マットと枕が来ました&母、自らショートステイへ

2020年10月16日 20時55分00秒 | 生活
 今朝の空

今朝も4時50分に目が覚めましたので、瞑想し、洗濯機を回しながらウォーキングへ。

「☀晴れの国」のはずがずーっと☁雲の多い朝の空。
でも、今日は少しの間真っ赤な朝焼けが見られました。

5時50分




























西の空






午前中は☀晴れましたが、午後からは☁曇ってきました。
明日は☔雨予報です。






🏠我が家のお花


ドフトゴールド


大天使ガブリエル


マリエ


ブルームーン


わかな


プリンセス・ドゥ・モナコ


シェエラザード




パパメイアン



今朝の🍏🍇🍎果物🍍🥝🍊



 午後1時過ぎに、10月7日(水)に測ってもらって注文していたマットと枕が届きました。
その為、寝具類もお洗濯して準備万端🤗




カバーはローズ色にしました。


少しマットその他に☀太陽の光と風を当てました。

今まで低反発を使っていました。
古くなって効果が無くなったのか、介護で緊張がほぐれないせいか、肩が凝ってシップのお世話になっています。
知りませんでしたが、私はストレートネックだそうです。
今夜から、リラックス出来て安眠出来たらいいな〜😌
友人も私ほどではなかったのですがストレートネック。
でも、彼女はそのことを知っていました。
彼女のところにもマットと枕が間もなく届くと思います。


 今夜はやはり母はお泊りを選びました。
昨日から言っていましたので、お泊りの準備だけはして行き、最終結論はデイサービスに行ってから決めることにしていました。
出掛けに「お泊りしたくないならしなくていいのよ」と言いますと昨夜同様、私が「もう介護しないと言った」と言います😳
何故こういう誤解が生じるのかわかりません😓
一応、私の気持ちは伝えましたが、母は母なりに私の負担にならないように考えてくれているのでしょう。

母がデイサービスに行った後、看護師さんからお電話があり、母は80%お泊りしたい気分とのこと。
私の気持ちもわかっていると言ったそうです。
「でも、たまには離れてみるのもいいですよ」と看護師さん。
そして「また、お昼過ぎにお聞きしてお電話します」と言われました。

母はやはりお泊りを選びました。
私は明日の午後3時〜3時30分まで一人であり、自由になりました。
健康なら、ルンルンしてどこかに行くとかして楽しむところでしょうけれども、ずっと🏠家の中で片付けをしたり読書をしたりして過ごしています。

早めの4時から英語のレッスンをし、お昼の残り物(溜まった母の残り物ですが)を食べて、お風呂にも入り、肩が凝っていましたので、シップをすると、とても楽になり、それからはリラックスしています。

今夜は母のお薬の時間や体調を心配しなくて済みますので、ゆ〜っくりの〜んびり眠れたらいいな。
マットと枕にも大いに期待しています。

8時前、母から電話があり「これから寝るから」。
喘息も大丈夫のようです。
8時が喘息の吸入の時間ですので、それをこれからしてもらうと言っていました。
元気そうで安心しました。 

私は9時からの洋画でも観ながら過ごそうと思っています。
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祭り寿司を作りました。

2020年10月15日 22時06分00秒 | 食べ物
 今朝の空

今日は4時40分に目が覚めましたので、瞑想をしてから歩きに行きました。

6時にはやはりもう皆さん、帰られていました。

西の空

5時57分


東の空




























🏠我が家のお花
























今朝の🍊🥝🍍果物🍎🍇🍏


その後、思い立って母の好きな祭り寿司(岡山のばら寿司)を作りました。


椎茸がなかったのですが、先日ブログ友達が送って下さった山椒を飾ると様になりました🤗


ご飯は混ぜご飯になっていて、今日の具は穴子、竹輪、人参、牛蒡です。
そして、表面にいろいろ貼ります。
今日は錦糸卵、鯖の昆布〆、海老、山椒です。

⤵️頂いていた水菜と白菜の間引き菜で簡単な2品を作りました。



8時頃から作り始め、1時間後には出来ました。
母が食べたいと言いましたので、早速食べることにしました。

今日のお味噌汁には初めてミョウガを入れてみました。
他の方のブログで初めて知りましたが、美味しかったです。


お寿司が美味しかったようで、母はおかわりをしました。
そして、一日お寿司を食べました😆

 今日は木曜日でしたので9時30分〜10時30分までヘルパーさんが来て下さり、お布団を干して下さったり、お掃除をして下さったり。
それから、11時00分からは訪問リハビリ。
前回のリベンジで、お昼ご飯にお寿司を御一緒に食べました。
前回、失敗したのは「ゆめぴりか」の炊き方でした。
もう「ゆめぴりか」は食べてしまいまして、今回はタニタのお米で作りました。


 今日は母の調子がよくまずまずの一日でほっとしましたが、夕方、ヘルパーさん(今日は一番好きな看護師さんでした)が来られた時、「明日はお泊り誰かなあ、明日、泊まろうかなあ」と言ったものですから私はびっくり😳
いつもショートステイを嫌がっているのになぜ❓と気になりました。
私がちゃんとしてあげないから泊まりたくなったのかも知れないと思いますと、罪悪感やら寂しい気持ちが湧いてきました。
でも、得手不得手もありますし仕方がありません😓
私も母を気にしなくていい時間が必要かも知れません。
夜もやはり絶えず気になっていますから。


 夕方も歩きに行きましたが、少し冷えてきました。



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母の容態

2020年10月14日 21時52分00秒 | 介護
 今朝の空

大抵4時過ぎに目が覚めるのですが、二度寝をしますと、次に目が覚めるのは6時過ぎ。
今日も慌てて歩きに行きました。
🌄太陽は既に昇っていました。

6時34分




















公園の近所のお宅のお花




今朝は2軒のお宅から良い香りがしてきました。
















🏠我が家のお花
















今朝の「エール」は衝撃的でした。
いつもBSで7時30分から観ていますが、余りにも酷くて途中から観ることが出来ませんでした。
そこで、なかなか起きない母を起こそうとしましたが、何度呼んでも反応がなく、意識が朦朧とでもなく、ないような状態で、もう最期がいきなり来たのかと不安やら動揺やらが更に増して、とにかく、小規模多機能施設に来て頂けないか電話をしました。
「職員が来次第行きます」と言われ、30分後位にケアマネさんが来て下さいました。
「いつもと違うね。意識がどこかへ行っている感じ」と言われつつ、声掛けをして下さると、段々といつもの母に戻ってきました。
そして、朝の一連のルーティンをテキパキして下さいました。
「びっくりされたわねぇ。最初はやはりおかしかったです。お年寄りを見ていると1日が24時間ではなく、36時間とか長い感じがする」と言われていました。
その後母は「果物が食べたい」と言いましたので、朝食を準備していましたが、果物を切りました。

 今日の🍇🥝🍊果物🍏🍎🍍
いよいよ何も無くなってきました💦


その後、母は朝食も食べ、10時のおやつにコーヒーゼリーも食べました。

私は買い物に行っても大丈夫と判断し、ベッドから出ないように言い残し出掛けました。

メガネも直さなくてはならなかったので直して頂いている間にお買い物を済ませました。

また、新たに文具と本のコーナーが出来ていましたので来年の手帳を見ていると、一回り小さい🌹バラの手帳がありましたので、来年はそれを使うことに決めました
⤵️左が今年の手帳で、ずっとこれを使っていました。
右が新しく買った来年の手帳。








