鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

龍頭寺までお散歩

2021年11月08日 | 鳥海山

 まだ三時過ぎというのに山肌はすっかり夕方の色を見せています。鍋森も見えます、熔岩が流れてきた様子もはっきりと見えます。

 今日は先日作成した「鳥海山登山案内記」、「鳥海登山案内」を見ていただこうと思い久しぶりに蕨岡まで行ってきました。昼過ぎに龍頭寺に着きご住職に渡して帰るつもりが話が弾みあっという間に時間が過ぎてしまいました。

 鳥海山龍頭寺は蕨岡に在る真言宗智山派の寺院でかつての学頭寺です。貴重な資料も見せていただきました。

 「鳳鳥海山縁起」残念ながら中身はありません。現在中身は秋田県立図書館にあるということです。どういう経緯で保管されることになったのでしょうか。多くの資料が明治の神仏分離令によって散逸、焼失してしまった事例が此処にもありました。漆塗りのかつての護摩壇も焚きつけにされてしまったということも聞いたことがあります。神仏分離令というのは現代の法令からは想像もつかない世の中を激変させる相当なものだったのでしょう。鳳鳥海山というのは鳥海山の呼称の一でかつて鳥海山はその他北山きたやま 、飽海ヶ嶽、ほう鳥海山、北山ほくせんの獄、北の山、羽山うざん等の別名がありました。

箱の表に「園春艸」と書いてありますが大学のお偉い先生はこれを「與」と読んでしまったようですがこれはあくまでも「艸」。読みは(そう)で良いでしょう。龍頭寺の文書にはすべて「園春」と名前が出ているそうですしまた少し調べれば「一文を艸する」などの用例が沢山出てきますのでこの用例を見れば意味は一目でわかります。昔は意味が違ったということもあるかもしれませんがね。あくまでも素人解釈です。

 「鳥海山登山案内記」の太田宣賢氏の生家も訪ね、名前の読み方が「のぶかた」さんということも確認してきました。御当主もこの本の存在はご存じなかったです。もう一軒訪ねたかったのですがご本人の体調もあり今日は龍頭寺を訪問したのみです。

 右側が阿形像、向かって左側が吽形像です。配置はこのように決まっています。仁王様も建物の外側は冬囲いが出来ています。


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