今朝の空
昨夜は11時過ぎに寝ましたが、昨日のように夜中に目が覚めて、次に目が覚めたのは6時。
☔雨が降っていましたが、外の空気を吸いたくて、やはりウォーキングへ。
6時10分
公園のご近所のお庭
今はもう主がおられません。
でも、季節折々のお花は咲き続けています。
ママ友ガーデン
しっとりとした☔雨の日は心も落ち着きますので好きです。
🏠我が家のお花
☔雨に打たれた🌹バラが綺麗です。
今日は木曜日でしたので、9時半から1時間ヘルパーさんが来て下さいました。
☔雨が降っていますので、お布団が干せず、おかずを2品作って下さいました。
11時からはリハビリ。
11時からはリハビリ。
今日はご挨拶だけして、寒いのでベッドで本を読んでいようと思っていましたら、いつの間にか1時間半近く寝てしまっていました😳
母がヤバい‼️
慌てて1階に降りましたが、ベッドの上に箱が出ていて、本人がいない💦
どこかで転んでいるのではないかと呼びながら探しましたが、声がしないので焦りましたー。
まさかセーター等を出しに2階へ❓
結局、お台所の隣の部屋にいました。
転んでいなくてほっとしました。
母いわく「どこに行ってたん❓」
その後、母は動き過ぎたせいか調子が悪くなりベッドに入りました。
夕方、来て下さった看護師さんに一連の話をしましたところ、「お母さん、もうダメでしょ」
すると、母はニターッと満面の笑み😓
何事もなかったから良かったようなものの目が離せません。
一昨日も外を見に行こうとしました。
夕方、寒くなってきましたので喘息にも良くないですし、石が置いてあるので非常に危ないのに、全く言うことを聞いてくれませんでした。
手を引いて家に入れようとしても、あまり引っ張ると足がふらふらなので危ないです。
もう責任が持てない😓
ところで、昨夜から始まった喘息の吸入の介助が可笑しくて笑えました。
まず、「息を吐いてー」と言って「はぁー」とやって見せると「それは吐いていない。吸っている。吐くのはこう」と言って、何故かおちょぼ口で「すぅ〜」
何故、そこで普段そんなに上品ではない母が上品になるのか訳が分かりません😆
あー、可笑しい🤣
今朝も練習をしていざ本番。
だいぶ上手に出来るようになりました。
病院での吸入も昨日からの吸入も何故か上下の歯をしっかり噛んで口を開けないので困りました。
吸入出来ない。
何度「口を開けて」と言ったことやら。
それ、絶対、おかしいでしょう、お母さん🤣
これも今では笑い話😆
そうそう、母は目薬も苦手。
目薬が出来ない人がいるなんて知りませんでした。
「目を開けて」と言っても、本人が手で開けようとしても余計に閉じてしまいます。
でも、娘婿もそうらしく、結構、いるみたいですね。
お昼ご飯は母の好きな鯖寿司。
おやつは昨日、買ってきたわらび餅と白玉あんみつ。
おやつは昨日、買ってきたわらび餅と白玉あんみつ。
やはり、一日経つと味が落ちていました。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬる時節には死ぬがよく候
是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」
これは良寛様のお言葉です。
私の東京にいるセラピストの友人、と言いましても、随分年上の78か79歳の方ですが、こういう心境だそうです。
お子さんが不登校になられた時に、心理学を学びにアメリカへ。
2度の苦しい離婚も経験されています。
でも、今は毎日が本当に幸せだそうです。
何をしても、しなくても幸せ。
韓国へ瞑想を学びに行かれた帰り、岡山に実家がおありなので我が家にもしばらく滞在されましたが、二言目にはにっこり笑って「あー、幸せだなー」が口癖でした。
韓国で友人のお坊様から、「解脱の入口に入った」と言われたので帰国なさったのですが、私みたいに解脱にこだわりは全くないです。
こんな楽しい🌏地球に又戻って来たいそうです。
ただ、今度はもう2度と同じ過ちを繰り返さないよう、前世の記憶を持ったまま生まれて来たいと言われていました。
その方が、この良寛様のお言葉をどう思うかと以前尋ねられました。
私は答えました。
「素晴らしいお言葉ですし、このような心境になりたいですが、とても遠く到りません。」
ありのまま、あるがままを受け入れて、心穏やかに生きていきたいものです。
〜光華女子学園のHPより〜
今月のことば
平成23年1月のことば災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候
今月の言葉は江戸時代の曹洞宗の僧侶である良寛の言葉です。一八二八年の冬、良寛が七一歳の時、住んでいた新潟の三条に一五〇〇人以上の死者が出る大地震が起こりました。幸いにして、良寛自身には被害はなかったのですが、子供を亡くした山田杜(と)皐(こう)に送った見舞い状にこの一文が出てきます。
見舞い状では「地震は信(まこと)に大変に候。野(や)僧(そう)草庵(そうあん)は何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候。うちつけに、死なば死なずに永らえて、かかる憂きめを見るがわびしさ」と生き長らえたために、こういうひどい目を見るのが辛いという気持ちを示した後、冒頭の言葉が出てきます。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候
災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかないという意味の言葉です。どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかなく、そのことを「災難」としてしか捉えることができないならば、どこまでもその不運を嘆いて生きて行くしかありません。子供を亡くし悲嘆にくれる友人に対しそのことに一切触れることなく、「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」という仏教の教えを語ることで励ました、心のこもった言葉ではないでしょうか。そこには良寛さんの温かい人間味が感じられます。この良寛さんの手紙は、恐らく山田杜皐にとってどんな慰めの言葉よりも救いとなったのではないでしょうか。(宗)