あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

今朝から右のひざ、靭帯が痛む。。。遠い30年、40年も昔の話。

2020年06月03日 23時10分47秒 | 思った事

今朝起きてから、右ひざの靭帯が痛む。

この右ひざの靭帯は、教祖100年祭の時に、ひのきしんでおぢばに帰った時、ラグビーで痛めたものである。

教祖100年祭のひのきしんは、第二専修科を卒業して、大教会の青年に入った一年目で、南東(天理大学)宿舎のひのきしんだった。

多くの若い人たちと、受け入れの準備をして、教祖100年祭の期間を迎えようとした時に、テントが燃やされる事件が起こった。

すぐさま、私たち第二専修科卒業生に招集がかかり、境内係の夜警のひのきしんに当たる事となった。

そして、昼間にラグビーをという事となり、その試合の時に痛めてしまった。

不思議と100年祭のひのきしんの間は大丈夫だったのだが、終わって大教会に帰ると痛みだし、接骨院に行くと、半月板が飛び出しているとの事で、再度、ラグビーと同じように、足を曲げられて、半月板を定位置に納められたのであった。

そして、ギブスを付けてひと月あまりの治療となった。靭帯は伸びてしまっているので筋肉で治めるしかないと言われて、今日まで、ほとんど痛むことなく過ごしてきた。

それが、今朝痛みだした。

右なので、いんねん。過去のお詫び。。。。と考えながら、

作業をして、急に呼び出されてバイトに出かけた。

 

さて、過去のお詫びと言えば、

附属高校の時に、マーチングバンドで初めてグランプリを取った時の事が頭に浮かぶ。

3年生で進路を大学にしようかと悩んでいた時に、副キャプテンをすることとなってしまった。

部長先生はじめ、コーチまた部員一同が、初めての全国大会出場。

特に部長先生は、この初めての出場でグランプリを取らねば、一生取ることは出来ない。不退転の決意で臨んでいる時であった。

大学進学のための勉強をしたいから。。。などと言える勇気は持ち合わせていなかった。

そこで、大学進学はあきらめて、部活に専念することとした。

先生方から言われることを、ともかくこと細かく皆に伝えて走り回った。

周囲を見る事ばかりで、自分のパートの練習はほとんどできないでいた。ある時コーチからソロをしないかと言われたが、自分の練習もままならない状態でソロなどもってのほかで、それは辞退した。

当時、全国大会の前に、近畿大会があった。その時のドリルがあまり出来が良くなかったようで、ドリルを作る特別な先生が来られた。

たしか、11月末の大会の後、また一から新しいドリルの練習が始まった。

みな大変だったと思う。私も大変だったが、みな必死だった。その当時の下級生は、私に対して「とても怖かった。」という感想を、後に話してくれた。

先生も必死なので、私もとても怖かった。でもその怖さというのは、いじめられるというのではない。

今思えば、怖いけれども信頼し切って、それに向かって歩んでいるので、恨むというようなものではない。

 

教祖130年祭前、愛知県での第二専修科の同窓会を数年開催した時に、この一番初めの全国大会の時の話が話題に出た。

「誰だったの?一人だけ足を上げたのは?」また「帽子を落としたのもいたけど。。」と。

「その足をあげたのは私です。」私がと答えて、そこに同席していた人が、「帽子を落としたのは私です。」と答えたのであった。

一人だけ足を上げてしまった時の事と、部長先生に「すみませんでした」と本当にこわごわと謝りに行ったことは、今でも鮮明に覚えている。

グランプリを取れたからよかったけれど、も、取れて居なかったらと思うと。。。ゾッとした。

ともかく、親神様の御守護でグランプリがとれた。親神様ありがとうございます。とその時つくづく感謝した。

 

第二専修科へ行ってから以降、マーチングバンドに関わる事は全くなく今日まで来たが、数年前、修養科の一期講師をさせて頂いた時に、今は亡き部長先生の息子さんと一緒になり、不思議を感じた。

 

昔話ですみません。お許しください。

親神様・教祖、お導きをありがとうございます。

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世間で「心配ない」と言うが。。。。ブラジルが大変になっている。

2020年06月03日 00時02分51秒 | 思った事

今日、同級生からグループラインで、高井猶久先生の写真が送られてきた。

この先生は、私が第2専修科の時には、主任であった。その当時、先生は何歳だったのだろうか?

