鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

続・設計図と出来上がりが違う建物

2021年03月12日 | 兎糞録

 あまりにも不思議に思ったので管理施設に問合せしてみました。この記事です。

 https://blog.goo.ne.jp/ayasiiojisann/e/d3f6cc0bf44f82aee2f84fca70c9de10

 当初の設計では配置図でもわかるように、現在の建物とは異なります。頂いた回答によれば、設計図には数種類あるそうです。しかしながら、いつの段階で、どういう理由で変更となったのかを示す資料は現時点では確認されていないとのことです。

 また、「設計は北野天満宮、大宰府天満宮の設計でも知られる角南隆、施工は新しい技術を使った鉄筋コンクリートブロック構造を実用化した森山善平で、森山は角南の建物の多くを施工しており、親しい関係にあったようです。光丘文庫建築にあたり二人の協議により意匠の変更をみたものと思われます。」とのことでした。

 今後新たな資料が発見されることに期待しましょう。やはり近い過去というものは資料も記録も捨て去られてしまっているようです。それにしても、問い合わせに対して迅速に、しかも二度にわたって回答をいただきありがたいことです。

 

 上の葉書には神社も載っていますが、神社を見るのもまた楽しいものです。中央の日枝神社、ここの鳥居は山王鳥居というちょっと変わった鳥居です。明神鳥居の上部に三角形の破風が乗っています。

 鳥海山大物忌神社も神仏習合の神社ですが鳥居は一般的な形、こちらは日吉大社の流れをくむものでしょう。神社の拝殿、本殿というものは黙ってみているだけで時間が過ぎていきます。

 これは近くにある光丘神社の本殿ですが、屋根の曲線が何とも言えません。また蕨岡の大物忌神社へ行ってきましょう。


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