それから、ちょうどお玄関用のマットが傷んでいて探していたのですが、値下がり後更に20%引きになっていました。
気分転換したかったので買うことにしました。
ブルーが綺麗でしたが、これからの季節には寒々しく感じますのでグリーンにしました。




 家に帰ったのは約1時間後。
ヘルパーさんが、今日はデイサービスを休みましたので、お昼ご飯を届けて下さっていました。



 
 母は夕方には更に元気になっていて、私が目を離したすきにベッドのテーブルの向きや高さを変えたようで、最後にそれを蹴ってしまい、テーブルが傾き、お茶の入ったコップも落ちて割れてしまいました。
何もかも落ちましたのでひどい状態になりました。

今日は母がデイサービスに行ってくれると思っていましたので、したいこともありましたし、気分的にも目の前にいないので転倒とかの心配もしなくていいからのんびりと出来ると思っていましたが😓

元気がなくて寝込まれても心配ですし、反対に元気であれこれ勝手にして危なくて目が離せないのも困りものです。

 
 今日も夕方歩きに行きました。


 
 このまま今日は終わるかと思っていましたら、8時前になり急に「しんどい」と言い始めました。
今日は安定剤を飲んでいないからそれを飲むと言いましたので、それで様子を見ることにしました。
パーキンソン病の場合、自律神経が乱れるそうで、不安発作が起きる人も多いようです。
母の場合は不安にはならないようですが、しんどくなるみたいです。

1時間が経過した今、母は楽になったようで、元気になってきました。

母の容態には振り回されます。
元気がいい時も調子に乗って動いてはいけないといわれているのですが、母はなぜそれがいけないことなのかわからないようです。
自分もしんどくなる、周りにも迷惑をかけると言うことがどうしても理解出来ないようです。

元気に大きな声を出していましたが、寝たようです。

私も早めに寝る準備をして寝ます。

今日も何とか終わったことに心から感謝しつつ。。。
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歯医者さんへ

2020年10月13日 21時38分00秒 | 医療、病気
 今朝の空

日中は☀晴天で、暑くてまだ半袖で過ごしていますが、朝は何故かいつも☁曇っています。

今朝は4時過ぎに目が覚めて、二度寝をしましたら、次に目が覚めたのはなんと6時20分。


6時37分






🏠我が家のお花









 今日はやっと母が歯医者に行く気になり、大丈夫かなと心配しつつ、すぐ近くですが暑いですし歩けませんので車に乗せて連れて行くことにしました。
予約時間が2時でしたので、朝から早めに昼食の準備をしました。

⤵️中華風春雨サラダ


それに鮭焼き。
その他残り物のランチでした。
母は春雨サラダが好きなのでおかわりをしました。


デイサービスでは昼食後しばらくベッドで寝るようですので、食後すぐでしたので、ベッドを起こし気味にしてしばし寝るように言いました。
母は寝たようでしたが、1時40分に目を覚ましました。
出掛けるとちょうどいい時間になりますので行けるかどうか尋ねましたところ、大丈夫そうでしたので行くことにしました。

車もですが、歯医者さんにもまだ冷房がしてありました。

まずは検温から。


もうクリスマスツリーが出ていたり、クリスマスケーキの注文の広告が出たりしていますが、今は🎃ハロウィンですね。


母は55歳から総入れ歯です。
長い間使っていますし、直らないと思っていたようですが、上手に直して下さったので、嬉しそうに口元が緩んでいました🤭

母の診察中、私も歯のお掃除をして頂きました。
一年振りだったようです。
前も母の入れ歯の直しで連れて来た時についでにお掃除して頂きましたので、それ以来でした。
本当は半年に一度がいいそうですが、まずまず磨けていて、変化なく「歯並びも綺麗です」と褒めて頂きました❤️

🏠家に帰り、カフェオーレと大手饅頭を食べながら二人して寛いでいますと、いつも🐟お魚を下さるお宅のご主人がお野菜を持って来て下さいました。


水菜と白菜の間引き菜だそうです。
明日、お揚げさんと一緒にたこうと思います。
感謝💕

 
 ここのところ、夕方母がベッドに入ったりして動かない時には少しだけ歩きに行っています。


東の空に赤く光っている星は火星でしょうか❓
もう少しアップで撮ってみました。


かなりのピンぼけのような💦

今日は歯医者さんで少々疲れましたが、無事に終わりそうです。
母はもう眠っています。
呼吸も静かなので、ほっ。

一日、一日に感謝です😌



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パワーストーン&母の介護

2020年10月12日 23時00分00秒 | 介護
 今朝の空

今朝も☁曇は多いものの久し振りに朝焼けが見えそうな空でした。

5時37分














朝焼けはこんな感じでしたが、日中は晴天で、最高気温は27.7℃。(最低気温は17.2℃)
暑かったです。





🏠我が家のお花














今朝も🍎🍇🍏果物🍊🥝💕を食べましたが、お買い物に行っていないので種類が少なくなってきました。



 今日は夏前からの高校時代からの友人の希望で、霊視能力のある方のところへ行き、パワーストーンを作って来ました。









室内はパワーストーンや👼天使でいっぱい。








11時30分〜14時30分の予定でしたが、いろいろおしゃべりをしていたので時間オーバー。

⤵️私達が選んだ石達


⤵️出来上がったブレスレット
右が友人用で、左が私用です。


石を選んでいた時には派手なものが出来るのではないかと心配していましたが、そうでもなかったです。


ひとつ、ひとつの石に意味がありますが、全体的にはチャクラや心身のバランスを取ってくれるそうです。
直感で、自由に石を選んでいくのですが、今、必要な石達を自然に選んでいるようです。

最後にカードを引きました。
やはり、「瞑想」が一番に出ました。
「瞑想」からは逃れられないようです😅





 帰りにおなかが空いたので、コメダ珈琲に寄りました。
時間があれば、美観地区のフルーツサンドのお店に行く予定でした。
また日を改めて、美観地区へはゆっくり行くことにしました。




ミニのサンドウィッチセットとアメリカンを頂きました。
ちょうどいい量でした。

今日は私の車を友人が運転してくれて行きました。
私は2日間睡眠不足でしたので助かりました。

🏠家に着いたのは4時30分。
お花に水をやっていると母がデイサービスから帰ってきました。

母は私の為に予定以上に長生きしてくれているそうです。
それはアガスティアの葉にも書かれてありました。
母は🏠家で、私と二人の時に逝くそうです。
私は落ち付いて、母の旅立ちを一人で見送るそうで。。。
この時のことを一番恐れていましたが(ちゃんと見送れるかどうか)やはり、一人で見送ることは覚悟を決めないといけないことのようです。

母は🏠家で死にたいとずっと言っていました。
私も可能なら、母のその願いを叶えてあげたいと今まで思って来ましたが、一人で介護することのしんどさ(特に精神的に)で参ってしまいそうなことがあります。
それに十分なことをしてあげられません。
でも、ある意味で開き直りも必要かも知れません。
友人が言ってくれました。
「うちの母だって家に居たいのに施設に入れてる。家でみてあげているだけで十分お母さんは幸せだと思う。それだけで十分よ。」
「そうかな」と思いつつ、出来ないことに焦点を当てないで、出来ることをがんばればいいのかなと思いました。
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ニーバーの祈り

