中川昭一財務兼金融担当大臣の辞任劇は醜悪の極みだった。
中川元大臣といえば、思い出すのは女性国際戦犯法廷を特集したNHKの番組に政治介入した事件だ。2001年1月に放送されたNHK番組「問われる戦時性暴力」に対し、NHK幹部に圧力をかけて番組内容を変更させた政治家が、中川元大臣と安倍晋三元首相だった。二人がそろって無様かつ惨めな形で辞任したのは、極右タカ派で鳴らした派手な言動とは裏腹に、彼らがすぐにプレッシャーに負けて胃腸をこわしたり、アルコールに溺れるひ弱な自我しか持ち合わせず、しょせんは親の七光りで政治家になったボンボンにすぎないことをよく表している。
ところで、中川元大臣の辞任の理由となったG7閉幕後の記者会見について、海外メディアが先に問題を指摘して報道し、日本のメディアが遅れたことについて、共同通信の高橋直人という記者が反省をこめた検証記事を書いている(2月19日付沖縄タイムス・琉球新報)。
ろれつが回らない状態で会見に臨んでいる中川元大臣に対し、その場で問い質す記者が一人もいなかった理由を、高橋氏は「慣れ」だとしている。中川元大臣の酒癖の悪さは以前から有名であり、日頃の取材でそれに「慣れ」てしまった記者たちは、ローマでの会見も「またか」と受け止めてしまったのだという。
〈中川氏の映像を欧米メディアがどうとらえるか、それがひとたび世界に流れれば日本の国民からどんな批判が巻き起こるか。そこまで思いを巡らせられなかったことは反省したい〉
〈時間的制約と日常の取材活動から来る「慣れ」が批判の切っ先を鈍らせてしまったかもしれない〉
高橋記者はそう記している。この記者の文章を読んでいると、「慣れ」を生み出した自分たちのぶら下がり取材や記者クラブ制度への反省はまったくない。むしろ、酒に対する文化の違いを強調し、海外メディアの反応をとらえきれなかったことに問題をすり替えている。中川元大臣の会見を問題と感じることさえできなかった自分たちのジャーナリストしての感性の鈍磨や、権力を監視するという基本姿勢の喪失を、深刻な問題として反省する姿勢も見られず、ただ弁解に終始しているだけだ。
問題はたんなる「慣れ」にあるのではない。日本のメディアの特に政治部の記者たちが、ジャーナリストと呼ぶにも値しない権力の下僕に成り下がっていることにあるのだ。自力で情報を収集するよりはるかに楽な、政治家や官僚という権力側の提供する情報をもらうことに「慣れ」きってしまい、中川元大臣の会見を自分たちへの侮辱と感じることさえできなくなってしまった。そういう政治家と癒着した日本の記者たちを、海外メディアの記者たちは嘲笑しているだろう。
大臣の首が飛んだくらいだから、本来は大スクープであったにもかかわらずニュースとしての価値を見逃し、海外メディアや国内民放テレビだけでなくユーチューブにも後れをとったことに、高橋記者をはじめとする新聞記者たちはどれだけ危機感を持っているのだろうか。政治家と記者の「慣れ」=癒着を目にした読者が、新聞離れを起こすのは当然だろう。
中川元大臣といえば、思い出すのは女性国際戦犯法廷を特集したNHKの番組に政治介入した事件だ。2001年1月に放送されたNHK番組「問われる戦時性暴力」に対し、NHK幹部に圧力をかけて番組内容を変更させた政治家が、中川元大臣と安倍晋三元首相だった。二人がそろって無様かつ惨めな形で辞任したのは、極右タカ派で鳴らした派手な言動とは裏腹に、彼らがすぐにプレッシャーに負けて胃腸をこわしたり、アルコールに溺れるひ弱な自我しか持ち合わせず、しょせんは親の七光りで政治家になったボンボンにすぎないことをよく表している。
ところで、中川元大臣の辞任の理由となったG7閉幕後の記者会見について、海外メディアが先に問題を指摘して報道し、日本のメディアが遅れたことについて、共同通信の高橋直人という記者が反省をこめた検証記事を書いている(2月19日付沖縄タイムス・琉球新報)。
ろれつが回らない状態で会見に臨んでいる中川元大臣に対し、その場で問い質す記者が一人もいなかった理由を、高橋氏は「慣れ」だとしている。中川元大臣の酒癖の悪さは以前から有名であり、日頃の取材でそれに「慣れ」てしまった記者たちは、ローマでの会見も「またか」と受け止めてしまったのだという。
〈中川氏の映像を欧米メディアがどうとらえるか、それがひとたび世界に流れれば日本の国民からどんな批判が巻き起こるか。そこまで思いを巡らせられなかったことは反省したい〉
〈時間的制約と日常の取材活動から来る「慣れ」が批判の切っ先を鈍らせてしまったかもしれない〉
高橋記者はそう記している。この記者の文章を読んでいると、「慣れ」を生み出した自分たちのぶら下がり取材や記者クラブ制度への反省はまったくない。むしろ、酒に対する文化の違いを強調し、海外メディアの反応をとらえきれなかったことに問題をすり替えている。中川元大臣の会見を問題と感じることさえできなかった自分たちのジャーナリストしての感性の鈍磨や、権力を監視するという基本姿勢の喪失を、深刻な問題として反省する姿勢も見られず、ただ弁解に終始しているだけだ。
問題はたんなる「慣れ」にあるのではない。日本のメディアの特に政治部の記者たちが、ジャーナリストと呼ぶにも値しない権力の下僕に成り下がっていることにあるのだ。自力で情報を収集するよりはるかに楽な、政治家や官僚という権力側の提供する情報をもらうことに「慣れ」きってしまい、中川元大臣の会見を自分たちへの侮辱と感じることさえできなくなってしまった。そういう政治家と癒着した日本の記者たちを、海外メディアの記者たちは嘲笑しているだろう。
大臣の首が飛んだくらいだから、本来は大スクープであったにもかかわらずニュースとしての価値を見逃し、海外メディアや国内民放テレビだけでなくユーチューブにも後れをとったことに、高橋記者をはじめとする新聞記者たちはどれだけ危機感を持っているのだろうか。政治家と記者の「慣れ」=癒着を目にした読者が、新聞離れを起こすのは当然だろう。
国民を馬鹿にしている。
テレビを見ない生活をしてかれこれ3年くらいなるが、先日、久しぶりに見る機会があり(何となくつけたのだが)、画面に出たのは中川氏のろれつの回らない会見の様子。。。
一瞬、脳梗塞か何かの重病が絡んでこのような状況になったのかと思ったら…何と、完全な泥酔会見だ。
氏のオカシナ言動や表情。確かに滑稽だが、私、笑えません。
旅費や中川氏の給与など、税金がこんな風にに使われていると思うと、頭にくるし、非常に腹が立つ。
「選んだのはあなた方ですよ」
と口にする著名人やら関係者などがたまにいるが、よくもまぁそう言えるなぁと、呆れかえる。
国にとって都合のいいように選挙システムを構築しているのだから、もう、この幼稚な台詞は何の意味も持たない。
ジャーナリズムと政府の、なあなあした関係(結託)を露呈し、日本の貧困ぶりを改めて確認した、そんな今回の一連だった。
…それにしても…ジャーナリズム界が、まさかここまで堕ちていたとは…。
久しぶりにみた映像がこれだったことに残念だが、文章(新聞)だけでは、会見の様子は想像しかできず、実際の場面を見るには映像もケースバイケースで必要性を少し感じた。