鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

粋狂談義

2022年02月13日 | 鳥海山

 市内の古書を見ていたら粋狂談義の上巻を発見。その値僅か220円。汚れ皆無、紐栞は頁中で紐解いた形跡なし。明治40年生まれの佐藤公太郎さんの話は大変面白いので、ここであったが百年目、即購入。

 下巻はないかと見渡したけれどあったのは上巻のみ。それではと、家に帰って捜したところ、なんとAmazonで下巻を発見。その値なんと1円。理由は本が曲がっているからとのこと。とりあえず注文、届いたものを見れば本全体がほわっと弓なりに曲がっているけれど直せないほどでもない。本の程度は開いた形跡なし。未読本。送料込みで341円。古書は購入したらグラシン紙でカバーをかけるようにしています。グラシン紙は全紙サイズというのでしょうか、でかいのがホームセンターで一枚税込み58円でした。

 方言、地名の話、昔の行事の話等ふんだんに出てきます。ハイヤーに泥水をはねられた母親が「ぐちゃ、ぐちゃ、何処の車だんでろ」というところでは自分が子供のころ悪さをして母親から「ぐごど、ぐごど」と叱られたことを思い出してしまいました。この言い方は酒田の言い方だったのですね。

 鳥海山のタグに含めたままなのは、中の一節にお山詣りが設けてあり、そこに北のお山、鳥海山にお詣りする話がでているからです。川北かわきた(飽海)の田圃たんぼは鳥海山から水を貰って稲作をするので、そのお礼にお山詣やまめりをするのです。

 14の年に吉出の親戚の所に泊まって一番近道と言われて万助道を登ってお山詣りをした、とあります。その後大正15年に蕨岡口から登って、横堂に仮泊し、夜中から起きだし小雨の中を登ったら雨に降られっぱなしで道路が川のようになる山の怖さを知らされたとあります。

 山岳修験の研究などはいっぱいありますが、こういったお山詣りや山小屋に関する記述は見ることがありません。吹浦口では畠中善弥さんの記録ぐらい。吹浦では宝暦年間の大物忌神社の進藤重記「出羽国風土略記」、蕨岡では先にあげた太田宜賢の「鳥海山登山案内記」、松本良一「鳥海山信仰史」(昭和59年)等ありますが、お山詣りの盛んだったころの蕨岡口駒止、横堂、河原宿、山頂御本社の生活に関する記録は公にされたものは未見です。当時の事を知る人に話を聞くのも既に困難になっていますし、今後も新しく話がでてくることも無理でしょう。今まで聴いた鳥海山昔話はいずれ纏めてみるつもりではいます。

 佐藤公太郎さんの粋狂談義はとても面白いのでそこに紹介してある方言、地名、風俗に関しては自分にも経験、見分あるものを絡めて紹介していきたいと思います。

 ついでに今月の購入本、

 椎名誠の「哀愁の町に霧が降るのだ」の全一巻になった単行本、三五館、2017年10月に倒産した出版社から出された本です。(その後三五館に在籍していた残留三五館兵(1名)により、2017年12月、御茶ノ水に三五館シンシャが設立される。社名の「シンシャ」は「新社」と「深謝」を含意、とあります。)これは探していました。この椎名誠のこの「哀愁の町に霧が降るのだ」「新橋烏森口青春篇」「銀座のカラス」は何度〱読んだことでしょう。

 それともう一冊、

 井上ひさし最後の作品、これは文庫本で一息に読んでしまいました。単行本でもう一度読もうと思い、未読の本を格安で購入しました。ついでに「吉里吉里人」も久しぶりに読み返したくなりましたが単行本はすさまじい日焼けで捨ててしまいましたので買いなおしですが、これはきれいな本は紙質が悪かったせいかきれいな単行本は世に出ていません。ついでに「四千万歩の男」単行本全5冊も買ってしまいました。他にもCD、本を購入しているのでもうお小遣いがありません。でもまだまだ欲しい本はいっぱいあります。全部読めるわけでもないのでしょうけど、読んだって評論して人に発表するのは大嫌いだし、何のために読んでいるんでしょうね。


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