2020年10月11日 21時00分00秒 | 祈り
 今朝の空

今朝も☁曇っていました。

5時44分








少しずつ色づいて来ています。










🏠我が家のお花












朝は☁曇っていましたが、お昼前には青空が。
でも、その後また☁曇ってしまいました。


今日のおやつは🥝🍍🍊果物🍏🍇🍎
 
 
 昨夜はあれから(9時半頃)又、母が軽い喘息の発作を起こしました。
「吸入をしよう」と言っても嫌がりました。
このままでは母はしんどくて眠れないでしょうし、私は心配で眠れない。
10時近くになった時に「じゃあ、10分したら又来るからその時に収まっていなかったら吸入しよう」と言うと母も了解しましたので、私は寝る準備の為に自分の部屋へ。
チベット体操等も済ませて階下へ降りると10時05分。
母はなんと眠っていました。
喘鳴もなく、肩で息をするでもなく少し安心して、自分の部屋に戻りましたが、やはり、心配で眠れませんでした。
こんな時はろくな事を考えませんので、フランキンセンスを嗅ぎながらなるべく、「大丈夫」と言い聞かせました。
何かあれば、音でわかりますし、呼び出しブザーもあります。
それでも、10時55分、0時45分と気になりそっと見に行きました。
穏やかに息をして眠っていました。
結局、朝まで浅い眠りでよく眠れませんでした。
歩きに行く前もよく寝ていましたので出掛けました。
結局、母は一晩中よく寝ていました。
こんなことでは私の方が睡眠不足で不調になり、母の面倒をみるどころではなくなりますので、考えなくてはなりません。

そこで、思い出したのが「ニーバーの祈り」です。


ニーバーの祈り

原文

God, grant me the serenity to accept the things I cannot change,
Courage to change the things I can, and the wisdom to know the difference.

日本語(訳:大木英夫)

神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

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母の喘息

2020年10月10日 21時05分00秒 | 介護
 今朝の空

4時過ぎに目が覚めて二度寝をしましたら、次に目が覚めたのはなんと6時30分😳
🌀台風のせいか☁曇っていましたが、歩いているうちに少しずつ青空が見え始めました。

6時44分






西の空


東の空はまだ厚い☁曇に覆われています。


西の空に段々と青空が見え始めました。








北の空は綺麗な青空に。






東の空も少し明るくなってきました。










🏠我が家のお花








畑のレタス類が育ってきました。
ブロッコリーはまだです。




今朝は暖かかったので、🍇🍎🍏果物🍊🍍🥝を食べました


 
 朝日新聞の土曜日版に「生まれ変わったら日本人になりたい?」の調査が出ていて、興味深く読みました。 
多くの人が安全で四季のある日本が好きなようですが、日本以外なら、自由なアメリカが一番でした。
アガスティアの葉によりますと私は来世はまたインドのようですが、それは葉を開けた時点でそのまま生きていたらという前提だと最近では思っていますので、どうしても生まれ変わらないといけないなら自然の美しいアルプス周辺がいいな〜なんて思います。
でも、可能な限りもう生まれ変わらないでいいように、カルマ・ヨガ(日常生活を愛を込めて丁寧に生きる)を実践し、解脱したいです。



 お昼ご飯の前、母はベッドに寝ていましたので安心していましたら、次に見た時には起き上がって肩で息をしていました。
苦しそうなので、訪問看護ステーションに連絡するか病院に行くか尋ねましたが答えはいつもの如く「要らない」。
我慢強いにも程がありますし、見るからに苦しそうなので、黙って訪問看護ステーションに連絡しました。
喘鳴がなかったので喘息かどうか判断が付かず頓服用の吸入をするかどうかで悩んだからです。
また、4時からの訪問を早めて頂けないかと思いました。
何故か訪問看護ステーションの看護師さんはまた、長いある悩まれ、その間にも母はしんどそうですので、「早くしてー」といらいらしました。
やっと「カルテを見て又折り返し電話をします」と言われました。
小規模多機能施設の看護師さんに聞いた方が良かったかと思い電話をしたいと思いましたが、電話がかかってくるので我慢。
しばらくして、「カルテを見たら1日4回までとあるので、吸入して下さい」と言われ、「1時間なら早く行けます」と言われましたのでお願いしました。
そして、吸入。
しばらくすると少し楽になってきたようでした。
そして、しんどくて疲れたのかそのまま眠ってしまいました。
息をちゃんとしていることと呼吸が楽になったことを何度も確かめました。
そして、折角、母は寝ていますし、訪問看護は予定通りで大丈夫そうでしたので「いつも通りで大丈夫です」と電話を入れました。
その後、小規模多機能へも電話をしました。
いつも(これで3回目)あんまり長く訪問看護ステーションの看護師さんが悩まれるのでこちらは益々不安や心配がつのりますし、母が苦しがっていますのでいらいらもします。
ちょうど有り難いことに看護師さんが出勤しておられて、いろいろアドバイスを下さいました。
この方が一番母の容態についてご存じですし、決断も速いので私も安心なのです。
本来はいざと言う時には24時間対応の訪問看護ステーションに連絡することになっていますので、今までしてきましたが、まだ母の容態に慣れておられないせいか、悩まれる時間が長過ぎて😓

小規模多機能の看護師さんとの電話を切って、母のところに戻ると目を覚ましていました。
苦しくないか聞くと「よくなった」と言いました。
ご飯を食べることが出来るか聞くと「食べようか」。
今日は新しくタニタのお米を炊いていて、美味しいお漬物もありましたので、早速、お昼ご飯にしました。




あとは、お味噌汁と焼き肉と金平ごぼう。

⤵️おかずは二人分


こちらが一人分ですが、これは私の量で、母はもっとご飯を食べました。
(もちろん夕食も)


母はしっかり食べていましたが、私の方はまだドキドキで食欲なし。
一旦自律神経が狂うと元に戻るまでしばらく時間がかかります💦
(私が心身共に落ち着いたのは6時頃でした)

 その後、4時から訪問看護の看護師さんが来て下さいました。
思い切って、何を悩んでおられたのかお聞きしたところ、今までのパターンなら安定剤で落ち着くことがあった為のようでした。
でも、安定剤はその1時間前に飲んでいますし、肩で息をしていることもお話しました。
きっと頭の中であれこれ総合的に考えておられるのですね。
今日は1時間のところ、なんと1時間45分も居て下さいました。
こういうことは小規模多機能施設では絶対にあり得ません。
皆さんアラームを持っておられ、時間が来たら帰られます。
分単位で動いておられるからです。

今、母はうとうとしています。
喘息の発作で病院に行ったのが先週の土曜日の夜でした。
あれから1週間が経ちました。
季節の変わり目ですし、急に冷え込んだりしますので気を付けないといけません。



 到知出版社のメルマガより

≪トップインタビューに込められた想い≫ 今年、米寿を迎えた青山俊董老師

(10月6日)
       ──────────

たった一度の命をどう生きるか。

結局はそのことに尽きるでしょうね。

選ぶ人生、授かりの人生という話をしましたが、
命というのはいま、いま、いまの連続です。

いまここを、いただいた命に相応しい生き方として選んでいく。

そのことで人間が磨かれ、
人間としての根が深まっていくと思います。

そして深まるほどに、
足らない自分というものに気づいていく。

何事も一所懸命に打ち込もうとする姿勢は
もちろん大事だと思いますが、
それだけではくたびれてしまいます。


しかし、生かされた命ということが本当に分かってくれば、
自ずからそれに相応しい生き方をしないではおれなくなる。

学ぶほどに足りない自分に気づけば、
限りなく学ばないではおれなくなる。

そうすれば学ばせていただくこと自体が大きな喜びですわな。
「遊化(ゆげ)」という言葉がありますが、
私など毎日、知らなかった、足りなかった、
気づかせてもらえたと、その喜びばかりです(笑)。
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ある無名兵士の詩

