昨日、新型コロナでの感染者が増えている事について書いた。
この新型コロナが出はじめた時は、どういうウィルスか分からない事が、より多くの恐怖を誘って、憶測の中での対処を余儀なくされていた。
そうした中に、ともかく人との接触を断つ、自粛と言う事が叫ばれた。
そして、不要不急の外出は避けるように、日本中の意識が一つになった。だから、政治や法律での規制がない、ロックダウンが成功した。と思う。
私の通常も変わった。毎日忙しくしていたのが、家にいる事がほとんどとなり、それも自分の思う事に費やせる時間が増えた。
その時に考えたことは、自分の本当の役目は何かという事だった。
私の寿命があとどれだけかは分からない(これはだれもが同じである)。けれども、父親が出直した年齢まではあと5年である。
周囲に、親神様の話を伝えたいと思っても、なかなか伝わらない。それは、この教会に来て、親神様の思い通りに通らせてもらうと決めて、通ってみて思う事である。
今では、絶対に親神様がお導き下さっていると確信している。そして、それを悟る事が難しい事も確信している。
こうして得た事を、ブログで発信すればと思ったのである。
親神様の残念の思いを、親神様の残念を晴らすための話を、それが今の私に出来る事ではないかと。。。。
そして、思いつくままに、毎日書くようになった。
路傍講演で、街頭に立って、話をしても、素通りされるだけである。
けれども、ここで、路傍講演をするつもりで、書けば、興味がある人は、読んでくれるのである。
そして、何かを感じてもらえれば、それでよいと思うのである。
私の文章は、読みにくいと思う。その点だけは、本当に申し訳ないと思う。
でも、読んでくれる人が増えている事を思うと、これでいいのかなぁ~~。と思っている。
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感じた事といえば、なかなか時間が取れずに、旧山名大教会史について思う事を書けずにいるわけだが、昨日アップした 第7節 初代会長の入信 の中で、21頁に次のような部分がある。
娘が身上となり、奥さんが懇願するにも関わらず、なかなか信仰をすることを承知しなかった理由が、
「当時、氏は商売上の手違いから負債を重ね、それを埋めるために、種々苦心をしていたのであるが、窮余の一策から美園村の小村なるもの、および高山某と氏の三人で共謀してある事業を起こし、不正の利益を得ようと企てていた時で、現在不正の利得を目論でいる自分が、これこそ真の信心なりと認めたところの「天輪王命」の信心を、空々しくするなどという事は、氏の気性としておそらく出来にくかったものと想像されるのである。 しかしいよいよ信仰すると決心すると、国三郎氏は断然この不正事業から、手を引くべきであることを決心された。」(読みやすいように、今の書体に代えています)
と書かれている。
商売をすることは悪い事ではない。しかし、その行い方について、親神様のお話を元に思案をされていたと証拠だと思う。
そしてこの事柄が、親神様が国三郎氏の心を見定める一つの事柄ではないかと私には思える。
私たちは、親神様のお話を聞いても、自分の生活に照らし合わせて考えずに、他人事、物語のように思う場合が多々ある。
日々の心の使い方を、しっかりと点検しながら歩みたいと思う。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にと、世界中の人々をお導き下さい。