猿の付く地名は全国にあります。鳥海山の猿倉の語源について書かれたものもありました。メモはしていたのですがどのサイトだったかマークするのを忘れて再度探すことが出来ませんでした。中身はテキストにメモしておいたのですが次のような内容でした。
猿倉 sar-e-ku-rar-i 湿原 に 置弓を 仕掛ける 所 サレクラリ
アイヌ起源説のようです。アイヌ語が残っているのはこの辺りでは最上川以北と図解しているものがありました。コマイ(川前)もアイヌ語起源かもしれない、北海道の苫小牧を引き合いに出してコマイを推察するものもありました。
でもなんでもアイヌ語起源にしてこじつけるのもどうなんでしょうね。猿倉は全国にあります。
倉、平、杖は崖や崩壊地を指す言葉でした。杖は弘法大使が杖を立てた所などとよく言われますが、いまにも崩れそうな崖が「つえ」。そして急な傾斜でまさに崩れそうな土地が、「切り立ったつえ」「つえたて」だったそうです。飯豊の湯平だったでしょうか、学者先生が平は平地だから「たいら」と読むと強弁して改めさせたことがあったのは。それを元に戻すのには大変な労力を要したと。確かそんな内容を山岳会の方からきいた覚えがあります。
猿倉は猿でなければ登れない崖か、猿穴は猿でもないと下れない穴?と考えてしまいます。ところがこの「猿」はお猿さんの事ではなく崩壊地をあらわす「ざる」「ざれ」の語に「猿」の字をあてられたものが多いのだそうです。そうすると猿倉、猿穴のイメージが湧いてきますね。
地形図は昭文社「山と高原地図 鳥海山 2000年版」より
猿穴は石鉢澤とも呼ばれていたそうですが明治以降は猿穴が定着したようです。地名の文字が置き換えられることはよくあることです。鳥海山では江戸時代は千歳ヶ谷、仙者谷と呼ばれていたものが千蛇谷、弦巻池が鶴間池に置き換えられています。
とはいっても西ノコマイが西河前に書き換えられてしまうのは地元の人も知らないことです。西ノコマイについてはもう少し継続して書いてみます。
鳥海山の呼び名については様々な所で論じられていますが、各所の名前について書かれたものはそんなには無いと思われます。地名はそこに暮らす人々の思いが込められた物、行政がやたらいじくりまわした結果そんなことのかけらもないものになってしまったものが多いようです。鳥海山の地名について大した内容はありませんが一口話として以降少しばかり調べて書いていきます。
※1 倉、杖については武光 誠「地名の由来を知る事典」H9年 東京堂出版によります。
※2 文中半角スペースが挿入してありますが、かな入力を半角英数に切り替えなくても shift+space で半角スペースになります。
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