2020年10月09日 20時42分00秒 | 祈り
 今朝の空
 
今朝も☁曇っていました。
台風14号の影響は明日の未明からのようです。
 
5時32分


まだ暗いですが、この時間帯に一番沢山の方が歩かれています。


今朝もがんばって10周歩きました。


🏠我が家のお花











 今日は以前右脇腹が痛くて病院に行った時に予約でいっぱいだった為にこんなに延びてしまっていたエコーの予約日でした。
昨夜9時から絶食。
予約時間は10時でした。






受付で待っていますと、かつての同僚でボランティアコーディネーターでもある私よりも若い男性が声をかけてくれました。
どこか悪いのか心配して下さったようです。
相変わらず優しそうで見るからに癒やし系です。
彼はホスピス時代、主に患者さんと直接関わっていました。
彼からの依頼で、死にゆく患者さんと直接お会いしたことも何度もあります。
患者さんが私を呼ばれる時主に彼が中継役をしてくれていました。
そんなお話もまたいつか機会があれば書きたいと思います。
 
今、コロナでボランティアはどうなっているか聞いたところ、お花のグループは活動していましたが、かつて私と一緒に新聞を作りお茶会を開いていた僧侶の友人は今は写経の会を開いているそうですが、活動が出来ないので、書いたものをお寺に送っているそうです。
私も書いてみませんかと誘って下さったので、喜んで書かせて頂くことにしました。


早速持って来てくれたのが上の紙です。
「また、書けたら訪問看護師にでも託けて下さい」とのことでした。
 
そんな話をしていると、順番が来て呼ばれました。
ついでに検査結果も聞いて帰りました。
やはり、脂肪肝😓
お酒も飲まないのに、まだ太り過ぎなのでしょう。
ドクター曰く「これ以上食事の量は減らせないでしょうから内容を見直して下さいね」
タンパク質を中心に摂取するように言われました。
代謝が落ちているからなかなか痩せないそうです😢
 
 
⤵️帰り道のけやきの並木道





 病院から用事を2つ済ませて家に帰ったのは11時10分でした。
病院は何故か緊張しますし、疲れます。
今日はいつもの大病院ではありませんでしたのでさほどではありませんでしたが、それでも疲れて、午後から本を読みながら寝てしまっていました。
 
そんなこともあり、なかなか、自分の弱さを受け入れることが出来ずに悩むことがありますが、そんな時には「ある無名兵士の詩」を思い出します。
この詩もとても有名なのでご存じの方もいらっしゃることと思います。
この詩は「140年前にアメリカの南北戦争に従軍し、戦傷者となった南軍の兵士がニューヨーク州立大学病院の病室に記した詩」と言われています。(一説にはある神父が書いたとも言われています)
 
 
〜ある無名兵士の詩〜
 
「苦難にある者たちの告白」
-ある患者の詩
 
 
大事を成そうとして、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く、従順であるようにと
弱さを授かった。
 
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた。
 
幸せになろうとして
富を求めたのに、
賢明であるようにと
貧困を授かった。
 
世の人々の賞賛を得ようとして、
権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった。
 
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように
命を授かった。
 
求めたものは一つとして
与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
 
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた。
 
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ。
 
(訳者不明)
 
 
 
A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
 
I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
 
I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
 
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
 
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
 
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
 
I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
 
I am among all men, most richly blessed!
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災難に逢う時節には&母のこと

2020年10月08日 20時10分00秒 | 精神世界
 今朝の空

昨夜は11時過ぎに寝ましたが、昨日のように夜中に目が覚めて、次に目が覚めたのは6時。
☔雨が降っていましたが、外の空気を吸いたくて、やはりウォーキングへ。

6時10分




公園のご近所のお庭

今はもう主がおられません。
でも、季節折々のお花は咲き続けています。






ママ友ガーデン


しっとりとした☔雨の日は心も落ち着きますので好きです。




🏠我が家のお花

☔雨に打たれた🌹バラが綺麗です。











 今日は木曜日でしたので、9時半から1時間ヘルパーさんが来て下さいました。
☔雨が降っていますので、お布団が干せず、おかずを2品作って下さいました。




11時からはリハビリ。
今日はご挨拶だけして、寒いのでベッドで本を読んでいようと思っていましたら、いつの間にか1時間半近く寝てしまっていました😳
母がヤバい‼️
慌てて1階に降りましたが、ベッドの上に箱が出ていて、本人がいない💦
どこかで転んでいるのではないかと呼びながら探しましたが、声がしないので焦りましたー。
まさかセーター等を出しに2階へ❓
結局、お台所の隣の部屋にいました。
転んでいなくてほっとしました。
母いわく「どこに行ってたん❓」
その後、母は動き過ぎたせいか調子が悪くなりベッドに入りました。 

夕方、来て下さった看護師さんに一連の話をしましたところ、「お母さん、もうダメでしょ」
すると、母はニターッと満面の笑み😓
何事もなかったから良かったようなものの目が離せません。

一昨日も外を見に行こうとしました。
夕方、寒くなってきましたので喘息にも良くないですし、石が置いてあるので非常に危ないのに、全く言うことを聞いてくれませんでした。
手を引いて家に入れようとしても、あまり引っ張ると足がふらふらなので危ないです。
もう責任が持てない😓

ところで、昨夜から始まった喘息の吸入の介助が可笑しくて笑えました。
まず、「息を吐いてー」と言って「はぁー」とやって見せると「それは吐いていない。吸っている。吐くのはこう」と言って、何故かおちょぼ口で「すぅ〜」
何故、そこで普段そんなに上品ではない母が上品になるのか訳が分かりません😆
あー、可笑しい🤣
今朝も練習をしていざ本番。
だいぶ上手に出来るようになりました。

病院での吸入も昨日からの吸入も何故か上下の歯をしっかり噛んで口を開けないので困りました。
吸入出来ない。
何度「口を開けて」と言ったことやら。
それ、絶対、おかしいでしょう、お母さん🤣
これも今では笑い話😆

そうそう、母は目薬も苦手。
目薬が出来ない人がいるなんて知りませんでした。
「目を開けて」と言っても、本人が手で開けようとしても余計に閉じてしまいます。
でも、娘婿もそうらしく、結構、いるみたいですね。


 お昼ご飯は母の好きな鯖寿司。






おやつは昨日、買ってきたわらび餅と白玉あんみつ。

やはり、一日経つと味が落ちていました。












「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬる時節には死ぬがよく候
是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」

これは良寛様のお言葉です。
私の東京にいるセラピストの友人、と言いましても、随分年上の78か79歳の方ですが、こういう心境だそうです。
お子さんが不登校になられた時に、心理学を学びにアメリカへ。
2度の苦しい離婚も経験されています。
でも、今は毎日が本当に幸せだそうです。
何をしても、しなくても幸せ。
韓国へ瞑想を学びに行かれた帰り、岡山に実家がおありなので我が家にもしばらく滞在されましたが、二言目にはにっこり笑って「あー、幸せだなー」が口癖でした。
韓国で友人のお坊様から、「解脱の入口に入った」と言われたので帰国なさったのですが、私みたいに解脱にこだわりは全くないです。
こんな楽しい🌏地球に又戻って来たいそうです。
ただ、今度はもう2度と同じ過ちを繰り返さないよう、前世の記憶を持ったまま生まれて来たいと言われていました。
その方が、この良寛様のお言葉をどう思うかと以前尋ねられました。
私は答えました。
「素晴らしいお言葉ですし、このような心境になりたいですが、とても遠く到りません。」
ありのまま、あるがままを受け入れて、心穏やかに生きていきたいものです。



