修養科に入ると、「感話」という言葉をよく聞くことになる。そして最終的に「感話大会」というものがある。
世間ではほとんど聞く事はない。だから、修養科生さんからは、「感話とは何ですか?」と質問が来る。
昔、この「感話」という事を辞書で調べたことがあったのだが、その辞書にはこの言葉はなかった。
そこで、修養科生には「これまでで、親神様の御守護を感じた、そのことを話せばよいのです。」と答えていた。
実際に、感話大会では、そうした親神様から頂いた御守護の話がほとんどである。
先程、WEB検索をしたところ、以下のものが見つかった。
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かん わ [1]【感話】
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この意味からすると、感話をするという事は、とても難しく、一般にはできない事だと思う。
私が高校の頃、感話大会なるものがあった。
いつの事か忘れたが、クラスから一人出る事となり、誰も手を挙げる人がなかった。
先生の困った様子を見て、ついつい手を挙げてしまった。その時私自身、ただ感じた話をすればよいものと簡単に考えていた。
先生からも何の指示もなく、当日を迎えた。
そのころの私には、自分自身はもとより、周囲にも、「親神様の御守護を頂いた、ありがたかった、嬉しかった」という事は全く皆無であった。
ちょうどその時は、詰所が新築されて、その詰所に入れる新しい布団にシーツを掛けるひのきしんがあった。
それに参加して、布団屋さんをされている会長さんから、簡単に掛けられる方法を教わる事が出来た。
初めての体験で嬉しく、その方法と、ポイントさえつかめれば簡単にできるという話をした。
全く親神様のお働きなど、一つも入っていない話で終わったのである。
周囲から何も言われることもなかったが、終えてから、「自分自身には、親神様を感じる事がこれまで全くなかった事」に気が付いたのだった。
昔の先生方の話の中には、不思議なお助け、不思議な御守護の話が沢山ある。けれども自分にはない。また周囲にもない。「絶対に親神様はおられるという証拠が欲しい」と思うようになった。
それから5年余り、「不思議な御守護を体験したい」とあえぐ日々となったように思う。
今考えれば、その数年後、同級生がひのきしんの最中に大事故に遭い、一命をとりとめた事、一時的な記憶喪失になったことなどを見せてはもらった。しかし、そのようには感じていなかった。
懸命に同級生のために願いもしたが、どこか「とはいうものの・・・」という感覚で、「絶対に親神様が!!」とは思えなかった。
当時は、「ただただ身上を御守護頂く」という事にしか考えが及ばず、「その家のいんねんなどを知って、今の姿を見る」という事など思いもよらなかったからであろう。と今は思う。
そして、そうした親神様の確信を望んで、回廊拭きや日参など、教えられること、気が付く事を次々と行う日が続いた。
その中に、東西礼拝場竣工の時の団参で、「自分で歩けない人が、回廊を一周する間に、自分で杖も使わずに歩けるようになる」不思議を直前で見せて頂いた。
それからは、この話を事あるごとに話して、親神様はありますと言ってきた。(ほとんどの人が、疑いの目で聞いていたが、それも仕方のない事と今は思う。)
はじめは勇んでいたが、それ以後これと言った不思議も経験することなく、また、自分もどんどんと周囲に流されて、勇めなくなっていった。
その勇みを取り戻すために、環境を変えたいと「布教の家」に行った。
そこで、「自分自身のいんねん切替のための信仰だ」という事を、お願いづとめとおさづけ、そしておたすけさせて頂く人に巡り合わせて頂く事で自覚させて頂いた。
その布教の家を出てから後、今日まで様々な事を通して、今では不思議なお導きの中に生かされていると実感している。
教祖130年祭前にブラジルへ巡教に行かせて頂いた時には、出発する前に、そのブラジルの人々の上に寄り添えるような不思議な巡り合わせも体験もさせて頂いた。
今の私には、高校生の感話大会の時のような親神様の御守護を知らないという事は全くない。
段々と、自分の不思議な体験を話すことが多くなり、最近では人の事情を聞かせて頂きながら、「それは親神様の御守護だったね」と話をすることが多くなってきている。
昨日、「自分の性分が変わってきているような気がする」とコメントをもらった。
本当に良かったと思う。ここまで一生懸命に、あきらめずに頑張ってきた結果が、ここに出てきていると思う。これを親神様の御守護と感じて欲しい。そして人々に御守護がある事を話して欲しい。と思う。
聞く人はほとんどないかもしれない。それでもいい。その行いが、親神様の喜ばれることなのだから。
その先にまた、次のステップがある事を信じて。。。
どうぞ親神様、これからもお導きをお願いいたします。