今日の美人さん Today's beauty

2020年10月23日 23時50分19秒 | 植物

 今朝の空

今朝も雨が降っていましたが、少しだけ外の空気を吸いに出かけたところ、びしょになりました

雨でポプラの葉が散っていました。

 

6時11分

 

 

我が家のお花

 

 

 

今日の美人さんです。

実際はもっと黒みがかった真紅色でビロードのようです。

 

 

こちらはスマホで撮ってみました。

スマホの方が実物に近く、綺麗に撮れました

 

あんまり綺麗なので、何枚も写真を撮りました

 

 

今朝の果物と朝食

バナナ、忘れていません

今日は和食にしましたが、母はパンが良かったようです。

 

ゴミ捨てに行った8時頃もう1枚、パシャ。

 

 

 お昼過ぎ、雨がやみ青空が見え始めました。

バラは全開。

  

 

 夕方5時過ぎ

公園を1周だけ歩きに行きました。

 

 

 今日は母がデイに行きましたので、その後少しソファアに横になったところ(昨日、母は夜まで調子が悪くて気になっていました)10時過ぎから数時間寝入ってしまっていました。

1時になってもお腹もすかないですし、うつらうつら。

結局2時には起き上がりましたが、昼食を食べたのは3時。

寝ているようでも気になっていますし、何気に疲れているのかもしれません。

母は朝の具合はいまいちでしたが、デイサービスでは寝ることもなく過ごせたようです。

帰って来てからも元気に過ごしました。

安心しましたので、今夜はお風呂にもゆっくり入りました。

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

10月23日

人生を生きる上で直面する悲しみや苦しみは、
仏様の慈悲のプレゼント。

そう語るのが、最新号の表紙を飾る
青山俊董老師です。

どんな苦しい体験も、
自分の根を養う上での糧になる。

そんな青山老師の慈悲に溢れたお話の一部を
最新号の記事からご紹介します。

         ──────────


私は修行僧たちに「苦痛と苦悩は違う」とよく言っています。

体の痛みは確かに苦痛かもしれません。
しかし、そのことを通して気づくことが山ほどありますからね。 

病院の廊下に立ちますと、
生老病死というものが目の前に展開している。
いまは福祉が行き届いていて、
元気な人しか見えなくなっていますが、
本当はこれではいけないんですね。

やがて自分も病に伏す時が来る、
老いて死ぬ時が来ると人生全体の姿が
展望できて人生の座標軸というものが分かれば、
いま、どう生きるべきかが自ずと見えてきます。

その意味でも病気になって
私は感謝することばかりでこざいました。

まさに「南無病気大菩薩」です。


──苦しい体験も、自分の根を養う上での糧となる。


お釈迦様は「悲しみ、苦しみのおかげで求める心が起きる」
とおっしゃっておいでですが、
人間は苦しみや悲しみのおかげでアンテナが立つんです。


私のところには人生相談が山ほど来ますが、
まずは話を聞くんですね。徹底的に聞く。

そして私が気づくことがあれば、少しお話をします。

すると、大概の人は非常に明るい顔になって
喜んで帰って行かれるのですが、
その時に申し上げるんですね。


「その悲しみのおかげで、
 あなたはここに来ることができた。
 これはアンテナを立てなさいという
 仏様からのプレゼントですよ」と。


もちろん、苦しみや悲しみがなくて
救われれば結構な話だけれども、
辛ければ辛いほど待ったなしに病院に行こうとする。

よき人生の師を求めようとする。
これは一つのチャンスなんですね。

ですから、悲しみや苦しみは仏様の慈悲の
プレゼントとしてありがたく頂戴しておくことです。


そう考えれば、普段金儲けに向かってアンテナを立てているか、
道に向かってアンテナを立てているか、その差はとても大きい。

きちんとしたアンテナが立ってなきゃ、
人の言葉は耳に届きませんし、
いい出会いにも恵まれません。


いずれにしましても、あらゆることを
命の歩みとして取り組んでいく姿勢、
気に入ろうが気に入るまいが、
いまここを道場と思って一つひとつ姿勢を
正して全力投球することが、
人間の根を深めていくことになると思います。

 

コメント (6)
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