〜光華女子学園のHPより〜

今月のことば

平成23年1月のことば
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候

今月の言葉は江戸時代の曹洞宗の僧侶である良寛の言葉です。一八二八年の冬、良寛が七一歳の時、住んでいた新潟の三条に一五〇〇人以上の死者が出る大地震が起こりました。幸いにして、良寛自身には被害はなかったのですが、子供を亡くした山田杜(と)皐(こう)に送った見舞い状にこの一文が出てきます。
見舞い状では「地震は信(まこと)に大変に候。野(や)僧(そう)草庵(そうあん)は何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候。うちつけに、死なば死なずに永らえて、かかる憂きめを見るがわびしさ」と生き長らえたために、こういうひどい目を見るのが辛いという気持ちを示した後、冒頭の言葉が出てきます。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候

災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかないという意味の言葉です。どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかなく、そのことを「災難」としてしか捉えることができないならば、どこまでもその不運を嘆いて生きて行くしかありません。子供を亡くし悲嘆にくれる友人に対しそのことに一切触れることなく、「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」という仏教の教えを語ることで励ました、心のこもった言葉ではないでしょうか。そこには良寛さんの温かい人間味が感じられます。この良寛さんの手紙は、恐らく山田杜皐にとってどんな慰めの言葉よりも救いとなったのではないでしょうか。(宗)

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今日はお出かけ

2020年10月07日 21時37分00秒 | 友人との時間
 今朝の空

昨夜は10時30分過ぎにベッドに入りましたが、3時30分頃目が覚めました。
しばらく眠れませんでしたが
いつの間にか寝ていたようで次に目が覚めたのは6時。
窓の外は朝焼けで紅く染まっていて、今日は夜明け前の空が紅く染まる時間には間に合いませんでした。

今朝の気温は昨日よりも下がり12℃。
(今日の最高気温は25.3℃、最低気温は12.4℃でした)

6時14分




今朝も☁雲が何ともダイナミック😃


































段々と☁曇ってきました。


7時前、またあのお母さんと息子さんにお会いしました。


そばを通り抜けて歩いて行くことが躊躇われましたので、今日は8周で帰ることにしました。


🏘我が家のお花









 母がデイサービスに行った後、「ラビアンローズ」のメンバーの一人がデコ等の展示をしていましたので、もう一人の高校時代からの友人と見に行きました。






















カレーのお店の一角を借りて何人かで展示していました。

まずはカレーを食べることにしました。
私はシーフードカレー。




あとの二人はオムレツとカレーを注文。


その後、展示を見に行きました。
たくさんの人が来ていて、なかなか動けない状態でした。


来年の丑年のデコ


その後、高校時代からの友人と私は枕を買いに行きました。
二人とも枕が合っていないようで、寝ている間に肩が凝ります。

⤵️久し振りの商店街


予約のお客様がいらしていて1時間、待ち時間がありましたので、天満屋に入り、ティータイム。
「文の助茶屋」に行きました。








買ったばかりのマスク置きが早速役に立ちました。






私は抹茶セットを注文しました。


お抹茶とお抹茶のわらび餅とお抹茶のソフトクリーム。
久し振りのお抹茶が美味しかったです。


母にお土産
お抹茶のわらび餅と白玉あんみつです。


あっと言う間に時間が来て慌てて、枕屋さんへ。






測って頂き、首のカーブに沿った枕をいくつか試し、二人とも作ってもらうことにしました。
今まであれこれ枕を試しましたが、高過ぎたようです。
マットも二人とも低反発を使っていますが、私はかなり長く使っていて、ここ一年ほど、枕同様買い替えを検討していました。
先日も、低反発のマットの会社から買い替えのオススメのハガキが来ていて、買い替えようと思っている間にバタバタしていて期間が過ぎてしまっていましたので、今回マットも検討し、セット価格でお安くして下さったので購入することにしました。
1日の3分の1は睡眠時間ですから、安眠は大切です。
私がマットに寝ている姿を見られて、私が寝る時リラックス出来ていないことがお店の方にはすぐにわかられたようです。
やはり、母のことが気になっていますし、リラックス出来ていないようです。

 ここでもあっと言う間に時間が過ぎて、母のデイサービスからの帰宅に間に合わなくなるので慌てて帰りました。 

 今日の送りはやはり看護師さんで、母の喘息の吸入についていろいろお話をしました。
デイサービスで初めて看護師さんが吸入して下さったのですが、やはり上手く吸えなかったようです。

日に2回ですので、そろそろ吸入の時間が来ます。


 暗くなってから、老人クラブの方が「敬老の日」のお菓子を届けて下さいました。
その時に「うちの息子と同級生ですよね❓」と言われましたので、❓❓❓と考えて息子さんのお年をお聞きしたら「昭和58年」😳
「それは娘です」と答えました🤣
「夜目遠目笠の内」と言いますが、流石にそれはないでしょう😆






町内会からも「大手饅頭」を頂きました。

 そんなこんなで、今日は友人とお出かけを楽しみました。


⤵️昨夜、ポストに南杏子さんの3冊目が届いていました。


 
 昨日と今日とエディオンから電話があり、💻パソコンはメーカーに修理に出されたようで、あと1週間かかるそうです。
今週末には戻って来ると思っていましたので、少々がっかり。
もうしばらく不自由を満喫することにします😌

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表情豊かな今朝の空&山椒&小林麻央さん

2020年10月06日 20時52分00秒 | 精神世界
 今朝の空

今朝の気温は手元の📱スマホで13℃。
寒かったのでパーカーを羽織ってお散歩に出掛けました。
☁雲の様子から今日は朝焼けが綺麗に違いないと思っていましたら、本当に綺麗でした。

5時24分








段々と明けゆく空



















実際はもっとオレンジ色が濃くてあたり中が染まっていてとても綺麗で神々しかったです。

北東方面の☁雲が変わっていました。

























西の空の☁雲
何だかすごい😳

























北の空の☁雲😳














今朝も空を見飽きませんでしたので10周歩きました。


🏘我が家のお花






他にも咲いていますが、花びらが傷んで茶色になっています😢


 今日は9時半から30分、ヘルパーさんが来て下さり、その後、ドクターが往診に来て下さいました。
当分、朝晩、吸入した方がいいと言われました。
また、ひどい喘息が起こった場合の吸入も出して下さいました。
上手く吸えないだろうからと言われ、吸入器の補助ようなものも出して下さいました。

 ちょうどドクターと同時に荷物が届きました。
ドクターが「荷物が届いたみたいよー」と😅
このブログで知り合った県北の方が、私が山椒が枯れたと書いていたのを読まれて、送って来て下さったのです。
彼女は私のブログに初めてコメントを下さった方でもあります。
今のこのブログは4年くらいになります。
(その前にも働いていた頃から長く書いていたブログがありますが閉じました。)
ブログは自分の覚えの為に細々とひっそりと書いていましたので、どのようにして見つけられたのかわかりません。
当時は他の方のブログを拝見すると言うことも思い浮かびませんでした。
この方とは今ではフェイスブックでご主人とも繋がり、こうして折りに触れて、「まごころ便」を送って来て下さいます。






