今朝起きてから、教会史の事が頭から離れない。
現在、新型コロナで世界が変わろうとしている時であり、お道も教会の整理が本部指導の下行われている最中である。
そうした中に、名称のお許しを戴く事と、宗教法人格と混同して考えて、信仰を見失う人があるのではないかと危惧したりする。
まず、教会名称の理のお許しについてであるが、これは人間の方から親神様・ご本部へ願い出てお許しを戴いたものであり、宗教法人格というのは、世間的に法的に政府・県から認められたものである。
現在は宗教法人という法人格であるが、明治時代は認可である。
教祖は講を結べと言われて、おぢばのみならず講でおつとめを勤めていた。しかし、周囲から認められずに妨害、弾圧を受ける事となり、その妨害、弾圧を避けるために秀司先生は苦労をされ、また初代真柱様もご苦労下さったのである。
そして、明治20年、教祖が現身を隠される間際に、親神様は教会をお許し下さったのである。そして教会本部の認可を取る動きとなり、神道天理教会としてスタートする。
そして、各講も教会として組織されていく。
また、法人格は、時代が変わるごとに法律が変わり、変化している。
大切なのは、この親神様のお許しがあって、教会が出来、そして法人格を得ているということである。
明治時代はなかなか認可がおりなかった。だから、教会のお許しを戴くにしても、まず教会のお許しを戴き、その後認可のお許しを戴いてから政府に出願していた。しかしそれでも政府の認可がなかなか降りずに困った教会もあった。
そうした中に、この逆をした教会もある。信者に警察関係の人がおり、おぢばのお許しを戴く前に、政府の認可を得た。ところがその認可を得た会長と、ご本部でお許しを戴いた会長が異なる事となり、長い間事情が治まらずにあったが、それも親神様はおさしづで述べられており、それを通り切った初代は後に大教会の初代となった。これが小牧大教会の初代である。
何よりも大事なのは、親神様があっての教会であり、政府の認可があっての教会ではない。
しかし、人々の心は様々である。今回の新型コロナの場合でも、意見は様々でまとめる事は難しい。だから法律を柱としてまとめている。
教会の法人格は、昔は布教の公認という役割があったが、現在では親神様への信仰のない人々から、教会の財産などを守る上にあると言っても過言ではないと思う。
例を挙げると、家族でやっていた布教所が大きくなり、教会となった場合の、その土地建物の名義についてである。
会長または前会長の名義の土地建物であれば、必ず相続という事が発生する。するとその相続に関して問題を起こす人が現れるときが多い。そうした時に法人であれば問題なく、教会は維持されていくのである。
しかし、現在法人であっても、信者はいるが教会長をやる人が無くてという教会も多く出てきているのである。
うちの熱田分教会は、明治の設立直後からそうした問題を重ねてきた教会なのである。
何か現在の、そうした問題解決の一端になればと思い、大教会史にあるうちの教会史を載せておく。
先の草案に書いたように、うちの教会は様々な教会が関連するので、その関連する教会も載せておく。
特に、愛知に関連する教会の信者の皆さまには、いんねんを自覚する上の資料となれば幸いです。
【熱田分教会】
【渥美分教会】
【小牧大教会】
【一宮分教会】
以上です。
親神様どうぞお導きをお願いいたします。