鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山古絵図

2020年09月09日 | 鳥海山
 色も焼けボロボロになった印刷での復刻版ですが」画像編集ソフトで何とか見られる状態にしてみました。百名山、鳥海登山にしか興味ない方はスルーしてください。
 吹浦口のこういった絵図は見たことがありません。往時の蕨岡大物忌神社は隆盛を誇っていたのでしょう。
 少し拡大してみます。

 右に赤瀧大神、大沢神社が見えます。でも「澤」でなく新字体の「沢」になっているのがなんか変。
 その上の方に読みにくいですけど、ツルマキ池と書いてあります。そういえば古絵図では鶴間池ではなくツルマキ池だなあ、と思っていたところ、今日鳥海山に詳しいAさんより、鶴間池はかつて弦巻池と呼ばれた、という事をききました。小鶴間池と大鶴間池とその2つを結ぶ水路の配置が、旧清吉新道から見下ろすと弦を巻き取るような構図になっているから そう呼ばれたのだそうです。
 こうしてみると、由緒ある名前も変に美化しようとした?名前に変えられてしまっていることがわかります。別に鶴が舞い降りてくる池じゃないものね。

 どこかの山には何やら気持ちの悪い横文字の名前を付けて悦に入っているところもあるようです。地名は大事にしましょうね。

3 コメント

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Unknown (ひろの元気村男)
2020-09-10 20:44:09
これはまた貴重な絵図ですね。いつの時代のものなのでしょうか。当時の蕨岡大物忌神社の隆盛ぶりが偲ばれます。参詣道途中の地名も興味深い。口の宮から駒止、その上はソブ谷地ではなく水呑を通っていますね。蓬来山と箸王子の間は判別できない。西物見の下はクラサワ?目印の岩の名前でしょうか?〇〇石の名前もありますね。大雪地の下は〇〇原?険しい山頂の背後に大きな仏様の姿を描いたら、鳥海曼荼羅のような迫力があります。
鶴間池は弦巻池だったのですか。弦が巻かれたように見える角度から池を見下ろしてみたいものです。
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Unknown (ひろの元気村男)
2020-09-10 20:46:42
蓬莱山ではなく鳳来山でした。
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Unknown (ayasiiojisann)
2020-09-10 21:55:16
WEB上で見ると文字がつぶれていますが、ホウライ山と箸王子の間に書いてある文字は茶屋です。西物見の上はウツメ岩、池昭さんの地図裏面を見るとウスメ岩と書いてあります。川原宿(このころは河原宿とは書かなかったのか)大雪地の間は小田ノ原と書いてあります。河原宿小屋前の広い平坦地のことでしょうか。大雪地のノ左竜ヶ池と書いてあるのはボタ池でしょうか。
作者は柳崖生駒雄と書いてありますがなんと読むのかはわかりません。この作者によるものは新田目大物忌神社に明治22年奉納の見立竜宮図というものが記録にあるくらいです。図は1801年(享和元年)の噴火以前の絵図を複写して発行したものでしょう。國幣中社と書いてありますので明治4年の太政官布告以降の作品という事になります。
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