私は今まで何回か山椒を枯らしたことがありますので、折角送って下さったものを枯らさないか少々不安です💦



どこに植えようか、2本を離して植えた方がいいかしらとあれこれ悩みましたが、母が一番日当たりがいい🌹バラの所がいいのではないかと言いましたのでそこに植えました。

 
 それから昼食後、生協さんが来たりしてバタバタしていましたが、母もベッドに入りましたので、「さあー、本を読もう」とソファに座った途端に臨床心理士で退職後友人になったKちゃんが「届けたいものがあるから、ちょっと寄るわー」



何でも、有名で彼女が一番美味しいと思っているパン屋
さんの何周年かの記念のチョコクロワッサンで、何とかと言うバターを100%使っているとか。
お店の名前もバターの名前も横文字なので覚えられない💦

昨日も別のKちゃんが彼女が一番美味しいと言う「銀座 にしかわ」の🍞食パンをくれましたし、2日に渡って美味しいパンを頂きました🤗
明日はこれまた高校時代からの友人のKちゃんとお出かけします。
皆、同じ名前で、しかも同じ漢字です。
年は3人共違いますが、同じ名前の友人が3人もいるなんて珍しい😃

 ところで、💻パソコンに下書き保存していた記事を発見しました。
多分、感動してアップしようとして時期を逸したのだと思います。
9月7日の日付でした。


小林麻央さん、BBCに寄稿「色どり豊かな人生」'My life has been rich and colourful'

2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。娘は3歳、息子はまだ1歳でした。
「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫!」と思っていました。
けれど、そんなに簡単ではありませんでした。
今も、私の身体は、がんと共にあります。
私は、テレビに出る仕事をしていました。
病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。
なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。
隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち、生活するようになっていきました。
1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、
緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。
「がんの陰に隠れないで!」
私は気がつきました。
元の自分に戻りたいと思っていながら、
私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とは
かけ離れた自分になってしまっていたことに。
何かの罰で病気になったわけでもないのに、
私は自分自身を責め、それまでと同じように
生活できないことに、「失格」の烙印を押し、
苦しみの陰に隠れ続けていたのです。
それまで私は、全て自分が手をかけないと
気が済まなくて、
全て全てやるのが母親だと
強くこだわっていました。
それが私の理想の母親像でした。
けれど、
病気になって、
全て全てどころか、
全くできなくなり、
終いには、入院生活で、
子供たちと完全に離れてしまいました。
自分の心身を苦しめたまでの
こだわりは
失ってみると、
それほどの犠牲をはたく意味のある
こだわり(理想)ではなかったことに
気づきました。
そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、
私を妻として、母として、以前と同じく、
認め、信じ、愛してくれていました。
私は、そんな家族のために、
誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。
私は、闘病をBlogで公表し、
自ら、日向に出る決心をしました。
すると、たくさんの方が共感し、
私のために祈ってくれました。
そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、
(コメント欄を通して)
教えてくれました。
私が怖れていた世界は、優しさと愛に
溢れていました。
今、100万人以上の読者の方と繋がっています。
人の死は、病気であるかにかかわらず、
いつ訪れるか分かりません。
例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。
だから、
与えられた時間を、病気の色だけに
支配されることは、やめました。
なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。
だって、人生は一度きりだから。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-38073955


Two years ago, when I was 32, I was diagnosed with breast cancer. My daughter was three, my son was only one. I thought: "It'll be OK because I can go back to being how I was before once the cancer is treated and cured." But it wasn't that easy and I still have cancer in my body.

For a long time I hid the disease. Because my job involved appearing on TV I was scared about being associated with illness or showing people my weaknesses. I would try to avoid being seen on the way to hospital appointments and I stopped communicating with people so as not to be found out.

But while wanting to go back to who I was before, I was actually moving more and more towards the shadows, becoming far removed from the person I wanted to be. After living like that for 20 months, my palliative treatment doctor said something that changed my mind.

"Don't hide behind cancer," she said, and I realised what had happened. I was using it as an excuse not to live any more.

I had been blaming myself and thinking of myself as a "failure" for not being able to live as I had before. I was hiding behind my pain.

Until that time I had been obsessed with being involved in every part of domestic life because that was how my own mother always behaved. But as I got ill, I couldn't do anything, let alone everything, and in the end, as I was hospitalised, I had to leave my children.

When I was forced to let go of this obsession to be the perfect mother - which used to torture me, body and soul - I realised it had not been worth all the sacrifice I had made.
My family - even though I couldn't cook for them or drop them off and pick them up at the kindergarten - still accepted me, believed in me and loved me, just like they always had done, as a wife and a mother.

So I decided to step out into the sunlight and write a blog, called Kokoro, about my battle with cancer, and when I did that, many people empathised with me and prayed for me.
And they told me, through their comments, of their life experiences, how they faced and overcame their own hardships. It turned out that the world I was so scared of was full of warmth and love and I am now connected with more than one million readers.

If I died now, what would people think? "Poor thing, she was only 34"? "What a pity, leaving two young children"? I don't want people to think of me like that, because my illness isn't what defines my life.

My life has been rich and colourful - I've achieved dreams, sometimes clawed my way through, and I met the love of my life. I've been blessed with two precious children. My family has loved me and I've loved them.

So I've decided not to allow the time I've been given be overshadowed entirely by disease. I will be who I want to be.

Translation by Mariko Oi

https://www.bbc.com/news/magazine-37861457


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キサー・ゴータミー

2020年10月05日 19時05分00秒 | 精神世界

 今朝の空


今朝もどんよりとしていました。

気温は手元の📱スマホでは20℃。

風が強くて「野分」のようでした。


今朝は蒸し暑かったものの風が強くて気持ちが良かったので10周歩きました。

写真を撮ったりしながらゆっくり目に歩きますので、1周が550歩前後、5分間くらいでしょうか。

それに加えて公園までの行き帰りに5分。

🏘家にもどった途端に☔雨がパラパラと降り出しました。


5時47分







久し振りにあのお母さんと息子さんをお見かけしました。

いつも1周だけ歩いて帰られます。

私の母はもうこのように歩ける日は来ないかもしれません。




段々と色づいて来ました。




東の空


西の空


🏘我が家のお花





明日から朝の🍎🍏🍇果物🍊🥝🍍🥝は止めて日中(特に午前中)に食べるようにしようと思います。

ヨガから言うと午前中の🍍🍍🍊果物🍏🍎🍇はエネルギーに満ちていて身体には良さそうです。


インドに行った時には12時に

がお粥が出されました。

午前中は排泄の時間だそうです。



 母がデイサービスに行ったのと入れ替わりにママ友が遊びに来ました。

水曜日に続いて今朝もデイサービスの車がエンストを起こして、私はしばし残られたヘルパーさんとおしゃべりをしていました。

ご近所の空き地は駐車場になり、車が8台置けるようになっていて、すでに3台停めてありました。


⤵️ママ友が持って来てくれたあれこれ


美味しいと評判の🍞食パン








 午後からはお天気に成りました。

ママ友を見送りに外に出た時に駐車場になった空き地を📷パチリ。


 

