のモチーフに向き合い、色やカタチを探り、なによりも愛おしそうに絵を描いていく姿勢がすべて絵に現れているからです。いいんですか、一人の生徒をそんなに褒めたりして、、。こころの中の公安警察がにらみを利かせますが、僕は幼稚なコドモなので言わせてください。最高っす!