八丁坂の急な道を登りきると雪解け水の流れる河原宿に着きます。(このころは川原宿と書いたようですが川でも河でもどちらでもよいと思います。)
中村不折の描いた河原宿 同じころの河原宿の写真
夏の朝、河原宿小屋の前は雪渓の雪融け水が流れます。日が昇るとともに水量は増えていきます。遠くに見えるのが大雪路、小雪路。
此より山益高竣氣愈稀薄暫くにして川原宿に達す祓戶四柱の大神を祭る纖塵を止めざる淸流凜烈肌を刺さんと慾す然れども人皆先を爭ひ身を躍らして飛込む滿身淸絕冷絕意氣快曠全く俗塵を脫し恰腋下羽毛を生じ殆んど將に飛ばんと慾するの思あらしむ然れども一氣身を躍らして飛込むの勇氣なきものは躊躇遂に決すること克はず怯懦逡巡最笑ふべし此處にも掛茶屋あり針の凝れる如き素麵玉霰の如き白玉は苦熱を去り汗を奪ひ涼爽甚愉快を覺ゆ〇川原宿の東に〇御田ヶ原あり天然の田形を存す西北には龍ヶ池あり異鱗常に遊泳すと傳ふ
河原宿の清流に先を争い飛び込んでいたのですね。今ならそんなことをしたら何を言われることやら。しかも飛込まないと「怯懦最笑ふべし」とまでの言われ様です。此処でまたしても「針の凝れる如き素麺玉霰の如き白玉は苦熱を去り汗を奪ひ涼爽甚愉快を覺ゆ」と美辞麗句にあふれた食べ物のせんでんです。いやこれはどうしても食べてみなくては、という気にさせてくれます。今と違って歩き始めて一時間ちょいとで着くわけではありません。長いこと歩き続けて到着した河原宿の冷たく流れる大量の清流を見た時の喜びも一入だったでしょう。
さて、河原宿の東に御田ヶ原、西北に龍ヶ池ありと記されていますがいったいどこを指すのでしょう。鳥海山専門の写真家のAさんも?でした。西北はボタ池ではないかと思うのですが東の御田ヶ原は想像がつきません。ただ制作年代不詳の絵図には載っていました。
※鳥海山に詳しい方にメールしたところ御田ヶ原と思われる所について次のようなコメントをいただきました。
「現在は、多くの人が歩いたため表土が流れて、
大雪路の下といえばこのあたりでしょうか。
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