「あるヨギの自叙伝」を唯一、ipadにダウンロードしていたスティーブ・ジョブズの最後の言葉だそうです。
いつから
「あるヨギの自叙伝」を読まれていたのだろうと調べてみたら・・・
「愛読書はパラマハンサ・ヨガナンダ著「あるヨギの自叙伝」で、自分のiPad2にダウンロードした唯一の本。ティーンエイジャー時代に初めて読み、インド旅行中にまた読み、以来年一度は読み返していた。」(ウィキペディア)
・・・と書かれてあったので、かなり早い年代から目覚めていたのがわかります。
ただ、「覚醒」には到らなかったよう(わからないですけれども)。
スティーブ・ジョブズ最後の言葉~Steve Jobs Last Words ~
「17の時に、こんな名言に出会ったよ。“毎日を人生最後の日のように生きれば、間違いなく最高の人生を送れる”ってね。それ以来33年間、私は毎朝鏡を覗き込んで、こう自問し続けた。“もし今日死ぬなら、今日やろうとしていることを本当にやるか?”そして、その答えがNoである日が続いたときは、何かを変えなきゃいけないんだってわかったよ。」(ウィキペディア)
やはり、只者ではない
「食生活には強いこだわりを持ち(大学時代から絶対菜食主義を貫いており、膵臓癌手術後に動物性タンパク質が必要になって、魚介類を取り入れるようになった)、日本食、とりわけ蕎麦や寿司を好んだことが知られている。」(同上)
食べ物だけでもダメだとは思うけれども、なぜこんなに早く(56歳)亡くなったのだろう。
病気との闘いについては「西洋的な医術を頑なに拒否し絶対菜食、ハリ治療、ハーブ療法、光療法などを、インターネトで探し、民間療法などを用いて完治を図ろうとしていたといわれる。医学的治療は遅れ、そのことから9か月後の検査で癌が大きくなっていることがわかり(この判断を当人は後に相当後悔したという)、ついに観念してごく親しい人以外には秘密にして、同年の8月に摘出手術を受け療養後復帰した。」(同上)
考えさせられる。。。
私も2人目の子供を妊娠した時にバセドウ氏病があり、母体も危ないし、子供の奇形率も相当高ったので(今はこれらは違っていると思います)、主治医から子供を堕胎するように言われました。
でも、当時の私は、と言うか母親って本当に強い。
死ぬことも厭わず、奇形児でも構わないと思い、ひとりでも子供を守る決意をしました。
もちろん今でも子供を産んだことを後悔していません。どんなに子供達に悪態をつかれても
でも、出産後半年経った6月16日、ちょうど30歳の誕生日の1ヶ月前に私は倒れ、その後ずっと心身の不調に苦しむことになります。(バセドー氏病は手術さえ出来ないくらい悪い状態でしたが、幸いすっかり治癒しました)
医者の言葉に従い、無事に生まれたのだから母乳を止めて治療に専念していたらこんなことにはならなかったと思います。
当時、我が家では自然食の菜食主義を家族もしており、父はそれで腎臓結石が完治しました。
ですから、それで治ると家族も私も判断しました。
西洋医学には今でも不信感を持っていますし、そのくせ頼ってもいます
やはり、物事には中庸、バランスが大切なのでしょう。
今でもお薬を飲んでいますが、その薬をめぐって賛否両論。
可能であれば飲まない方がいいに決まっていますが、私自身、いつもこの狭間で揺れています。
振り返ってみれば、バセドー氏病にしろ、子宮内膜症や卵巣膿腫にしろ、医者の言葉に素直に従ってあまりそのことについて考えないでいたら、どれも手術しないで治りました。
こだわりが一番良くない。
そんな気がします。
流れのままに、あるがままに、感謝しながら日々を過ごす。
我を張らないことでしょうか。
「解脱」にしてもそうですね。
もともとそこにあるのですから、心を開いて委ねて待つ。
がんばっても無理。
むしろ、がんばればそれだけ遠のくのが当たり前。
力を抜いてゆるゆると~
母をデイサービスに見送って、今、朝食を食べながら、噛み噛みしながら打っています

スティーブ・ジョブス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA#.E6.AD.BB.E5.8E.BB
映画『スティーブ・ジョブズ』予告編
素晴らしいスピーチでした。
スティーブ・ジョブス 伝説の卒業式スピーチ(日本語字幕)
今日はなぜか、「スティーブ・ジョブズ」の日でした。(私のPCはMacではありませんが
)








裏庭の紫陽花が1輪咲いています。




2本の千両も実を付け始めています。

