この世からあの世の喜び多喜二の忌
人の世にあるまじきかな拷問の
仕打ちを受けし今日は多喜二忌
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息の上がる急傾斜が続く。地獄坂の名もうなずける。
上り詰めた先に小樽高商(現・小樽商大)のキャンパスはあった。
大正末期の3年間、1人の学生がここで学び、青春を送った。
後のプロレタリア作家小林多喜二(1903~33年)。
今も同じ敷地にある樽商大の付属図書館は、彼が書き込んだ本を大切に保管する。
芥川龍之介や志賀直哉の作品の余白には「頭のいいトリック」「生活を善意に静観」と記した。
万年筆だろうか、細字の丁寧な筆跡から文学青年の勉強ぶりが読み取れた。
卒業後は拓銀に入行し、坂を下った先の銀行街「北のウォール街」で働く。
恵まれた待遇のエリートとなったが、苦学した自身の境涯を忘れなかった。
貧困や格差の拡大、労働者の搾取…。経済発展の影の部分を見つめ、社会変革を目指しペンを握った。
<ぼくはそのなつかしい国のことを考えて、深い感動に捉えられている。そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある>。
30年に上京後、獄中から出した手紙には望郷の念が満ちる。
「蟹工船」「東倶知安行」「不在地主」といった代表作は小樽で書かれた。
虐げられた者と共に歩んだが、東京・築地署で特高警察の激しい拷問を受けて亡くなる。
ちょうど90年前のきょうの出来事だ。
<階段のように山にせり上がっている街を、ぼくはどんなに愛しているか分らない>。
命があればどんな作品を書き継いだか。(北海道新聞卓上四季2023.2.20より)
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作家としてプロレタリア文学を牽引し『蟹工船』『一九二八年三月十五日』『党生活者』などを著した小林多喜二氏の忌日、1933(昭和8)年2月20日。
拷問により亡くなるなんて、こんな不幸なことはないですね。
主義主張に拷問は不要です、変えようがないのだから!
友人の詠んだ短歌が「あーまたこの二月のきたと母セキのめかね曇るや今日は多喜二忌」
彼女は多喜二や三浦綾子の作品を読むサークルに入っているそうです。
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私は難しい文学は苦手ですね~。
赤川次郎の漫画的小説の作品は500冊以上は読んだかも。
以後はノンフィクション系の作品をたくさん読みました。
最近は目も悪くなってきたので、映像で見ることが多くなってきました。