昨日の夜。初めて、Facebookのメッセンジャーで、音声電話をした。
話せてよかったと喜んで下さった。私自身もとても嬉しかった。
昨日は、光回線を切り替える工事をする日で、その工事を待つ間に、色々な事が重なった。
一つは、12時ごろ、「今日の午後2時半から出て欲しい」とバイト先から連絡が入った。とても困っていた。
光回線の工事は12時から15時との予約だったので、2時までには終わるだろうと思って、引き受けた。
しかし、12時半になっても工事の連絡すら入ってこない。センターへ連絡をすると、12時から15時の間に到着をする予定という事で、至急工事をする人に連絡を取ってもらった。
到着はどうしても2時過ぎという事で、息子に立ち合いを頼むことが出来て、出かけようとしたところへ工事の人が来た。
また、バイトに出かけることを決めて、工事を待つ間に、Facebookで相談を受ける事となった。
バイトも夜の8時過ぎまでとの事だったので、9時過ぎにメッセンジャーで話し合う約束をした。
すると、バイトは2時間ほどで終える事が出来た。ラッキーと思って教会に戻ると、工事は終わっていた。
8時までバイトがあって、ネットの不具合があると困るなぁと思っていたところ、時間に余裕をもって、パソコンやプリンタの動作チェックや設定の変更をすることが出来た。
そして、光回線を1ギガから10ギガに変えたので、今までつながらなかった機器がつながり、ブラウザの読み込みも早くなった。
そして夜9時過ぎの相談に間に合った。
今、この日本では訪問したりするのも、予定を決めて、その通りにすることが当たり前である。
けれども、予期せぬことは起こるもので、そうした時の対応もさることながら、予定の時間が重ならない事がとてもありがたい事である。
もう一つ、こうした予期せぬことが起きた時ほど、心は動揺して、「いらぬ腹を立てたり、疑ったりするもの」である。
(短気で、心配性の私は、これにおちいりやすい。)
だから、こうした時ほど、「心落ち着けるように」、「自分の短気を出さぬように」、そして、「相手を疑わぬように」、もし相手に悪意があっても「善で治める事が出来るように」「誠の心で」と思いながら対処するようにしている。
ほんの些細な、時間の食い違い、言葉の使い方などで、人によっては「私をいじめるためにしたのでは」などと思う人がある。相手に悪意が無くても、受け取り方でそのように思ってしまうものである。
そして、これを口に出して相手に伝わった時には、自分のミスで迷惑をかけたと思っていた人でも、「そんなことを思っているのならば、これからは付き合い方を考えよう」などという気持ちになってしまうのである。
こうした事を、教祖は「いんねんつけることはいかんで」と教えて下さっているように感じている。
日々の、言葉遣いや態度について、自ら心掛けて、変える努力が、新型コロナで騒然としている中、これからの新しい生活様式には大切だと思う。
親神様・教祖に「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」と、自らの心のほこりを払って頂き、守って頂く事を願って、日々をつとめている。
昨日のバタバタで、遅らせたトイレの工事を、今日はこれからします。
親神様、今日も一日よろしくお願い致します。