夜の星たった一つに冴えかえる
よるのほしたったひとつにさえかえる
勝手連とふ春風を背に受けて
北の風土と共にあるやも
・・・・・・・・・・・
引退時の横路さん
腰縄姿の人たちがぞろぞろと歩いていく。
拘置所から検察庁へ移り取り調べを受けるためだ。
小学校の登校時、少年はその光景をたびたび目にして不思議に思う。
「どういう人たちなんだろう」。両親が教えてくれた。悪いことをした人も、そうでない人もいる。
そして無実の人や弱い立場の人を救う仕事があるんだよ―。
横路孝弘さんが弁護士を志す原点だった。
やがて法律家となる夢をかなえた青年は衆院議員だった父の死に伴い、1969年に国政の場へ打って出る。
巧みな弁舌と鋭い分析力によって国会論戦の花形となった。
時代の一歩前を走る存在でもあった。81年の道知事選で初当選した原動力の一つは既成政党や組織に属さない「勝手連」の活動だったろう。
無党派層が大きな政治的パワーとなった先駆けと言えるのではないか。
知事室に掲げたのは茨木のり子さんの詩「六月」。
<どこかに美しい村はないか/一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒/鍬を立てかけ 籠を置き/男も女も大きなジョッキをかたむける>。
どんな人間も大事にされ、平和で幸せに暮らしていける。そんな願いを実現する政治を目指したのだろう。
理想と現実のせめぎ合いの中、政治家として常に順調とはいかなかった。
心残りもあったに違いない。だが憲法の理念を重んじ、弱き者の側に立つ姿勢は揺るぎなかった。
82歳で閉じられた人生が物語っている。(北海道新聞卓上四季2023.2.8より)
・・・・・・・・・・・
横路孝弘さんは北海道の政治家として群を抜いたのでは・・そんな人のように思います。
1969年から5期連続の衆議院議員、北海道知事は3期連続、そしてそのまた衆議院議員に返り咲き7期連続と28才から76歳まで政治家として頑張った方だと思います。
最期は衆議院議長をされていました。
立憲民主党の小沢一郎衆院議員は6日、横路孝弘元衆院議長の訃報を受けて、SNSに追悼のコメントを発表した。
横路氏とは、旧民主党に所属した間柄だった小沢氏は「横路孝弘先生とは、民由合併前後、安全保障政策について議論させていただいたことが印象深いです。
私が元々自民党出身、横路先生が社会党出身という、かなり遠い立ち位置にいた中、徹底的に議論を深め、最終的に国連中心主義の安全保障政策として合意できました」と、振り返った。
また「政策面では整然とした緻密な議論を展開される一方、常に弱い立場の方々を支えようと必死になっておられた情に厚い偉大な政治家でありました」と人柄を振り返り「心からご冥福をお祈り申し上げます」と記した。
昨今は中々いないような政治家だったと思います。
お悔み申し上げます。
~~~~~~~~~~~
昨日は短歌の例会でしたが、それぞれ一首の短歌のにもたっぷり時間をかけ添削などをいたしました。
「ながらへて今朝の寒さにきっぱりと「流氷が来たね」独りつぶやく」この短歌については作者の思い入れが強く添削なしで通りました。
私の短歌は→「どうしたの?」言うがごときのその仕草 なんとかなるよ空も晴れてる→「どうしたの?」言うがごときのシマエナガ 何とかなるよ空も晴れてる に添削
ですが、「どうしたの?」言うがごときのシマエナガ 心配ないさ空も晴れてる の方が良かったかもと思ったり・・なかなか巧く詠めません。
シマエナガというのは雀よりちょっと小さくて真っ白なとっても可愛らしい小鳥です。