息子さんがまだまだ小さかったので、40歳ごろだろうか。

その先生の決まり文句は「心配ない」であった。そして「すべての親に喜んでもらえ」であった。

この「心配ない」は、高校を出たばかりの若い学生に対して、「こんなところで自分の好きな事もせずに、言われるがままに通る中、こんなことをしていてもどうなる事か」と心配する心に対して、親神様にもたれて通れば、しっかりと伏せこめば「心配ない」と発言されていたと私は思っている。

今現在、私はこの「心配ない」は、親神様の思い通りに通れば、どんないんねんの中でも、大難は小難にと連れて通って下さり、まさしくその通りだと思っている。

そしてまた、「すべての親に喜んでもらえ」とは、私たちには「生みの親」「育ての親」「理の上での親」「師匠という立場の親」など様々な親がある。

人間は親という立場の人に、心をかけてもらって育っていくものである。いうなれば、様々な人に恩をもらっているのである。

「人間の親は親神様だけだから、理の親はない」という人もある。

また、若いうちは、叱られたりすると、「心をかけてもらっている」などとは思わずに、「うっとしいやつ」ぐらいにしか思わなかったり、恨んだりするのである。しかし、自分が親の立場になると、思いが変わってくる。「親孝行したい時には親は無し」とよく言われるそのままである。

それが人間の歩む順序である。そうした若い者に対して、「すべての親に喜んでもらえ、恩を受けた人すべてに恩返しをしろ。」と言われたと思う。

もう一つ、私が教会長になって、「こんな事ならいっそのこと。。。」と思ったときに、ふとこの先生の言葉が浮かんだ。

それは「人間というものは」という言葉である。この言葉は、毎朝の朝礼の時によく使われていた。

「人間というものは、どんな人でも同じようなものである」「人間というものは、皆顔は違うが、血液は流れている」「人間というものは、疑い深いものである」といった風に、世間一般に使われる。

自分だけ他の人と違うと思うから、落ち込むのであると思えた。

そして、「どんな人間でも苦労の道中はある。その道中を抜けるから成功はある。この苦労を嫌がれば、その先の成功はない。この人間としての法則が分かればどうという事はない。この人間が幸せになるための法則を教えたいと思われたのが、親神様なのである。」と思えたのである。

そして、毎月の神殿講話などをする時には、「高井先生が毎日、毎日よく朝礼で話をされたなぁ。毎日よく話が出たものだ。」と今更ながら思い出す。

 

そうした中に、最近思うのは、先の「心配ない」を「何も考えずにそのまま地で行く人が多いのではないか」という心配である。

今、新型コロナの第2波が来るかと、日本中が心配している。そして様々な事が言われている。しかし、神様に願おうとか言う声は、メディアからは流れてこない。

『正文遺韻抄』の中に次の一節がある。

「神様はあるかないか?」という問いに対して、「願う誠から、見える利益(りやく)が神の姿や」と言われている。

心配しても、まずは願わなければ、神様の働きはないという事だと思う。

また、ブラジルの大統領は、「新型コロナはただの風邪だ。心配はない。」と言って、経済を優先して、ロックダウンをせずにいることが、大問題になっている。  (以下に ネットニュース を、記録のためにコピペしておく。)

皆さんは、どう思われるでしょうか?

私は心配して、すぐに親神様に、おつとめをしてお願いしてしまうのですが。。。。

どうぞ、親神様、世界の方々を大難は小難にとお導き下さい。

・・・・・・・

ニュース速報 ワールド

特別リポート:なぜブラジルは「コロナ感染大国」に転落したのか

2020年05月31日(日)08時43分   Newsweek

[サンパウロ/リオデジャネイロ 26日 ロイター] - 3月中旬、ブラジルは感染の足音が聞こえ始めていた新型コロナウイルスに先制攻撃を加えた。保健省はクルーズ船の運航停止を命じ、地方自治体に大規模イベントの中止を要請した。海外からの旅行者には1週間の自主隔離を呼びかけた。

 

世界保健機構(WHO)がパンデミック(世界的大流行)を宣言してからわずか2日後、3月13日のことだった。この時点でブラジルでは新型コロナウイルスによる死者は1人も報告されていなかった。公衆衛生当局は、先手先手を打とうとしているように見えた。

