あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

ほこりをはらうと言うが。。。払えないと悩む方に。。。。昔の話から。。。

2020年06月15日 21時29分19秒 | 思った事

又突然に、閲覧者が増えまして。。。どうなっているのかなぁと、考えています。

 

お道の信仰をはじめて、八つのほこりのお話を聞くと、自分の性分に気が付くものである。

そして、その性分を変えようと思うけれども、性分が変わらなくて、「もう無理!!払う事は出来ない!」と、八つのほこりの思案すら、しなくなる人もあると思う。

 

さて、昔の話を。。。第二専修科に入った頃です。

先輩や先生から怒られます。言われたようにやろうとするのですが、うまくできないのです。

そうした時に、すぐに怒られるのではないかと不安になります。

すると、先案じばかりで、何もできなくなってしまったのです。

当時はその理由が分かりませんでした。どうして不安になるのだろう。と、そんな事ばかり考えていました。

そうした時、「八つのほこり」の「かわいい」が心に留りました。

そして、「我が身かわいい。自分が怒られたくない。と思う、この心があるからだ。」と思いました。

それから、我が身かわいい心を出さぬようにと、日々を過ごしていました。

けれども、出さないようにと思えば思うほど、心が気になって、余計に動けないのです。

そして、数カ月がたったある時、「考える前に動けばいいじゃないか」「言われて、失敗するかもしれないけれども、言われたらすぐにやると心定めてみよう、我が身かわいい心を沸かす前に。。。」

と思ったのです。

そして、ともかく動きました。心定めたように、考える前に動きました。

いつしか、思いついたらすぐに動くという事が身につきまして、「我が身かわいいほこりを払わなければ、、、」という考えさえも、思わなくなりました。

そうこうしていますと、どんどんやれることも増えて来まして、怒られることもないようになったのであります。

 

これは、本当に20才前の若いころの話であります。

徳を積むという話があります。

人様に喜んで頂けば、それが徳になるのです。その人が言うように「ハイ。ハイ。ハイ」と言って行えば、それでその人は喜んで下さり、自分の徳となります。

秘密訓令が出された時には、「いかんといえばはいと言え。ならんといえばはいといえ。」「はいはいはいと言って這い上がる道や」とおさしづがあったと思います。

このおさしづは、先ほど言った徳を積むことと重なって思えるのです。

 

「はい。はい。はい」と言いながらも、「どうして?そんなことを?」と思う事も多々あるはずです。

この「どうして?」という心は、言われた事を行う時には忘れて、言われたままに行います。そうしないと失敗してしまいます。

しかし、絶対にその結果を見ておくことが大切です。

言われたとおりに行って、そこでの結果が、その指示した人の思う通りにならなかったとしても、それはその指示した人の責任であります。

言われて行った人は、その失敗を自分の経験としておけば、自分の判断で行う時の材料に出来るのです。

親神様が、自分に(仕事ならば上司を通して)与えて下さったこと、と思って、懸命に行う事。これが大切だと思います。

 

さて、この年になりますと、やりたいことがあっても、若い時のようには体が言う事をききません。

だから、年を取るまでに、どんなことでもやっておくことをお勧めいたします。

 

話がそれましたが、なかなか心のほこりは自分では取れないのです。だから、そのほこりから心定めて、行動をするのです。

すると、いつの間にか、親神様が払ってくださっているのです。

しかし、人間には、たくさんのほこりの心があるのです。一つ気が付いて払えても、次が出てくるのです。

一度に全部が出てきたら大変です。小出しして下さる事を感謝して、こつこつと歩めば、大変な思いをせずに歩めるのです。

 

どうか、親神様に自分の性分をお詫びしながら、心定めながら、こつこつの歩みを頑張りましょう。

特に、人様に助かってもらいたいと思っている方は、どうぞ若いうちにどんどん下積みの行いをして、徳を積ませて頂きましょう。

 

最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。

親神様の思いが世界中に伝わりますように、そしてざねんが晴れますように。

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「愛知大教会史 第1巻」 第1篇 第1章【第2節 山名大教会の発祥・第3節 周智分教会の発祥】

2020年06月15日 09時44分42秒 | 愛知大教会史

愛知大教会が、名古屋の地に誕生することになったのは、橋本伊平先生が名古屋にておたすけが上がり、慕う人が出来たことが元である。

その橋本伊平先生を導いたのは、山名大教会の部内、周智分教会の元となる、岡野桂次郎先生である。

愛知大教会の事を知るには、「山名」そして「周智」を知る事はとても大切な事で、これを踏まえて、この後に起こってくる事情を、またそれに伴う「おさしづ」そして、「人間の思案の傾向」と「親神様の思い」などを考える事がとても大切だと思う。

愛知大教会史第1巻では、橋本伊平先生の入信の次に、第2節として山名大教会の事に触れて、第3節として周智分教会について触れている。

読みにくいところも多い方と思うが、目を通して、心にとめておいて頂きたいと思う。

・・・・・・・

愛知の元は山名大教会であるが、その元は周智分教会となる。
こうした事は、他の大教会でも多々ある事である。
しかし、教会設立という事だけで史実を追うとこうした事は分からない。
以前、「教会を継いだり、嫁いだりすることで、いんねんが変わる」と書いた。
様々な人間思案で事情を起こしたり、それを納めるため、またおぢばの意向や政府の意向などで、苦心をして、教会の設立や移籍などが行われている。

事情治めのために、大教会から部内教会の会長となられた先生と話をしていた時に、「これまでの経験上、様々な事情や身上を信者さんに見せて頂くけれども、その教会の元、設立前の事情、また移籍した事情などを知っていると、そうした事情が起こってきた原因が分かる。」そして「しかし、こうした事が分かった今、時がたち、そうした裏の記録がなく、原因も特定できずにいる。」と聞かせてもらった。

「おさしづ」に、人間思案でどろどろとした事情を起こしていただろうと思われる言葉が多数見受けられる。
いんねんを切り替えさせたいと親神様は思っておられるが、人間の欲得から、ほこりの心から、反対の事情を起こして、悪いんねんをつけてしまっている場合もある。
起こした人を責めるのではなく、この事を肝に銘じておく必要があると思う。
また、生まれ変わり出変わりであるから、事情を起こしたのは、今の自分かもしれない事を自覚しておくことも大切だと思う。(Facebookに書いたことを記録しておく。)

・・・・・・

【第2節 山名大教会の発祥】

【第3節 岡野桂次郎の入信と 周智分教会の発祥】

この山名大教会、周知分教会の事については、『山名大教会史』をご覧いただきたい。

 

 

 

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「愛知大教会史 第1巻」 第1篇 第1章 第1節 橋本伊平の入信

2020年06月15日 07時40分46秒 | 愛知大教会史

この愛知大教会史は、愛知創立80周年の記念行事として、名古屋市の瑞穂区から今の緑区へ移転した時に、大教会で作成されたもので、今後作成されることはないと思う。

また、これに掲載された資料も、その後の災害などで紛失されたものも多くあり、揃える事は難しいと聞かせてもらっている。

愛知大教会の初代会長は、諸井松太郎(清磨)先生であるが、辞職の事情が起こり、6年間会長不在の状態となり、山名初代会長の苦心の元、おさしづを伺い、その事情を最終的に納めたのが、2代会長 橋本伊平先生である。そして、現在まで橋本家が歴代会長をつないでいる。

 

・・・・・・

親神様、教祖、どうぞ良い悟りが付きますように。

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