以下の文章は2011年3月118日付沖縄タイムスに掲載されたものです。
ケビン・メア米国務省日本部長の暴言が県内メディアで報道されてから、一週間も経たないでメア氏の「更迭」が発表された。米政府の対応は迅速であったが、メア氏はもともと六月には交代予定で、それを前倒ししただけという見方もある。メア氏が今後どのようなポストに就くかを見なければ、米政府の措置が「更迭」と呼べるものかどうかという判断はできない。
それでも、米政府をしてこのような対応をとらざるを得ない状況を作りだしたことの意義は大きい。人種差別や植民地的な支配意識、占領意識を剥き出しにしたメア氏の暴言に対し、沖縄県民が怒りをあらわにして抗議し、県議会や市町村議会で決議をあげるなどの行動を即座に起こしたこと。それによってはじめて日米両政府も、問題を長引かせれば沖縄の反基地運動が抜き差しならないものになりかねない、という危機感を持ったのである。
自らに向けられた侮蔑に対して、はっきりと怒りを示し、それを許さないこと。沈黙し、屈従しないこと。不当な差別、支配には徹底して抗し、たたかうこと。それがいかに大切であるかを、今回のメア氏の「差別発言問題」は教えている。
そのことを確認すると同時に、メア氏の講義に疑問を抱き、記憶を突き合わせて記録を公表したアメリカン大学の学生たちの行為を高く評価したい。自らの目で沖縄の現実を確かめ、メア氏の講義を検証した若者たちの真摯な問題提起がなければ、メア氏の暴言が表沙汰になることもなかった。
沖縄の人々は「ゆすりの名人」だの「怠惰でゴーヤーを栽培できない」などという低劣な暴言の数々は、自らが進めてきた普天間基地の「県内移設」が行き詰まっていることに、メア氏がいかに苛立っていたかを示している。沖縄人に対する認識が、元防衛事務次官の守屋武昌氏と似通っていることも指摘されているが、普天間基地の「県内移設」を進めてきた日米の事務方のトップが、沖縄人に対してこのような認識を持ち、それを公言してはばからないのはなぜか。
メア氏にしても守屋氏にしても、普天間基地の「県内移設」を自明の前提とし、日米両政府が交わした「合意」を沖縄人は受け入れるのが当然という考えだ。エンターテインメントの世界で描かれてきた一類型のように、沖縄人が能天気なお人よしで、従順な人たちばかりであれば、彼らも満足な結果を得て沖縄人を褒めそやしたかもしれない。
しかし、現実はそうはいかない。沖縄島はすでに約19%の面積を米軍基地が占拠している。そういう状況で「移設」先をどこに決めようと、住民の激しい反対運動が起こるのは分かりきったことだ。だからこそ日本政府は、島田懇談会事業や北部振興策というアメをばらまき、住民の懐柔を図ってきた。
沖縄にはたしかに、その懐柔策にのってアメをしゃぶった人たちもいた。自公政権下で、基地問題と経済問題をリンクさせ、稲嶺恵一前知事や仲井真弘多知事、名護市の故岸本建男元市長や島袋吉和前市長らは、政府とともに「県内移設」を進めてきた。このような自公政権下における保守系知事・市長らの対応が、守屋氏やメア氏らの歪んだ沖縄人認識を生む一因となったことは否めない。
しかし、それはあくまで守屋氏やメア氏の政治的思惑も加味された歪んだ認識でしかない。沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の最終報告から十四年余が経っても普天間基地の「県内移設」が実現しなかったのは、浜での座り込みや海上での抗議行動、集会、申し入れ、裁判など、反対運動を粘り強く続けてきた多くの人たちがいたからだ。そして、圧倒的多数の県民がそれを支持し、「県内移設」反対の世論を持続させてきたからだ。
メア氏や守屋氏は、そのことを意図的に無視し、一部の保守系政治家の対応を沖縄人全体のものであるかのようにすり替えて、歪んだ沖縄人認識を流布している。彼らがそのようなごまかしを行うのは、沖縄の民衆が主体的に作り出してきた運動こそが、彼らが最も恐れるものだからだ。
目先の利得に惑わされることなく、名利も求めずに抵抗を続ける民衆ほど、権力者にとって厄介なものはない。それ故にそのような民衆の運動は、権力側の人たちに無視されたり、貶められたりするが、それは民衆の力が彼らを追い詰めている証でもある。
紙幅が限られているので、最後に一つ提案したい。十一日に発生した東日本大震災は、被災の実態が明らかになるにつれ、日本が敗戦後最大と言っていいほどの難局に直面していることを示している。今この時に菅政権は、辺野古新基地建設や高江ヘリパッド建設を中止し、米軍への思いやり予算も廃止するか大幅に削減して、その予算を被災者の救援や被災地復興のために使うべきだ。もはや米政府の「ゆすり」に応じている時ではない。
思いやり予算で他の国に私たちの税金をばらまいている場合ではありません。こんな当たり前のことがどうして分からないのでしょうか。不思議ですよね。