 最近、お邪魔しているブロガーさんが紹介なさっていた「サイレント・ボイス」と、同じ著者の南杏子さんの「いのちの停車場」が届きました。

もう1冊、注文しています。

嬉しくて、早速読み始めました。





 今日は母との「令和の米騒動」🤭の最後のお米で炊き込みご飯を炊きました。



小松菜が沢山あったので、お豆腐と炒めました。




 昨日、書いたお釈迦様のお話を興味を持って読んで下さった方がいらしたので、ここに改めて正しく詳しくこのお話をアップしたいと思います。

いろいろネットで調べてみますと微妙にお話が違っていたりしますが、概ね以下のようなお話で、このサイトには詳しく書かれてありました。


〜ブッダの樹より〜引用


キサー・ゴータミー、彼女は舎衛城の貧しい家に生まれました。相貌は醜く、身体も痩せ衰えていました(キサーとは痩せたという意味)。そんな彼女も、結婚し、一人の子供が産まれました。幼い頃から貧しさと苦労続きだった彼女にも、ようやく幸せが訪れようとした時でした、不幸にも、突然の夫の死に出会うのです。ある日、路上に倒れている夫を見つけました。この時、キサーのお腹には二人目の子供が宿っていたのです。
あまりの突然の不幸に、哀しみに沈んでいた彼女にさらに追い討ちを掛けるように、二人の子供は亡くなり、両親も世を去ってしまうのです。自分ひとりだけがこの世に残り、こんな辛い苦しみがあるだろうか、彼女は死んでしまったわが子を抱いて、放心したように何か救いを求めて、町中をさまよい歩いていました。

そんなとき、町を歩いていたブッダに彼女は呼び止められるのです。
「どうしたのです。あなたは何をもとめているのですか」
ブッダの声に我に返ったキサー・ゴータミーは、

「ああ、ご出家さま、どうかお願いでございます。この子を、どうかこの子を生き返らす薬を私にお与え下さいまし。私はこの子にまで死なれては、これから生きていくことは出来ません。どうかお願いします」
と、涙ながらにブッダに訴えたのです。ブッダは、必死に願う彼女の目と、腕に抱かれた赤子を見つめ、言いました。
「では、よいかな、よく聞きなさい。この町中の家の中から、今だかつて死人を出したことのない家を見つけなさい、そして、その家から芥子の種をもらってきなさい。そうすれば、私はあなたに、その子供を生き返らせる薬をつくってあげよう」
その言葉を聞いた彼女は、一縷の望みを得て、ブッダにお礼を言い残し、気力をふりしぼって、走り出したのです。

ところが、
「いやあ、うちは去年父を亡くしたばかりでねえ」
「私のところは三ヶ月前に見送ったばかりさ」
「うちには芥子の種はあるんだが、これまでに三人亡くしているよ」
家の入り口に立って、彼女は悲嘆にくれるばかりでした。町中の家をくまなく捜し求めたのですが、芥子の種はあっても、死人を出したことのない家庭はありませんでした。身体はくたくたに疲れ果て、彼女はその現実にようやく気付いたのです。
皆、必ず家族の死を経験しているのだと。自分だけが悲しいのではなく、皆悲しい別れを乗越えて生きているのだと。ブッダは、そのことを私に伝えたかったのだと。キサー・ゴータミーは力を振り絞って、ブッダの待つ、祇園精舎まで歩いていきました。

身体は疲れ切っていたものの、彼女は、悲しみを乗越え、新しい道へ向かう心が生まれはじめたのです。それは、わが子供の命を蘇らせる薬を得ることではなく、この世を生きていく中で避ける事の出来ない苦というものを乗越えていくための薬を得るため、ブッダの弟子となり、生きていくことだったのです。
幼い頃より苦難の道を歩み、人として、女性として生きることの苦しさを、体験してきた彼女は、いまようやくブッダの弟子となり、真に心から喜べる限りない幸せを手に入れようとしているのです。
尼僧となってからのキサー・ゴータミーは修行に励み、苦を乗越えていく道をまっとうしていくのです。蓮の花が、泥の中に植わっていても、その咲いた花は少しも泥に染まらぬように。

https://www.buddhanoki.com/eshi/
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昨夜は大変でした&The Prayer of St. Francis フランチェスコの平和の祈り

2020年10月04日 17時19分00秒 | 祈り

 今朝の空

今日は一日どんよりとしていました。

6時11分


ご近所のお花

















🏠我が家のお花










「ブルームーン」が今日は綺麗です❤️







今朝の🥝🍍🍊果物🍇🍏🍎



旬のものはまだいいのですが、🍌バナナ等は身体を冷やしますので、そろそろ止めた方がいいのですが、母が好きなので少しだし大丈夫かなと思いつつ朝食の時に出しています。 


 最近、母は時折軽い喘息を起こすようになっていました。

昨日も朝から時折、ヒューヒュー。

ところが、昨夜の7時半過ぎあたりからひどくなってきました。

何かあった時には訪問看護ステーションに電話し、そこからドクターに連絡が行く仕組みですので、電話をしましたが、「どうしよう」「どうしよう」と言われ、なかなか決まりません。

やっと「一応病院に聞いてみます」と言われ、連絡待ち。

しばらくして、お電話があり「外来も閉まっているし、当直医が外部からのドクターで、しかも神経内科だから、収まらないなら救急車で他の病院に行って下さい」と言われました。

今まで「何かがあれば連絡して下さい」と言われていた小規模多機能施設も、土曜日のせいか誰も出られず、ケアマネージャーに連絡しました。

お返事は同じで「救急車で病院に行って下さい」

母はと言えば、「治るわけがないし病院には行かない、ましてや救急車なんてとんでもない」と言います。

救急車使用は娘にも止められています。

(彼女は医者です)

でも、本当にヤバい場合はそんなことは言っていられません。

この場合は静かに看取るというケースでもありませんし。

かなりしんどそうに見えますが、私の判断で仕方がないので、「とにかく楽になるから、病院へ行こう」と言い、車にやっとのことで乗せました。

パーキンソン病のせいもあり、足がふらふらなのでとても危ないし、素人の私にとっては一人での介助はとても怖い。

でも、助けがない以上、私が一人で何とかする以外にありません。

車に乗せた後で、なぜタクシーで行くと言うことを思い付かなかったのかと思いましたが、とにかく「何とか一人でがんばって病院に連れて行かなくては」と思ったのです。

病院へは連絡していましたが、心臓発作やその他の救急患者さんがおられて待たされました。

でも、幸い一番ひどい発作は約30分位で収まっていました。

やっと順番が来て、吸入をして下さいましたが、効果なく1時間の点滴になりました。

点滴が終わっても息をする時にまだ時折ヒューと聞こえてきました。

点滴でも収まらなかった場合は入院と言われていましたが、レントゲン結果も以前と変わりなく、酸素濃度もOKと言われて、お薬と訪問医師へのお手紙を頂いて帰ることになりました。

家に着いたのは11時半。

母は処置をして頂くと楽になることが分かったようです。

それにしても我慢強いと言いますか。。。

私は幼い頃から喘息があり(それを母は知りません)、20歳の誕生日の夜には京都の叔母のところで危うく死ぬところでしたので、喘息については知っています。

(もちろんその時には 病院に行きました。おまけに私には強烈なお蕎麦アレルギーもありますが、それも母は気のせいだと言って未だに信じていないようです💦


私は病気を持っての出産等今まで2回死ぬ目に遭っています)

病院から連れて帰ってきたものの大丈夫かなと思い、昨夜は何度も目が覚めましたが、私がベッドに入る頃には母は気持ちよく寝ていました。

もう本当にやれやれ😥

私の来世でフィアンセとなるらしい友人🤣が「よく頑張った‼️」と言ってくれました🤗

今日は母はお薬が効いているようで、安定した呼吸をしています。

本当にいろいろあります😓が、こうしてひとつずつ乗り越えていく以外にないですね。

それに、病院でつくづく思ったのですが、皆、それぞれが苦しみ又、がんばっている。今、何も苦しみや悲しみがない人でもかつてあったかも知れないし、いずれ体験することかも知れない。

