12日の夜10時からNHKで「日本の、これから いま考えよう日米同盟」という市民参加の討論番組をやっていた。その中でひとりの市民が、日米安保について国民投票をやったらどうか、と発言していた。「日米同盟の深化」に賛成する立場のようだったが、この人は自らが住む地域で米軍基地の負担を担うことを覚悟してそう主張しているのか、と番組を見ながら思った。
仮に国民投票をやったとして、日米安保体制支持の投票を行う日本人の大多数は、自らが生活している地域で米軍基地の負担を担ってもいなければ、これから先も担おうとは考えないだろう。沖縄や佐世保、岩国、横須賀、横田、厚木、三沢など、すでに米軍基地がある地域に負担は任せて、自分たちは〈米軍の抑止力によって保たれる日本の安全〉とやらを享受しようという、虫のいい発想で投票するのは目に見えている。
それは現在行われている普天間基地の「移設」先をめぐる議論を見ても明らかだ。総論賛成だが各論反対、といういつものパターンが繰り返され、沖縄の「負担軽減」は必要だが、自分たちが生活する地域に「移設」して負担を担うのは反対だ。「国外移設」では米軍による抑止力が失われるので、沖縄県内での「移設」=たらい回しをやればいい、という論法がまかり通っている。
「沖縄の負担軽減」という言葉を口にすれば、あたかも沖縄のことを考えているかのように見える。だが、その言い方の中にはすでに「沖縄の負担」は前提となっている。「沖縄の負担軽減」という言い方が繰り返されれば繰り返されるほど、日米安保体制における「沖縄の負担」は自明のこととして国民の意識に刷り込まれ、その「軽減」だけを論じればいいかのように問題が矮小化されていく。そうやってヤマトゥに住む大多数の人々が負担を担わずにすませている問題は不問に付され、隠蔽されていくのだ。
ひと頃「安保ただ乗り論」というのがあった。12日のNHKの番組でも、日本の安全のために米軍が血を流してくれている、という趣旨の発言をする人がいたが、そうやって日米安保の片務性を強調をする人たちは、自分たちが負担を担っていないという認識をいちおうは持っているわけだ。しかし、だから自分たちも負担しよう、「沖縄の負担軽減」のために基地機能の一部でも肩代わりしよう、という議論にはならない。
せいぜいが、米軍にもっと協力して「集団的自衛権行使」に踏み切りましょう、自衛隊の海外派兵も進めましょう、という議論になるだけだ。そのときも議論の端々から、日米安保の負担を担って犠牲になるのは自衛隊員だけにしてほしい、自分の生活に影響が出るのは嫌だ、という虫の良さが垣間見える。
12日のNHK番組「日本の、これから いま考えよう日米同盟」でも何名か「沖縄の負担軽減」を口にする人がいたが、では具体的にどうするか、と議論が展開されこることはなかった。本来ならいま日米安保体制について考えるなら、普天間基地「移設」問題を避けては通れないはずだ。おそらく、番組制作担当者と出演者との間で、深入りしない、という確認がなされていたのだろう。
だが、いま直面している最大の問題を回避して、何が「いま考えよう日米同盟」か。日米安保条約改定から50年がたった現在、沖縄とヤマトゥの間に生じている米軍基地や日米安保体制についての認識の落差を正視しないで、「日米同盟」についていくら議論しても的を射た議論はできないだろう。というよりヤマトゥに住む日本人はまず、日米安保体制維持のために沖縄に米軍基地負担を集中させてきた自らの差別と暴力、政治的欺瞞を直視すべきなのだ。
仮に国民投票をやったとして、日米安保体制支持の投票を行う日本人の大多数は、自らが生活している地域で米軍基地の負担を担ってもいなければ、これから先も担おうとは考えないだろう。沖縄や佐世保、岩国、横須賀、横田、厚木、三沢など、すでに米軍基地がある地域に負担は任せて、自分たちは〈米軍の抑止力によって保たれる日本の安全〉とやらを享受しようという、虫のいい発想で投票するのは目に見えている。
それは現在行われている普天間基地の「移設」先をめぐる議論を見ても明らかだ。総論賛成だが各論反対、といういつものパターンが繰り返され、沖縄の「負担軽減」は必要だが、自分たちが生活する地域に「移設」して負担を担うのは反対だ。「国外移設」では米軍による抑止力が失われるので、沖縄県内での「移設」=たらい回しをやればいい、という論法がまかり通っている。
「沖縄の負担軽減」という言葉を口にすれば、あたかも沖縄のことを考えているかのように見える。だが、その言い方の中にはすでに「沖縄の負担」は前提となっている。「沖縄の負担軽減」という言い方が繰り返されれば繰り返されるほど、日米安保体制における「沖縄の負担」は自明のこととして国民の意識に刷り込まれ、その「軽減」だけを論じればいいかのように問題が矮小化されていく。そうやってヤマトゥに住む大多数の人々が負担を担わずにすませている問題は不問に付され、隠蔽されていくのだ。
