今日は4時半に目が覚めました。
あっという間に小一時間経ってしまいますので、急いで起きました。
そして、いつものように窓を開けて廻り、大洗濯をしながら公園に行きました。
ちょっと涼しいと思ったら気温は23.3℃(今日の最低気温)。
爽やかな風が肌に気持ちが良かったです。
頬に、腕に。
時刻は5時30分。
公園では間隔あけて私を含めて6人の人が歩いていらしたようです。
外周には犬の散歩をする人がちらほら。
教会のお花
今日も空で薄い雲が踊ってました。
月が綺麗ですね。
ご近所のお宅のモミジアオイ
我が家のお花
「アラビアンジャスミン」はこれが最後の一輪です。
バラは今は「シェヘラザード」と「プリンセス・ドゥ・モナコ」
あと、「新雪」が咲きそうですが、傷みが激しいです。
白いのでよく目立ちます。
今朝の果物
今日はちょっとまとまったかな
10時のおやつ。
母の大好きなコーヒーゼリーを半分こしました。
いつもは食べませんが・・・母もあまりおやつを食べなくなりました。
母が昨日ショートステイからもらって帰って来たヨーヨー。
お水をはって浮かべてみたかったのですが、適当な入れ物が見つかりませんでした
今日は9時から訪問看護、16時から訪問リハ。
それ以外は母と2人の金曜日。
部屋にいる母を見ることが出来るように台所にいましたが、ちょっと下を向いた時に「ドスン」とすごい大きな音がして母が転倒しました。
ベッドの端で背中を擦っていましたが、それ以外は大丈夫でした。
ちょうどリハビリの方が来て下さり見て下さったので助かりました。
今日の母の調子は朝夕、不調。
何とも言えないひどい表情です
今日も暑かったです。
エアコンを付けていましたが、それでもひと頃よりは少しマシになったように感じます。
陽ざしの強さも少しやさしくなった気がするのは私だけ
★致知一日一言 【編集部おすすめ本からの名言】
たったひとりしかない自分を
たった一度しかない一生を
ほんとうに生かさなかったら
人間、生まれてきたかいが
ないじゃないか
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山本有三 (小説家)
★エドガー・ケイシー
今日(8月27日)の珠玉のリーディングをお届けします。
心の持ち方が正しければ、食事療法と運動によって、ほとんどの障害は均衡化され克服されます。
Through diet and exercise the greater portion of all disturbances may be equalized and overcome, if the right mental attitude is kept.
(288-38)
★バラ十字会メールマガジン (毎週金曜日)
こんにちは。バラ十字会の本庄です。
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画像が掲載されたブログがありますので、できればそちらでお読みhttps://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M
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東京板橋でも、きびしい残暑が続いています。
いかがお過ごしでしょうか。
札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人が、堀辰雄の
同名の松田聖子さんの歌もこの小説からインスピレーションを得て
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文芸作品を神秘学的に読み解く(29)
『風立ちぬ』 堀辰雄
森和久
「それらの日々に於ける唯一の出来事と云えば、彼女がときおり熱
「それは彼女の体をじりじり衰えさせて行くものにちがいなかった
「私」と節子が出会った頃、二人はこうして日々を過ごしました。
秋近くになったそんなある日の午後、一陣の風が吹き節子の描きか
「すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物を
『風立ちぬ、いざ生きめやも。』(風が吹いた、さあ生きていこう
「私」はこのフランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地
以上はこの物語の最初の章『序曲』の冒頭部分です。
『序曲』では「私」と節子の婚約前の事柄が述べられています。
そこでは節子の父の存在が精神的に大きく、「私」にも節子にもの
節子と父の家族としての絆の強さが「私」と節子の危うい関係性を
これは最後まで続き、二人の関係は結婚まで至らず婚約状態のまま
「私」は節子の従順さに愛おしさを感じ、経済的に自立し立ち行く
続く『春』の章では、すでに二人は婚約しており、節子の父の勧め
節子は「私、なんだか急に生きたくなったのね…」「あなたのお陰
しかし、これは本心ではありましょうが、体調の悪化ゆえの反動な
サナトリウムへ行く事前検査では、節子の結核はかなり悪くなって
当時の結核はかなりの難病で、致死率も高く、結核菌により感染も