よく覚えていないのですが、息子を亡くし嘆き悲しんでいた母親にお釈迦様が言われたそうです。

「この村で一度も悲しんだことがない人(確か、死人を出したことのない家だったと思います)を連れて来なさい」

誰も居なかったそうで、母親は立ち直られたそうです。

生きて行くって大変ですが、「死」の向こうに、多くの賢人達が見つけられた世界があると私は信じたいです。


 ところで、今日は10月4日。

私の霊名(クリスチャンネーム)の保護の聖人の祝日です。

私の霊名は「マリア・フランチェスコカ」と言います。

聖母マリアとアッシジの聖フランチェスコが守護聖人です。

このクリスチャンネームはカトリックに独特のものです。

名前は自分で選ぶことも出来ますし、神父様が考えて下さる場合もありますし、自分の誕生日から決めたりも出来ます。

聖フランチェスコは映画「ブラザーサン シスタームーン」でも有名ですね。

清貧で謙虚な人生を歩まれた方です。

いつかイタリアのアッシジにも行ってみたいです。

今日はこの聖人の有名な祈りをご紹介したいと思います。

世界宗教者会議の場所にも選ばれたアッシジ。

マザーテレサも愛した祈りです。


FOR PEACE

Lord, make me an instrument of your peace,
Where there is hatred, let me sow love;
Where there is injury, pardon;
Where there is doubt, faith;
Where there is dispair, hope;
Where there is darkness, light;
Where there is sadness, joy;

O Divine Master,
Grant that I may not so much seek
To be consoled as to console;
To be understood as to understand;
To be loved as to love.

For it is in giving that we receive;
It is in pardoning that we are pardoned;
And it is in dying that we are born to eternal life.


Saint Francis of Assisi


平和を求める祈り

神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。

アッシジのフランチェスコ

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平生の生き方

2020年10月03日 17時06分00秒 | 精神世界
 今朝の空

今日は土曜日なのでたまにはゆっくり寝ようと昨夜はベッドに入ったのですが、目が覚めたのは昨日と同じ4時40分。

母がデイサービスに行ってくれている方が転倒等の心配が要らなくていいはずなのですが、デイサービスがない週末はやはり気分的にのんびりするのは仕事をしてきた頃の名残りでしょうか。

目が冴えましたのでしかたなく起き上がり🤭、瞑想をしてからウォーキングへ出掛けました。

朝が明けるのが本当に遅くなりました。

5時33分


今朝は☁曇っていましたので月が隠れていました。



段々と明けていく空を見るのが好きです。
もちろん、沈みゆく夕空を見るのも。











今日の日の出の時間は6時01分。

6時00分















今朝も見飽きない空でした。








昨日工事をしていた空き地は入れないようになっていました。
どんな🏘お宅が建つのかなあ〜。
あるいは駐車場❓






🏘我が家のお花





真紅の🌹バラが咲きました。 





他の方のブログを拝見すると下に1枚、上に2枚の写真を1枚にまとめてアップしておられる方がいますが、この📱スマホでは出来そうにないので、アプリが必要なのだと思います。





今朝の🍎🍏🍇果物🍊🍍🥝



その後、目玉焼きとサラダを食べ、ミロを飲んだ後に母が「何か美味しいものが食べたいなあ」と言いました。
「美味しいものって❓」と尋ねますと「あんパンとか」と言いましたので、パン屋さんまで行って来ました。











ついでに私のサンドイッチも🤭



パン屋さんの前は田んぼ。



🏘我が家の近所では見ることのなくなったほっとする風景です。 


 今日は9時半から朝の訪問に小規模多機能施設から看護師さんが来て下さいました。

 最近、お邪魔しているブロガーさんの中に看取りを何組か経験なさっている方がおられ、考えさせられながら拝見しています。
いつか私にも必ず訪れる母との別れの時、ちゃんと出来るだろうかととても不安です。

母の「Nちゃんサポートチーム」は今のところほぼ万全ですが、問題は私です。
体調に波がありますし、一人ではないけれど一人なので、果たしてその時に大丈夫だろうかと。

そこでお見送りの時に看護師さんにお話してみました。
小規模多機能施設では看取りはしていないそうですが、「ケアマネージャーに話しておきます」と言われました。 
そして、私について「大丈夫
。しっかりしているし知識もあるし。でも、一人だから不安なのよね」と言われました。

ホスピスにも勤務しいろいろな方の最後の日々に接し、その最期には直接的ではないにしろ関わらせて頂いてきました。 

また「死」は昔から私の中で大きな問題として幼い頃からあった気がします。
ひとつには母の父親、つまり私の祖父の死に方がトラウマになっている気がします。
自殺とかではありませんでしたが、思うようにならなくなた身体が悲しかったのか、世間体が気になったのか、穏やかに逝ったとは言えない最期でした。
私は自分の為にも周りの人の為にもあのようには死にたくないと強く思いました。
母は今、あの時の父親の気持ちがよく分かると言います。

学んでもなかなか確固たる「死生観」は確立出来ないものですね。
やはり、平生の生き方こそが大切なのだと思います。

 今、訪問看護師さんが来て下さっています。
感謝です❤️
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満月

2020年10月02日 19時00分00秒 | 自然
 今朝の5時2分あたりが🌕満月タイムでした。
4時半過ぎに目が覚めましたので、写真を撮ってみました。
電線が多くて写真を撮る時には本当に残念💦

4時46分









今朝の空

🌕月が沈むところでした。
「もう10分間早く来れば綺麗だったのに」と母と同い年の95歳の方が言われました。
まだまだとてもお元気に毎朝歩かれています。

5時39分














レースの裾のような☁雲。
何だか可愛らしかったです🤗


今朝も☀太陽光線ビーム💕








🏘我が家のお花






今朝は「ジュリア」が咲いていました❤️






昨夜、ママ友に頂いた「瀬戸ジャイアンツ」
早速、今朝頂きました。



今朝の🥝🍍🍊果物🍇🍏🍎


 
 ご近所の「売地」の看板が無くなったと思っていましたら、売れたようです。
250坪のうち、200坪はお隣の方が買われたとお聞きしていましたが、残りの50坪も売れたようで、今朝から工事をされています。

どんなお🏘が建ち、どんな方が住まれるのでしょう。
ここは昔、沼地で黄色の菖蒲やガマが咲いていました。
🏘我が家の裏も昔は田んぼで稲作をされていて、梅雨の頃には蛙の大合唱が聞こえたものですが、何年か前に全部アパート❓コーポ❓になりました。
段々と身の回りから緑が消えて行きます。

夕方、水やりをしていたらご近所のオジサマが「何が建つのかなあ」
オジサマのお話によりますと、ここは300坪とか。

早くも10月に入り、早くもまた金曜日が来て1週間が過ぎようとしています。
月日の過ぎ去るのがとても早く感じます。

今日は「黎明」の著者の葦原瑞穂さんが肉体を離れられて4回目の記念日です。
交通事故でした。
もうそんなに経つのですね。
今でもとても懐かしい方です。
過去生において余程ご縁があったのでしょう。


ところで、今日は眠くて眠くて、母がデイサービスに行った後寝てしまっていました。
しかも2〜3時間も。
🌕満月パワーのせいでしょうか❓🤣
コメント (2)
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