ひと頃「安保ただ乗り論」というのがあった。12日のNHKの番組でも、日本の安全のために米軍が血を流してくれている、という趣旨の発言をする人がいたが、そうやって日米安保の片務性を強調をする人たちは、自分たちが負担を担っていないという認識をいちおうは持っているわけだ。しかし、だから自分たちも負担しよう、「沖縄の負担軽減」のために基地機能の一部でも肩代わりしよう、という議論にはならない。
せいぜいが、米軍にもっと協力して「集団的自衛権行使」に踏み切りましょう、自衛隊の海外派兵も進めましょう、という議論になるだけだ。そのときも議論の端々から、日米安保の負担を担って犠牲になるのは自衛隊員だけにしてほしい、自分の生活に影響が出るのは嫌だ、という虫の良さが垣間見える。
12日のNHK番組「日本の、これから いま考えよう日米同盟」でも何名か「沖縄の負担軽減」を口にする人がいたが、では具体的にどうするか、と議論が展開されこることはなかった。本来ならいま日米安保体制について考えるなら、普天間基地「移設」問題を避けては通れないはずだ。おそらく、番組制作担当者と出演者との間で、深入りしない、という確認がなされていたのだろう。
だが、いま直面している最大の問題を回避して、何が「いま考えよう日米同盟」か。日米安保条約改定から50年がたった現在、沖縄とヤマトゥの間に生じている米軍基地や日米安保体制についての認識の落差を正視しないで、「日米同盟」についていくら議論しても的を射た議論はできないだろう。というよりヤマトゥに住む日本人はまず、日米安保体制維持のために沖縄に米軍基地負担を集中させてきた自らの差別と暴力、政治的欺瞞を直視すべきなのだ。
ヤマトゥで生活しているのですから、別に辺野古や高江に行く必要もないでしょう。
体力的にも金銭的にも無理はする必要はないと思います。
自分が生活している場所で、反戦・反基地・反安保の運動を取り組めばいいだけのことです。
現政権はこれに応えるものとして期待されているのであり、腰砕けになったらその反動は大きいと考えなければならない。
運動の原則は自分の地域でまずは係わる事。そうすれば必然的に他も見えてくる。問題点や難しさや共同行動の大切さや決断力と創意工夫や・・・・。
テニアンに展開していたエリート部隊による広島・長崎への原爆投下後のワシントンへの成功打電も傍受。基地には、語学に堪能な在外日系隊員が選抜徴集されていました。戦後、マッカーサーが「いの一番」に押さえた日帝海軍基地です。以来65年。
普天間とは違い、音のない、飛行機が飛ばない秘密基地ですが、グリーンベレーの肩章を付けた隊員が定期的にラペリング降下訓練を行なっています。
つまり、今現在でも在日米軍の最重要基地である証左であり、明確にソ連(当時)の核ミサイルの照準の一つだと聞かされたのは、今から20年も前の学生時代のことでした。
ベトナム戦争中に、この基地内に作戦指令室が置かれていたのは既に情報公開されていますが、私たちの住む地域に、まさかベトナム戦の虐殺指令室があったことを知る市民や議員は極めて少数だと認識しています。これが私の住む地域の日米同盟に対する温度です。
私は、普天間問題に関心を持つ中で、改めてこの史実と向きうことになりました。普天間を無くす闘争とは、つまり私にとっては、自らビラを片手に駅立ちをし、この地域からこの諜報基地を撤収させる闘争を始めることと同じ目的のはずだと…。
その至難な道のりと、沖縄の皆様の間断なき65年の闘争の現実に気付いた時に、初めて見えてきた景色があります。
安保問題は、沖縄の問題だけではなく、この国の未来に生きる私たちの問題です。ある意味、何が、どういう国の在り方が、私たちが目指す本当の幸せの方向なのかに向き合う静かな闘争とも言えましょうか。
「戦争も平和も、必ず私たちの生活の中にある。それを見つけられる自分自身であるかどうか」
この3ヶ月間の普天間問題の自分化に向き合った中での私の一つの結論です。
私自身が、沖縄の平和闘争の現場の苛烈に思い焦がれても何も生まれません。大切なことは、まず国防を語る前に反戦と平和に向き合う中で、今のこの時代に合った人間本来の連帯の姿を私たちが築けるのかどうか、この国に生きる国民一人一人の内面が試される絶好の好機を迎えている時代観にあると感じています。
試行錯誤を続けながら、これからも沖縄と普天間問題の「自分化」に取り組んで参りますので。
CML(市民のML)という公開型のMLに「目取真俊さん『NHK日本の、これから いま考えよう日米同盟を見て』を読んで」という感想を書きました。
■目取真俊さん「NHK日本の、これから いま考えよう日米同盟を見て」を読んで(CML 03349 2010年3月14日)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2010-March/003292.html
ご一読いただければ幸いです。