日本で結核による年間死亡数が最も多かったのは1918年の人口
その後,第2次大戦の終りまで結核は30年近くも他の病気に比べ
『風立ちぬ』の章。二人はそろってサナトリウムで闘病生活を始め
初めての二人だけの食事はサナトリウムの病院食です。
侘しさに耐えきれず「私」が節子に「ねぇお前、何だってこんな…
作中二人は幾度か言葉を飲み込んだり、押しとどめたりします。
それはわかりきっているし、言葉にすることでもう取り返しがつか
節子が飲み込んだある言葉を後に聞かされたとき、「私」は
「あのとき自然なんぞをあんなに美しいと思ったのはおれじゃない
「それはおれ達だったのだ。まあ言って見れば、節子の魂がおれの
「……それだのに、節子が自分の最後の瞬間のことを夢みていると
と思い当たります。
節子は医者にこのサナトリウムで2番目に重症と言われていました
9月のある日、一番の重症患者が病死しました。
次はどうなるかと考えてしまいます。
そして9月の末に別の精神を病んだ患者が林の栗の木で縊死しまし
「私」は順番じゃないんだと自分に言い聞かせ安心しようとします
それから何日かが過ぎて、節子の父がやって来て、節子は父の滞在
数日後、いくらか回復した節子に「私」は自分の心の迷いを伝えま
「私が此処でもって、こんなに満足しているのが、あなたにはおわ
その言葉を聞いた「私」は、
「秋の午前の光、もっと冷たい、もっと深味のある光を帯びた、あ
「あのとき(二人が幸福を感じた初夏の夕方)の幸福に似た、しか
『冬』の章になると日記のような体裁になり、まず1935年10
ある早朝、近くで起こったような異様な音に驚いて「私」は目を覚
何か判らないでいると節子は、それは栗の実が落ちた音だと教えて
それから節子は激しい咳をし続け、「私」は不安に陥ります。
12月に入って節子は窓から山襞を見て、父親の横顔が浮かび上が
節子は心細くなり、父親の元へ帰りたくなったようです。
「私」は節子を失う恐怖におびえます。
最終章『死のかげの谷』。この章も日記形式で書かれています。
翌年の1936年12月1日、「私」は一人で節子と出会ったK村
今は亡き節子のことを回想します。
そうすると「お前をこれまでになく生き生きと――まるでお前の手
注文していたリルケの『レクイエム』が届き、「私」は日々読み続
さて、この物語は〈愛〉(Love)と〈生命〉(Life)と、
バラ十字会でも重要な言葉として取り上げられています。
最終章の12月24日のシーンを見てみましょう。
「私」は村のある家でさみしいクリスマスをすごし、自分の宿に向
すると「何処からともなく小さな光が幽(ほの)かにぽつんと落ち
こんな所にどうしてこんな光が差しているのだろうと、あたりを見
それは「私」の小屋の明かりでした。
このことをこのときまで気づくことはありませんでした。
「殆どこの谷じゅうを掩(おお)うように、雪の上に点々と小さな
やっと自分の小屋に帰り着き、この小屋の明かりがどれほどの広さ
するとその明かりは、小屋の周りをほんの少し照らしているに過ぎ
「なあんだ、あれほどたんとに見えていた光が、此処で見ると、た
「──だが、この明りの影の工合なんか、まるでおれの人生にそっ
「おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこれっ許(
「そうしてそいつ達がおれの意識なんぞ意識しないで、こうやって
12月30日(最後の日付)「私」は自分がこうして1人で生きて
「それ程、お前はおれには何んにも求めずに、おれを愛していて呉
遠くでは風がしきりにざわめいています。
この物語は堀辰雄の実体験を元にしています。
節子のモデルとなったのは矢野綾子という20代前半の女性で、彼
また、実際の矢野綾子については、『昭和史の秘話を追う』(秦郁
なお、松本隆の作詞、大瀧詠一の作曲で松田聖子が歌った同名曲や
(※1:富士見高原、※2:『世界大百科事典』より、※3:軽井
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ふたたび本庄です。
松田聖子さんの「風立ちぬ」は失恋についての歌だと思っていたの
しかも、その題名の由来であるポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓
森さんが話題にした〈愛〉(Love)、〈生命〉(Life)、
人生と世界にはこの3つが、いたるところに溢れているということ
下記は森さんの前回の文章です。
記事:『ロミオとジュリエット』https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M
では、今日はこのあたりで。
また、お付き合いください(^^)/~
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■編集後記
サルスベリの花が咲いています。https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M
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