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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

シュガーローフの慰霊祭とケン・ローチ監督の新作。

2017-05-21 13:14:08 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争

 20日は那覇市新都心の水道タンクがある丘で開かれたシュガーローフ慰霊祭に参加した。お昼過ぎに行くと、展望台のそばに設置された説明版の前にカーサバームーチーが供えられ、サンニンの花が飾られてた。今年は呼びかけが不十分だったとのことで、参加者は少なかったが、黙とうのあと呼びかけ人の具志堅青鳥さんがあいさつし、海勢頭豊さんと娘の愛さんによる「月桃」「喜瀬武原」の演奏があった。

 伯母から聞いた話だが、戦争中17歳だった伯母は今帰仁国民学校に駐屯した日本軍の炊事をやっていたという。本部半島と伊江島には独立混成第44旅団の第1歩兵大隊、第2歩兵大隊が配置されていたが、第9師団(武部隊)が台湾に転出することになったため、今帰仁にいた部隊の一部は知念村の本隊に戻ったようだ。

 若かった伯母は日本軍の兵隊たちと話す機会も多かったようだ。12月の土砂降りの日に兵隊たちが雨に打たれ、今帰仁を出ていくのを見送ったという。兵隊たちの多くはその後、シュガーローフや安里一帯の戦闘で戦死している。敗戦後、生き残った兵隊たちと手紙をやり取りしたり、沖縄に来たときに会ったこともあるというが、その伯母ももう90歳に近い。

 新都心の街並みを眺めれば、ここで日米両軍の激しい戦闘が行われたことを想像するのも難しい。しかし、沖縄戦の記録を読めばシュガーローフの戦闘の状況や、若い兵士たちにどれだけの犠牲を生み出したかを知ることができる。基本文献はインターネットでも検索できるから、多くの人に読んでほしい。

 その後桜坂劇場でケン・ローチ監督の新作『私はダニエル・ブレイク』を見た。不屈に生きる労働者階級の人々を描いてきたケン・ローチらしい素晴らしい作品だった。

http://danielblake.jp/

 新自由主義や官僚主義の歪み、そのもとで苦しめられる市民の姿もていねいに描いている。こちらも多くの人に見てほしい。


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