少し前の本ですが、鳥海山が好きな人は必ず読んでおくべき本の一冊です。
これを読んでみれば、能天気に鳥海山の自然は素晴らしいだとか、百名山のうちの一つに登ったなどと浮かれている人も少しは目を覚ますかもしれません。何とも思わない人はそもそも山に登ったり、自然に親しむ資格はありません。
かつて山で暮らし、山から生活の糧を得ていた人々は山を破壊するようなことはしませんでした。また、修験の道を歩む人々も登拝のための道は開きましたが山は荒らしませんでした。観光の名のもとに山毛欅の木は切り倒され、多くの自然が破壊されてきました。足弱な人、老若男女すべての人が楽しめるようにするのは当然だろう、というのはいいことだと思いますか?観光という名でそれらを行うのもそれは最初に儲けあり、最後に儲けありですから、儲からなければ観光からは手を引きます。引っ掻いたきずの手当ては何もしません。山梨県の清里の荒れ放題なんかはすさまじいですね、儲からないのですべて放り出されています。観光と自然保護は100%両立しません。一人でも多くの人が鳥海山に登、らなくなれば、逆にいいことのように思えてきます。
鳥海山も八幡では一時すごかったですね。それが今では手のひらを返したようにイヌワシの里だとか。そんな鳥海山の八幡方面の自然保護への取り組みの歴史を紹介したページもあるのでこちらもぜひご一読ください。
http://www3.ic-net.or.jp/~sierra/shizen/shizen01/mamoru01.html
最後に山は本来静かな場所であり、自然の状態のままにしておいてこそ山としての価値がある。とありますが、全くその通りです。
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