だが、それから24時間も経たないうちに、保健省は各地の自治体から「批判と提言」があったとして、自らの勧告を骨抜きにしてしまった。

当時の状況に詳しい関係者4人によると、この変化の背景にはボルソナロ大統領の首席補佐官室の介入があったという。

「軌道修正は圧力によるものだ」と、保健省の免疫・感染症局長だった疫学者ジュリオ・クロダ氏は語る。

当時、この方針転換が関心を集めることはあまりなかった。しかし、この関係者4によると、ブラジル政府の危機対応の転機になった。ウイルス対応の主導権は、公衆衛生に責任を持つ保健省から、「カーサ・シビル」と呼ばれる大統領首席補佐官室へと移っていたという。同室を率いるのは、ウォルター・スーザ・ブラガ・ネット陸軍大将である。

ブラジルではこの6週間で2人の保健相が職を去った。1人は解任、もう1人は辞任である。いずれも、ウイルス対応を巡り、大統領と公然と意見が対立したためだ。現在、暫定的に保健相となっているのは、これまた陸軍の将軍である。

ブラジル政府の方針変更は、「経済活動を止させないことが至上命題」というボルソナロ大統領の頑な態度の表れだ。陸軍大尉だった極右のボルソナロ氏は、3月中旬の重要な数日間にこうした姿勢を固めてからというもの、ブレる様子が全くない。その間も、ブラジルの新型コロナウイルス対策は国内外から批判を浴び、死者数は膨れ上がっている。

ブラジルの感染の深刻さは、今や米国に次ぐ。感染者数は確認されているだけでも37万4000人以上。死者は2万3000人を超えた。

ボルソナロ氏はさきごろ、「犠牲者の増大について質問した記者たちに対し、「それがどうした」と応じた。「私にどうしろというのか」

首席補佐官室は、3月13日の指針変更は、各州・自治体からの意見を受けて保健省が決定したものだとしている。一方で保健省は、全国の州・都市の状況がそれぞれに異なることから意見の相違が生まれたとしている。その上で保健省は、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)を確保するための措置は、地方の保健当局の責任だとしている。「ブラジルの新型コロナウイルス対策は、いつの時点においても妨害されたことはない」と、同省は見解を示している。

ロイターはこの記事を配信するに当たり、大統領府にコメントを求めたが、応じることはなかった。

ロイターは、ブラジルが世界最悪の感染国に転落した背景を探るため、現職の政府当局者、元当局者、医療研究の専門家、医療産業の関係者、医師、合わせて20人以上を取材した。浮かび上がってきたのは、大統領と保健省などの対立により、好スタートを切ったはずの新型コロナ対策が崩れていく様子だった。

保健省を始めとした行政は、公衆衛生問題の観点から対応することが、結果的にブラジル経済にとって重要になると説得を試みたが、失敗に終わった。医療研究の専門家は第一線から外され、ボルソナロ大統領は裏付けのない治療法を支持したと、取材に応じた関係者は語る。

全国レベルでの調整は停滞し、各州知事は独自の感染抑制策の策定を迫れられた。ボルソナロ氏にとって州知事は、次期大統領選のライバルでもある。その一方で、はびこる官僚主義が検査体制の整備の遅れにつながった。

 

<「冷蔵庫が空では」>

ブラジルで初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されたのは2月26日だ。実は保健省は、この2カ月近くも前から対策を練っていた。

複数の関係者によれば、同省の職員は州・地方自治体の当局者と協力しつつ、自宅待機指示の時期や方法を探ろうとシミュレーションを重ねていた。省庁を横断した連邦レベルの対応を調整する緊急委員会の司令塔が保健省だった。

ブラジルの広大な国土、公立病院の資金不足、貧困の広がりといった弱点はあった。それでも、この国の医療研究の専門家は質が高く、民間の医療セクターも優れていた。すでに中国やイタリアなどででウイルス感染が広がっていたため、警戒を強化する時間的な余裕もあった。最前線に立つ人々は、万全の状態にあると考えていた。

しかし、取材に応じた人たちによると、事態は2つの側面で破綻しはじめたという。保健省が支持していた封鎖措置にボルソナロ大統領が反対したこと、そして検査体制の拡充に向けて政府が無能だったことだ。

政権内の協議を直接知る関係者によると、閣僚らは全国的なロックダウン(都市封鎖)に同意するよう、何度となくボルソナロ大統領の説得を試みた。だが大統領は、ウイルスはじきに消滅すると信じ、保健省当局者は他国で効果を発揮していたソーシャル・ディスタンシングの必要性を誇張しているとして、拒絶したという。

ボルソナロ大統領は4月20日、ブラジリアにある大統領公邸の外で、メディアに対し「冷蔵庫が空では、人々が自宅に閉じこもることなど不可能だ」と語った。

ボルソナロ氏が経済を優先した理由について、大統領府はコメントを拒んでいる。とはいえ、ボルソナロ氏にこうした決断を強いるプレッシャーもあった。支持基盤である保守層は、ボルソナロ氏の公約である経済成長の回復を危うくさせるロックダウンに反対し、ブラジル各地の都市で抗議行動を行った。

一方で、ボルソナロ大統領の経済顧問たちは危機の規模をなかなか把握できなかったようだ。自由市場主義者であるパウロ・グエデス経済相は3月中旬、現地のCNNに対し、2020年のブラジル経済について「(新型コロナウイルスで)世界各国が不振に沈むなかで、2%ないし2.5%の成長があっても不思議はない」と語った。

この予想は大外れとなった。製造業は総崩れ、失業率は上昇している。通貨レアルは今年に入り、対ドルで約30%下落した。英金融バークレイズは5月15日、2020年のブラジルの国内総生産(GDP)成長率予測をマイナス3.0%からマイナス5.7%に下方修正した。理由として、ブラジルのパンデミック対応策が「無効」であることが挙げられている。

ブラジル経済省は現在、今年の成長率をマイナス4.7%と予想。電子メールは電子メールによる声明で、事態の深刻さに合わせて予想が変化してきた、と述べている。以前の予想についてグエデス経済相にコメントを求めたが、回答は得られなかった。

 

<検査件数も伸びず>

ボルソナロ大統領がソーシャル・ディスタンシングに反対し、ロックダウンに傾く地方自治体への支援を拒んでいるために、制限措置の順守状況も芳しくない、と専門家は指摘する。

スマートフォンの位置情報を元にグーグルが提供している人の移動データをロイターが分析し、パンデミック前の基準値と比較したところ、外出制限措置が施行されているイタリアやフランス、英国といった欧州諸国に比べ、ブラジル国内では、(鉄道駅など)交通の拠点や職場に出入りする人たちの減少数がはるかに小幅にとどまっていた。

また米国などと同様、ブラジルも必要な検査数を確保するのに苦労している。一部の疫学者は、こうした検査不足が、ブラジルにおけるウイルス感染の追跡・抑制を難しくし、大きな弱点になっていると言う。

検査不足の1つの要因は、保健省が単一の機関に依存しすぎたためでもある。

ロイターが閲覧した保健省の内部文書によると、同省は1月から2月にかけて、著名な公衆衛生研究所であるオズワルド・クルーズ財団を通じて診断検査キットの購入を開始した。だが、4月7日までに納品された検査キットは10万4872個で、保健省が発注した約300万個の3.5%にすぎない。

前出のクロダ氏などによれば、必要不可欠な試薬を財団が国際市場でなかなか確保できなかったという。業界関係者によれば、何年にもわたる予算削減も1つの要因になった可能性があるという。

ある情報提供者は、保健省が官民問わず幅広く研究所とのネットワークを築いておくべきだったと指摘する。そうしたネットワークがあれば試薬を確保し、検査を処理する能力も改善されていただろうという。

同財団は、4月13日までに当初の目標であった22万個を納品し、4月最終週までに130万個近い検査キットを納めたとしている。9月までに1170万個の検査キットを提供できる見込みだという。「この種の検査をめぐる世界的な競争は非常に激しく、検査キットの不足が生じた」と、財団は釈明している。

さらに、官僚主義もブラジルの対応ををむしばんでいる。サンパウロのグアリューロス国際空港では、ウイルス感染履歴を判定するために使われる抗体検査薬50万件分が9日間にわたり滞留した。事情に詳しい関係者2人によると、保健当局がポルトガル語の表記無しで流通を認める特例措置を処理するのに時間を要したという。

保健省は検査能力を強化しており、4620万件の検査を行う予定だと述べているが、そのスケジュールは明らかにしていない。「この試みは、国内・国際市場において新たに(検査キットを)購入するための取組みの一環だ」と同省は言う。

しかし、ブラジルにおける検査件数は5月12日の時点で48万2743件にとどまる。新型コロナウイルスによる死者の多い世界上位10カ国のうち、ブラジルより検査数が少ないのはオランダだけ。その人口はブラジルの12分の1だ。。

(翻訳:エァクレーレン)

 

 

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